一緒に、暁を観よう -悠里淮斗・追想-2
そして、『メサイア-暁乃刻-』(舞台・2017年2月上演)“悠里淮斗”突然の失踪それを知った時、ふたつの内どちらかしかないと思ったひとつは、悠里春斗の消息を掴み、迎えに出たのでは?という事もうひとつは、白崎護の命を盾に取られ、誘拐・幽閉・殺害されたのでは?という事結果的には、その何方でもなかった(悠里春斗生存の可能性は、未だゼロではないと思っているが) ↑ この『一緒に、暁を観よう』を書き終えた後 『メサイア外伝 -極夜 Polar night-』(映画・2017年6月上映) にて、悠里春斗が北方に渡ったという情報が出た 今後の展開に期待今までずっと、淮斗が護に依存しきっているように見えていたが実際に板の上には居ない淮斗を、追って追って追っていく護はかつてないほどの依存を感じさせた色々な経験を経て、淮斗はメサイアとして、護と対等な関係を築き始めていたいつ、何があっても必ずメサイアとしての役割を背負う今まで発した言葉のひとつひとつは、全て護への約束であり、護のメサイアとしての自分が立てた誓いだと、そう覚悟していたのではないだろうかまだ学生であるふたりが別々のミッションを与えられたのはそれぞれが優秀なサクラ候補生であることの証明だろう淮斗はネクロマンサー確保に成功したおそらくその後は懐柔を試みるつもりだったのだろうその為に、いろいろな手立てを考えていた筈だ淮斗の行動は「自信」によるところが大きい出来ないと思う事には踏み込もうとしない『紫微ノ章』の時、あれだけ切羽詰まった状況なのに直接逢おうという公安五係に対し逢いたいが逢えない、自分はここから出られないと引き籠りであることを理由に断った自分は部屋を出る事は出来ないと、そう思ったからだ思えばあの時開けた扉が、その後の共依存から独り立ちへのスタートだった任務の最中、チェーカーに瀕死の護を見せられ、助けたければ仲間になれと言われてもはっきり「断る!」と言ったのは、サクラであり、護のメサイアである覚悟が本物である証しチェーカーに撃たれた後の事も「可能である」と確信した上での行動だと推察されるそう仮定すると、Dr.TENの発言や、百瀬多々良による護への説明は語った本人の思考や感情で歪められている可能性があるネクロマンサーへの融合が淮斗の発案である以上Dr.TENの閃きでなかった事は明白だDr.TENは、淮斗の才能に対し明らかに嫉妬している「育ての親」を自称するほど手をかけ制御不能なモンスターと化したネクロマンサーを捕獲されたのだからこのまま淮斗の手の内に置けばネクロマンサーは懐柔されてしまうかもしれないそうされて困るのはチェーカーも同じ味方にならなければ始末する最初からそのつもりだった筈だそして、瀕死の護を見せておけば淮斗自身が望んでネクロマンサーとの融合へ踏み切るだろうという計算もしていただろうネクロマンサーの成長速度と経緯から推測するに一時的に淮斗の要望通りに動いたとしてもやがて思考パターンを淮斗ごと飲み込んでしまうだろうと予測したのだろう事もだが、そう簡単に彼らの思い通りになるだろうか?もう一度言おう悠里淮斗は「自信のある事にしか踏み込まない」捕獲し、懐柔しようとしていたネクロマンサーの「癖」に気づかぬ淮斗ではない、と思うのだここからは筆者の想像かかなりの部分を占めるもしかすると、一嶋係長との間にこんなやり取りがあったかもしれない緊急蘇生手術で生命を救おうとした一嶋係長に、淮斗自身がネクロマンサーへの融合を提案し、その理由としてこんな事を言ったかもしれない「護は僕のメサイアです、僕には護を救う権利がある」「護のように優秀なサクラを死なせるわけにはいかない」「僕が、護を助けます!…ネクロマンサーに融合して」そんなことをすれば貴方が死んでしまう、と一嶋係長「大丈夫……僕は死なない!」言葉のやり取りではなく想いのやり取りがあった、と思うのだネクロマンサーへの融合は本人の言った通りの方法でDr.TENが行ったのだろうDr.TENはその全てが自分の手柄であると自画自賛しただけでチェーカーは追い込むための手立てとして言葉で護を攻撃しただけだしかし、淮斗には死ぬ気などなかったあるはずない、ふたりでひとつの卵なのだから自分が壊れてしまえば、護も壊れてしまう「大丈夫……僕は死なない、死ねない!僕が死んだら、護も助からない!」ふたりとも「生き残る」と、そう思って選んだ方法だからその想いを受け取ったから、一嶋係長も許可したのだろういつか必ず、護もこの事実を受け入れると信じて淮斗はネクロマンサーの「癖」を逆手に取り、工作員を操って護を助けた後ネクロマンサーの内側に隠れ、思考パターンを読ませるままにし、懐柔も抵抗もしないでいたのだろう自身を「高度に発達した生命体」というネクロマンサーは「人工体」である事に不満があったのかもしれない自身が発達すればするほど、自身を作り出した人間への「蔑み」に似た計算式が作り出されていったのかもしれないしかし、自身を捕獲するほどの才能を持つ淮斗と融合した事でより「生命体」として進化したと判断し自身の行動がヒトらしくなっていく事に違和を感じなかったのだろう加々美の身体に逃げ込み「物理的な身体も悪くない」と判断したこともその繋がりだろうDr.TENの言う通り、ネクロマンサーがチャーチのシステムに侵入し細くつながったネットワークの中に逃げもせず加々美の身体に留まっていたのは、淮斗の介入の所為だろう護に逢いたい護に気づいて欲しいという「想い」が働いていた可能性は否定できない有賀に「いつき!」と呼ばれ、抵抗する加々美の身体を支配するために撃ち「愛ゆえに」と語るところで確信したのだが高度に発達した人工頭脳でも「感情」や「想い」の計算はしきれないその「隙間」に、淮斗の意識は隠れていたのではないだろうかそしてその間にネクロマンサーの内側から捕獲プログラムのアップデートのタイミングを探っていたのではないだろうかそして目覚めるきっかけは、ただ一つ護が、「淮斗は生きている」と信じて呼びかけてくれる事そしてその呼びかけこそ護が「委ねられた」証しふたりのメサイア関係が成立した証し…『暁乃刻』を観終わって改めてHPのストーリーを読み直し、それは違う、と感じたすべてを救えるのは…、白崎護、ただ一人いや、違うすべてを救えるのは…、護と淮斗、ただ一組淮斗はこれからもネットの中で生き続け、護の呼び掛けでのみ現れるのだろういずれ護が肉体的な死を迎える時が来て、その時に、一緒に旅立つのか、それとも残るのかそれとも、それ以外の何らかの方法をとるのかそれは分からないでも、何があってもふたりはずっと一緒だ「悠里淮斗」というキャラクターに本物の生命を吹き込みメサイア史上最もヒトとしての匂いを発散させ成長過程を観させてくれた「役者・廣瀬大介」に敬意を表します2017年3月19日この文章をまとめてからDVDの発売日までずっと期待し続けて待っていたメサイア暁乃刻DVDそれには絶対にあの、大千穐楽カーテンコールが白崎護と悠里淮斗の赤澤燈と廣瀬大介のあの、奇蹟のようなふたりの卒業が収録されていると、信じて疑わなかったから全てのメサイアファンが望んでいたあの光景がキャスト・アンサンブルひとりひとりの挨拶含め記録さえ残されていないとは全く考えてもいなかったから今までのメサイア舞台シリーズで 編集と収録内容的には最低!あんなに過酷な状況で頑張った白崎護が可哀想で仕方ないあの日、森ノ宮ピロティホールに来られなかった方・来てたのに入れなかった方全てのメサイアファンに、あの奇蹟のふたりの卒業を届けて欲しかったそれをする義務が DVD制作側にはあったと思う全てのメサイアファンがそれを望み期待してDVDの到着を待ったと思う冒頭のひとりずつ紹介するアクションシーンも余計な画像効果使ってるので折角のアクションが観えない東京千穐楽カーテンコールで変な音声編集して拍手も音楽も籠ったままで 不良品かと思ったこれ、本当にプロの仕事だろうか?!GYAOで配信されたままの方がよかったあの映像をDVD化にするならカーテンコールぶった切って別枠にする意味が分からない恒例の座談会、も大千穐楽カーテンコールもなかったし会場予約特典のDVDは特典画像に入らなかった残りだし東京千穐楽カーテンコールで大志くんの涙がボロボロっと落ちたところをアングル変えたのも赦せないああゆう大志くんはそうは観られないんだよだからこそ、あのまま残して欲しかったなのに、黒子さんがDr.TENをスリッパで叩いた瞬間は映ってない!編集の意を疑う先行予約特典DVDの内容の薄さは大千穐楽カーテンコールが収録されていないやるせなさを怒りに変えるだけのものがあったと思うあれなら、わざわざ会場で予約する必要あっただろうか?翡翠の会場予約特典は大千穐楽本編全景DVDだっだぞ?詐欺だと感じるの無理ないぞ?いっその事先行予約特典DVDが大千穐楽カーテンコールだったら会場予約、もっと取れたのでは?と思うのだだから、強く抗議したい!!次回作『メサイア悠久乃刻」(舞台・2017年8月上演予定)この舞台のDVDには・地方公演の映像・大千穐楽カーテンコール・座談会は必ず収録し本編とカーテンコールをぶった切るような事はせずいらない画像処理を加えないで欲しい同意してくださる方はアンケート全面を使って「一嶋係長カムバック!」を実現させたようにこの想いを制作側に届けて『悠久乃刻』のDVDの収録に内容を『鋼』までの形に戻してくれとこの『想い』を拡散頂ければ幸いですこのままではメサイアが続かなくなってしまうという危機感を強く感じるからです