今朝は、表題のとおり、
「てんとう虫」誌11月号から、
ザルツブルクを扱った特集記事について。
先日記事にした「『物語 オーストリアの
本誌は、確か先月の20日過ぎくらいに
配達された。
本誌の表紙に「ザルツブルク」の文字を発見、
早速読んでみた。
これは記事にしたい、と思った。
ただ、八ヶ岳行きを間近に控えており、
記事書きは、自宅に戻ったあとにしようと思っていた。
ところが、伐採の立会いが飛び込んできたので、
結局、今日になってしまった。
なお、「てんとう虫」とは、
UCカードの会員誌。
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特集は、次の5章(?)からなる。
★ 言わば「表紙」
見開き2ページに、大きく
ザルツブルクのシンボルともいえる
「ホーエンザルツブルク城」の写真。
市内を流れるザルツァッハ川越しに写したもの。
★ 同じく、ホーエンザルツブルク城。
右のページに、大きく、南側のテラスで憩う
人たちの写真。
左のページには、城の説明。
ここは、もともとはザルツブルク地方を治める
大司教の城砦だった。
11世紀に建造が始められ、今の姿になったのは、
17世紀半ばだという。
19世紀初頭にハプスブルク家に
譲渡されたらしい。
★ 大聖堂とレジデンツ
大聖堂は、ザルツブルクの中枢だった。
右のページには、小さな3枚の写真。
二つの塔を持つ大聖堂の外観、
入口を入ったところのホールなど。
左のページには、祭壇の写真。
天井のドームまで相当の高さがあり、
すごく豪華な印象。
なお、撮影は、日曜日。ちょうど
ミサの最中だったという。
そのそばにあるレジデンツは、大司教の
平時の住居だった。
(なお、ホーエンザルツブルク城は、戦時の
住居だったようだ。)
★ モーツァルトの生家と住居
生家は、ザルツブルクのメインストリートである、
旧市街のゲトライデガッセに。
後に住んだ住居は、ザルツァッハ川の対岸に。
見開き2ページの下3/4ほどを使って、
5枚の写真。
モーツアルトの生家、幼少時に弾いたバイオリン、
モーツァルトの肖像画など。
★ サウンド・オブ・ミュージックの舞台
撮影は、ザルツブルクとその近郊で
行われた。次の5枚の写真。
● ノンベルク修道院
見習い修道女のマリアがいた修道院。
● フローンブルク宮殿
トラップ大佐邸となった。
● ミラベル宮殿
ペガサスの泉、ドレミの階段など。
庭園から望むホーエンザルツブルク城が
見事。
● ガラスのパビリオン
長女リーズルが「もうすぐ17歳」を歌った。
今は、ヘルブルン宮殿にある。
● モーツァルト小橋
マリアと子供たちがピクニックに行く場面。
★ ゲトライデガッセ
店やホテルの軒先に掲げられた
看板が有名。
通りを写した大きな写真など。
★ ウンタースベルク山
岩塩が採れ、ザルツブルクの繁栄を
築き、支えたという。
マリアらがボート遊びをしたレオポルツクロン城
から見た写真。
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以上だが、写真無しの文字ばかりなので、
面白みに欠けること甚だしい。
よって、さきほど、15年前の旅行アルバムを
書棚から引っ張り出して見てみた。
ホーエンザルツブルク城、大聖堂とレジデンツ、
モーツァルトの生家、モーツァルト広場、
祝祭劇場、ゲトライデガッセ、ミラベル宮殿、
馬洗い池などの写真があった。
(ミラベル庭園から望む
ホーエンザルツブルク城)
(ホーエンザルツブルク城から見下ろす旧市街。
2本の塔とドームが大聖堂。)
なお、マリアらが隠れたというお墓も
見たような気がするが、
写真はなかった。
映画に出てきた場所で、行かなかったところが
結構あるなと改めて感じた次第。
とりあえず以上にとどめるが、このあと、
手持ちの「サウンド オブ ミュージック」の
DVDを通しで見て、必要があれば、
追加なり訂正なりすることにしよう。
<以上>
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木霊する来てよと喫茶店(カフェ)の呼ぶ声が嗚呼記事書きが終はらずに夜