今日は朝から奈良でモータースポーツイベント。

10時26分師匠の奥さんから電話。

イベント中だが、嫌な予感がしたので電話にでる。

息子の◯◯です。

父と仲良くして頂いていたときいたので。

突然の師匠の死。

7月16日久々にSNSに反応があったので、すぐにメッセージで連絡して、状態が良くないのは知ってたつもり。






最後のやり取りです。

本当に箸の持ちからから真っ直ぐに生きる事を教わりました。

まだ終活を学ぶつもりは無かったです。

この前行った城崎温泉の話もしたかったのに。


師匠の好きな曲でした。

合掌




2024年6月14日

 

ずっと気になっていたお店

中々機会がなかったんですが、ようやく行ってきました。

 

35年ほど前にはIと何度も行ったお店

当時は座椅子カウンターのみで30畳ぐらいの畳にグリーンのカーペット

奥にはテレビが一台あって、奥さんと1歳ぐらいの女の子が。

 

座椅子に腰掛けてビールを一杯。

その後はお決まりの「あか」

 

確かその時は二人とも彼女が居なかったので、湿っぽい話ばかりで

最初はくだらない話からはじまりますが、酔いがまわりだすと

やっぱり彼女への未練話、座椅子越しにいるマスターは何も言わず

鉄板の前で汗かきながら笑ってましたが

「また、その話かよ!もう暗記したで!」

と思われていたんでしょうね

 

 

お店のレイアウトも変わってましたが、入り口には懐かしい

カウンター!

座椅子はなく、掘りごたつのようになっていまいたが

そこは満席なので、奥のテーブル席へ

 

生ビール、すなずり、茹でスジ塩とこれまた懐かしい

 

 

そして

 

 

これでございます。

泣きそうなほど懐かしい味

 

最近はどこでも頂けるんですが、当時はここだけでした。

確か当時世界一辛いソースで鶴瓶さんの番組で取り上げ

られていたと記憶しています。

何杯お代わりしたか記憶も無く

すっかり酔っ払い

 

帰りがけに

「マスター!写真撮っていいですか!」

「いいですよ、同窓会かなんかですか?」

「35年ぶりに あか 頂にきました!また来ますね」

マスターも元気そうでしたが、流石に覚えてはもらっていませんでした。

 

 

当時は口ひげがあり、かっぷくの良かったマスターも

すっきりしておられました。

Iにlineで写真をを送ったら、

「マスター元気そうやな~!今度行こ~!」

と返事がきました、それから一週間後にもう一度行った事は

Iには内緒です(笑)

 

来月にでも二人であの頃に返りに行きます。

 

 

割とむじゃき 時にふらり

アンナ男に愛されもしたら

 

あいすいません ひと頃よりお目にかかれません

つかの間に話も ちょいと聞いてもらえりゃいい

言葉で言えず雨に唄えば

とどのつまり伝えたいわ 涙がでちゃう

あきらまえましょう 大人になることは 何もかも

とまどいも二言目にゃあ ぐっと噛みしめて

かわり身の良さだけじゃあ 駄目よね

せめて もう一度だけ Boogie Woogie

 

逢えて初めてお前に 素直になればいいじゃない

お気に召すまま 願わくば そばにいたい

ヨコしまな心にさえ 清らかにたもれ

なんとかなるなんてもんじゃ

ないと思うてた Don't cry! Me! Anymore!

 

Oh! あいすいません 心の内を話せば悪るかろと

 

思い知りつつ 嫌われるでしょ

こんな私がイヤになったでしょう 手に取るほどに

会えば会うでそれだけ 何気なくも切なく

二人ともに雨に濡れてる

 

恋をしたり めげてみたり

割とむじゃき 時にフラリ

アンナ男に愛されもしたら

 

何するにせよ互いに 夢中な頃のがいいじゃない

さめたヒトミの人には何も出来ない…

 

 

1983年~現在

師匠から少し運転を教わり、彼女も居なくなった頃家の前に

中学のクラブの先輩(怖い人)がたまたま通りがかり

「○○峠に走り屋が集まってるみたいで見に行くけど来るか?」

と誘われ、興味があったのでついて行くと、当時のAE86が

数台、47トレノ、などが集まってました。おいらの車

には変な視線が集まり

「これいつもあそこ走って行くやつや」など変な汗でてきました。

気の良い人ばかりで、横乗りもさせてもらい、おいらは

目から鱗状態でした。仲良くなりチームに入れてもらい

マフラーをノーマルに直して、JAFのライセンスをとり

ジムカーナという競技に明け暮れました。1989年の引退まで

色んな車で楽しみました。

 

 

カリーナを崖によじ登らせ廃車にしてからチームの会長の

ランサーでしばらく参加

1984年

1985年富士白糸の滝での全日本選手権EP-71

1986年旧鈴鹿サーキット内のコース

1987年発売すぐのEF-7

1989年現役最後の年は借り物GA-2

 

1985年においらが所属するチームが主催をすることになり

なんか他と違う事できないかと話をしていた時会長が

「おまえしゃべったらどうや?」

競技の実況アナウンスをしたら面白くないか?

となり、まぁ選手はみんな知り合いなんで、毒舌織り交ぜ

やってみる事に…これがまた大盛況でして

現役引退してらも主催の時にMCしていたら、他のクラブからも

声が掛かり、来年で40年を迎えます(笑)

思えば友達の結婚式の司会から始まり、素人ながら

よくやって来たと思います。

自分では65歳までやって引退しようと考えてますが

後進の登場を待ちわびております。

 

 

身体と欲でエリ好みのラプソディー

 

Oh Oh Miss Brand-New Day

皆同じそぶり

Oh Oh Miss Brand-New Way

誰かと似た身なり

 

意味の無い流行りの言葉と見栄のIllusion

教えられたままのしぐさに酔ってる

Oh Oh Miss Brand-New Day

月並みを愛し

Oh Oh Miss Brand-New Way

お出かけの前に

 

終わらない彼と寝てる Night Time

濡れたムードを買い占めて

 

Yes, I know. She's right on time

今宵 With you

You should know she's breaking up my hart

割とよくあるタイプの君よ


 

 

 

2024年5月19日

少し前から気になっていた写真

 

 

1993年春に師匠ペアと行った城崎温泉旅行。

前泊は海岸で車中泊となったので、朝に撮った海岸

 

記憶をたどりながらGoogleマップで海岸沿いを走る(笑)

走る事2時間、それらしき景色に出逢う。

 

どうしても行きたくなったので

嫁さんにはモータースポーツのイベント手伝いと言って

朝7時から一路城崎温泉へ

 

 

景色を眺めながら約3時間。

時間がゆっくり流れる快い時間でした。

温泉街は結構な人でパーキングも満車状態でした。

 

奥へと進んで行くと結構な所まで温泉街が続いていて、

あの時はほんの入り口ぐらいの所までしか行ってない事に驚きました。

もうここまでの所で空きがあるタイムスがあり、何とか駐車し

 

裏街道から旅館街へすすんで行きます。

 

天気も曇りで過ごし易く散歩気分であたりを散策します。

 

 

ご当地ポスターもお出迎え

 

そしてついに

 

 

想いでの撮影場所に40年ぶりにやってきました。

自撮りでは再現できないので、誰かに撮ってもらおうと

しばらくその場に腰かけていましたが、なんか変なおっさんで

40年前に撮った場所でまた写真とるなんてわかったら

マジ変なおっさんやろしな~と考えていると

3歳ぐらいの男の子を連れたご夫婦が自撮りで撮影されています

 

「撮りましょうか?」と声を掛け何枚か撮影し、ここぞとばかりに

 

「撮って頂けますか?」と言うと快くお受けいただけました。

 

「左の よいだや の看板を入れて頂けますか」というとご主人が

 

「よいだや さんは有名なんですか?」

 

「いえ、実は40年前にここで写真の撮って」と写真を見せると

 

奥様が、「え~!素敵ですね~」と……一安心

 

それならともう一度取り直してくれました。

 

 

余韻冷めやらぬ中、いよいよ海岸探しです。

 

大体の位置はつかんでいるので、カーナビ頼りに走って行くと

 

 

それらしき岩山が見えてきました。

ここは竹野浜海水浴場

昔は浜まで車で行けたのですが、今は道の駅があり駐車も楽ちん

 

 

海岸線は少し変わってましたが、岩山はあの時のままでした。

 

帰り際、ふと思い出の上書きをして行こうと思いつき

 

次回は嫁さんと城崎温泉に行く決意

をしたおいらでした。

 

 

波に消えた人の名を呼ぶなんて

今宵二人で翔んだつもりで抱いて震えるだけじゃ

分りあうはずもなく別れてく

 

たまにゃ Making love

そうでなきゃ Hand job

夢で I'm so sad

ぐっと狂おしく All nigth

今夜あたりは裸でいるのよ

最高シュールな夢が見れそうね

 

あ ちょいとC調言葉にだまされ

泣いた女の涙も知れずに

いっそこのままふらちな心で

いるなら胸が痛むね

 

俺にだまって恋をしていたあなたもやはりダメね

甘い言葉で背中をいじられて

女ですものアンタこの頃移り気なるがままに

深いわけなどああろうとなかろと

 

砂の浜辺でなにするわけじゃないの 恋などするもどかしや

乱れそうな胸を大事に風に任せているだけ……

 

 

 

2024年5月14日

先週末から上の娘が孫と泊りに来ていて

下の娘は東京へ面接に出かけている

 

面接先はなんと「LDH」

 

書類、グループ面接をクリアして

プレゼンテーション面接まで残るとは思っていなかったのですが

色んな所を受ける中、そう来たか!って感じです。

 

上の娘も中学卒業の時期にはEXILEのファンで「道」が思い出に残ってます。

 

 

 

 

下の娘の時はGENERATIONS from EXILE TRIBEのファン「涙」はおいらの思い出の曲にも

もなっています。

 

2024年4月21日

桜も終わりの頃、ふと思い出し君と行った桜トンネル

桜はもう散っただろうかと雨降る海津大崎に行ってきた

 

 

千本桜も雨ですでに葉桜となっていた

 

 

これが精一杯(笑)

 

約4キロある桜トンネルは通り抜けて

木之本インターから帰るのがあの頃のコースですが今日はここまで。

 

湖岸道路をゆっくり走りながら、良く行った秘密の

デートスポットがどうなってるか気になって寄ってみました。

 

景色は変わっていたが通行禁止?

よく見ると期間限定の様で、恐る恐る入っていく

 

水辺までの距離は遠くなっていたが、大体のところでパシャリ

 

 

そこからは高嶋の道の駅でお土産の玉ねぎドレッシングを買ったが

 

 

孫と来てる娘のリクエストで大原にある我が家御用達

「志野」でドレッシング買って帰りました。

 

 

 

あの娘の実家が取り壊されてから変わった事は

ランダム再生が、サザンオンリーから全曲に変わり

通勤時や帰宅時も振り返る事が無くなった。

 

毎日抜け殻の家を見つめていただけだった事に気付きました。

 

長かった魔法がようやくとけたようです。

今日はあの娘の誕生日 きっと家族で還暦を祝ってもらってる

あら まだ解けてないか(笑)

 

 

ひとり震える心せつなく

遥かなる影は恋人

 

棄てたはずの恋なのに

今さら惨めになりそうさ

立ち止まるたび明日は去り行く

悲しみよ FOREVER

 

あの日の風の誘惑が

肩に触れただけで甘く

幻のまま終わる恋は

さまよえる雲のようさ

 

雨に濡れながら No No Birdy

心からの涙はひとつだけ

言葉にならない No No Birdy

通り過ぎた季節は夢の中へ

 

サヨナラさえも言えずに

他人のままの二人なのさ

古いチャペルの鐘が鳴るたび

黄昏はいつも涙に変わる

 

暮れゆく街のどこかで

今も愛しい女性は眠る

もう一度時が戻るならば

やり直すつもりなのか

 

ためらう事など No No Birdy

抱きしめたら大人になれるのか

つれない言葉は No No Birdy

閉ざされてる扉は誰のために

 

この胸のときめきが愛ならば

俺の目の前に

Will you be back so close to me?

 

雨に濡れながら No No Birdy

心からの涙はひとつだけ

言葉にならない No No Birdy

通り過ぎた季節は夢の中へ

 

 

 

 

2024年4月10日

中学の同級生を中心に何か月かに一度のゴルフコンペ

偶然当日誕生日だったのが良かったのか、同じスコアで同じハンデだったので同級生だったが年上ということで

宮崎牛A4ロース300グラムの商品です。

夜には娘から初節句用に送った兜と映っている孫の写真が送られて来ました。

来週末に泊まりに来るそうですが、それまで待てないおいらです。

 

 

昔の女なんて おさらば

心に火がついたら もうそれだけ

他人の事など どうでもいい

 

その気になれば いつでも逢える

噂 気にするなんて ないじゃない

当たって砕けること 忘れないで

恋を知らずに 何が出来ようか

 

本当の幸せ あなたは教えてくれたの

私に 何かにつけて

心がさめれば 別れもくるだろう

いつかは二人で 話し合わなきゃ

 

抱きしめるほどに恋が果てることなく

このまま別れ話もないまま

涙流すことなく

 

2024年3月30日

いとしのエリーのリリースから45年が経ち

1979年に卒業したおいら達は60歳になり

還暦同窓会を開くことになった

 

繁華街のそばにある老舗旅館で先生含む60人ぐらい。

 

座敷は流石につらいので、畳にテーブルの設定でした

 

もう顔と名前が一致しないので受付で名札をもらい(笑)

宴は始まります。

 

先生も8人お誘いしましたが、高齢の事もあり

6人の参加となりました

85歳になられても元気で参加いただいた先生もおられ

懐かしい時間になりました。

今回が最後の同窓会となるので、今まで参加してなかった同級生もいたので

あっという間に時間が過ぎ各クラスのlineグループも出来、年末の忘年会は結構集まりそうです。

 

で、第二ボタンの話には触れず、唯々懐かしいな~と話をごまかすばかりの

おいらでしたが、スクールウォーズの14番や
直前まで工業高校を目指していたおいらが無理くり公立普通科に心変わりせた彼女

I達と正月休みにグリースを見に行ったMちゃんに会えて

かわらんな~と思いながら

この時の決断が、おいらの人生にとっての分かれ道になった事は間違いない

もし15のあの夏に戻ってそこからもう一度やり直せたら

どんな人生送るだろう…

なんて考えながら卒業写真を見ています。

 

 

惚れて名を呼び 思いをはせる女

涙ぐみ酔いしれる気持ち

 

だから言ったじゃない

心に残る言葉を言わなけりゃ

どうにもならないよ

忘れようにも忘らりょか いつの日も

耐えてなおさら狂える 燃えさかる

 

男は立てよ行けよ女の元へ

背中がうずく時がかんじんなのね

 

あっそう あっそう思い切りそげなこと

できりゃうれしや 夜も昼もいつも恋は楽し

 

思い過ごしも恋それでもいい 今のうち

思い込んだらもう

夢見るよでいたいから

 

 

 

 

2024年3月19日

元部下と古い友人がひょんなことから知り合いになり

その友人が退官するとの事で、送別会をするらしく

その時に流すスライドショーのネタに若い時の写真ありませんかと言われ

おいらは後ろで帽子をかぶってます。

 

(当人は下の写真の右はしです)

 

何枚か渡したら幹事の人たちに、大うけでしたとの事

もう少しないかとSNSで繋がってる高校時代の友人に声をかけたが

その頃はデジタルでもなく、カメラ持って行った奴が現像して

焼き回しなので、ほとんど持ってない。(邪魔くさい)

 

当日の2次会にサプライズゲストで来て下さいと誘われたが

心の中では、「いや、おいら1年ぐらいしかいなかったし(汗)」

 

で、共通の友人で元カノのMちゃんともう一人に声をかけ

3名で参加する事にしました。

 

これが42年経ったパンチパーマの成れの果てと元部下

 

元カノと3ショットです。

右の友達もSNSでは繋がっていましたが42年ぶりにリアルで会う事ができました。

2人の42年前はこんな感じ

 

話の流れでおいらが学校辞めた話になり、元部下もいたのですが

昔から知ってたみたいで、

元部下に「話したっけ?」と聞いたら

「総務部なんで履歴書を見たんです」と

なるほどね、なんか肩の荷が下りたというか、そこからは

テンション上がってたと思います。

 

久々に会って、会場も京都の繁華街

(20年ぶりかな)

 

気が付けば終電まじかで慌て電車に乗り

最寄り駅まで嫁さんに迎えに来てもらいました。

翌日、おんなじ話ばかりしてたと笑われました。

 

 

欲望のままに駆けて太陽に飢えた夏

 

紙風船のように時代に重さでしぼんだDream

嵐の過ぎた海に臆病な僕がいる

 

来た道を憂いちゃないが…

孤独な毎日が 黄昏に暮れゆく

 

薔薇がもし名も無い花のように咲いても

大地はBlue

汚れた瞳に愛は存在せず

 

夢がもし儚いままで終わるなら

明日もBlue

二度と帰らない ❝Young Love❞

青春の終わりに

 

まだ人生なんてその意味すらも問わぬ日

知らぬ間に罪を重ね誰かを傷つけた

 

紙風船のように時代に重さでしぼんだDream

遠く離れた空に忘れ得ぬ女性がいる

 

あの夏を憂いちゃいないが…

何故だか涙が とめどなく溢れる

 

薔薇がもし名も無い花のように咲いても

大地はBlue

抱きしめたい愛は存在せず

 

夢がもし儚いままで終わるのなら

明日もBlue

二度と帰らない ❝Young Love❞

青春の終わりに

 


 

少し間が空いてしまいましたが今年の1月最後の抗がん剤治療は

毎回投与前に行う検査で心臓への負担と白血球減少が戻っていないので

無くなりました。

 

今はホルモン療法に入り、副作用もなく、普段の生活に戻ってますが

後はウィッグからいつ解放されるかのフェーズに入りました。

 

3月に定期検診に行き、特に問題なしとの事ですが

 

後4年はホルモン療法が続きます。

 

とりあえず順調です。