さて、この世界に足を踏み入れて早や15年になります。
「現実逃避している人たちが興味を持つ世界」と偏見著しかった私が、今や過去世を視て人生のシナリオを紐解き、そのやり方を教えるまでになっているなんて信じられません。笑
ヒプノセラピーが入り口だったので、最初は過去世を視るところから始めました。
過去世が視えるなんて秘密のおとぎ話を視ているようで面白かったけど、
これって、本当?
私の頭で作り出している物語じゃないの?
って半信半疑。
だけど、次々と視ていくうちに、それらの過去世がリンクするようになって、
あれ? この間の過去世の続きだわ!とか、
あの過去世と今回の過去世がこんなふうに繋がっていたのね、とか。
そして現世で知っている人々が必ず登場してくる。
それも、何度も。
ってことは、やっぱり過去世ってあるんだろうか。
私たちって転生しているんだろうか?
ソウルメイトみたいになっていて、繰り返し再会しているんだろうか?
こうなると好奇心が止まりません。
なぜ転生するの?
なんのために?
魂ってなに?
人生ってどんな仕組みになっているの?
宇宙の法則って何?
こんこんと湧き出る泉のように、あとからあとから、「なぜ」「なんのために」「どういうしくみ?」って。
どうやら人生にはあらかじめ決めてきたシナリオがあるらしいということもわかってきたけど、そうなるとまた新たな疑問が湧いてきます。
自分の人生を自分で決めてくるのなら、どうしてこんな苦しむ人生になってるの?
どうしてもっと幸せになるように作らなかったの?
自分が自分を痛めつけるってあり得なくない?
そんなの、嘘に決まってる。
……はずなのに、シナリオを作る場面を視に行くと、ちゃんと自分で設計しているのです。
え~っと、こういうことを経験したいから、あの母親にしよう。
こういう目的であの父親にしようって。
親すらも自分で決めてきているのです。
親子の葛藤に苦しんできた私としては到底受け入れがたい…
でも。
それでも。
自分のシナリオを客観的に「あるドラマの脚本」としてみたなら、起承転結うまく作っているなあって。
ドラマの主人公を自分で演じているんですよね。
そして、
なんで?
なんでなの?
って好奇心を満たすために、ひたすら本を読んだり、誰かの言うことを聞いていたけど、また新たな疑問が。
なぜ人によって言ってることが違うの?
宇宙の真実がひとつなら、皆同じことを言うはずなのに、「霊能者」や「視える人」の言うことが必ずしも同じでないこともいっぱいある。
ならば、自身で「上」に聞くしかないんだわとチャネリングやリーディングの力を磨き、
結果分かったことは、いろんな人がいろんなことを言うけど、答えって自分の中にあるのね、ということ。
しばらくはその「答え」を受け取ることに夢中になりました。
山の麓にいる自分が、頂上にいる自分に問いかければ、こちらの世界では見えないことも、頂上からは見渡せるので「こんな景色だよ」「こうなってるよ」って、なんでも教えてくれるのですから、これはもう面白くてたまらない。
そう、「上」って、つまりは高次の自分だったのです。
「上」と繋がるとか、
「上」から降って来るとか、
ぜ~んぶ、自分自身。
麓にいる私に対して、頂上にいる自分を「高次の自分」と言っているだけ。
そして、当たり前といえば当たり前なのですが、頂上から見える景色は「自分が見た景色にすぎない」ということです。
私自身の世界の中を覗いているのです。
ですから、霊能者や「視える人」に「その頂上からはどんなふうに見えるの?」と聞いたところで、それはその人の世界観にすぎないということ。
ラーメンに例えるなら、ラーメンを食べて、
Aさん:うん、コクがあって私の好み
Bさん:私の口には合わない
Cさん:こってりしすぎている
と各々の嗜好に基づいて感想を言っているだけ。
だから、真実の答えは自分の中にしかないのです。
ラーメンなら実際に自分で食べて、自分なりの答えを確認できるのですが、スピの落とし穴は、
すでに視える(と思っている人)には世界があるけど、まだ視ることをしていない人には、その世界は雲を掴むようなものなので、「視える」という人の話を鵜呑みにしてしまうこと。
そもそも「宇宙」はエネルギーだけで成り立っていて、
人間として生まれると、自分の「世界観」が同時存在するようになり、
あの世に帰ると、肉体もなくなるけど、世界観も消える。
消えて、
ただエネルギーだけの世界が、変わらずそこにあるだけ。
というような感じがします。
これもまた私の世界観ですが。
仮にそうだとしたら、大事なことは。
(つづく)
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