★この記事の続き
翌日、リカちゃん、カオさんの3人で栃木県へ。
宇都宮駅で待ち合わせします。
バスで東武宇都宮駅に移動して、予約していたお店でランチ。
注文してお料理を待っている間に、リカちゃんが「夕飯、どうします?」とスマホで検索しては、「このお店、どうですか?」「それとも、ここは?」って。
まだランチも食べていないのに。笑
こんなにも「食」に興味があるのに、お料理に合わせてお酒を飲めないなんてかわいそう。
予約していたランチは、HPではこういう写真だったのですが、
実際は、これ…
なんだか華やかさに欠けると思ったら、「飾り葉」があるかないかでこんなに印象が変わるんですね~。
お料理は同じなのに。
おもしろ~い!
デザートもついていました。美味でした!
さて、今回の「ミラクルズ」。
実は10月でミッション完了と言われ、次からはどうしよう?と話したときに、リカちゃんから「縄文時代の遺跡とかいいですね」と提案があり、
わかる、わかる!
縄文時代ってたぶんすごい時代だったんだと思う。
なにしろ1万年以上も続いているし。
以前、高校で歴史を教えている生徒サチさんに教えてもらったのですが、縄文時代は争いもない平和な時代だったそうです。
弥生時代になって農耕生活が始まると、定住するようになり、土地の奪い合い、水路を巡っての諍いなど、争いが起こるようになったのだとか。
平和な縄文時代には宇宙人もたくさんいたんじゃないかと。
だって、出土した土偶って、み~んな宇宙人に見えるし! 笑
縄文時代の土器は、デザイン性など装飾に価値を置いていて、それは豊かな文化があった証しでもあるそうです。
高度な文明の星からやってきた宇宙人がたくさんいて、それらの知識を地球人に教えながら、クリエイティブで平和な暮らしを営んでいたのかもしれません。
「縄文時代 遺跡」で検索していたリカちゃんが、
リカ:「貝塚」ってよく出てきますけど、なんでしょう?
私:昔の人が貝を食べた殻を捨てた場所。ごみ捨て場だね。
カオ:そうそう!
リカ:じゃあ、貝塚はパスですね。
次に「洞窟」「鍾乳洞」などがヒットしたようです。
私も「洞窟 遺跡」で検索したところ、最初にヒットしたのが栃木県宇都宮市の「大谷寺洞穴遺跡(おおやじどうけついせき)」です。
ランチの後、バスで20分ほどで到着。
(チラシより)
階段を上がって山門をくぐったら、まずご挨拶。
本堂へ向かいます。
本堂のある場所はこんな感じ。
寺全体が洞窟に包まれていて、元は縄文人の横穴式住居だったそうです。
(Wikipediaより)
本堂右手の岸壁には多くの石仏が……。
【A】エリア
【B】エリア
【C】エリア
【C】エリアは一番気になった場所。
「奥に何かある!」と言ったら、カオさんが撮ってくれました。
石仏ですね…
大谷寺は、平安時代に弘法大師が「千手観音像」を彫って開山したと言われているそうです。
本堂にはその千手観音像が。
撮影禁止だったので、チラシから。
ああ、きっとこれはリカちゃんに関係あるんだわ。
そのためにここへ来たのかも。
(4日後に、リカちゃんからある言葉を聞いて確信することになります)
ほかにも10体の磨崖仏が見られます。
宝物館には、本堂の地下3mの地層から出土した縄文人の人骨が展示されています。
20代前後の男性で身長154cmの痩せ型なのだそう。
裏庭には池があり、弁財天が祀られています。
大きな白蛇がいましたが、模型っぽく見えて、「ふうん」とスルーしてしまったのですが、このブログを書くにあたってパンフを読んだら、
「その昔、この辺りは大小の岩がまるで屏風のようになっていて、その中は広く平らに広がり、『大谷』と呼ばれていた。
岩下からは水が湧き出して川となっていた、
この中には毒蛇が住んでいて、ときどき毒水を流し、鳥獣虫魚がその水に触れると、たちまち死んでしまい、人間が触れると病気になり、死に至ることもあった。
810年、弘法大師が訪れ、この毒蛇を退治した。
毒蛇は心を入れ替えて白蛇となり、お仕えしている」
というようなことが書かれていました。
「弁財天に参拝後は白蛇の頭にも軽く触れてください」って。
え~、知らなかった。
どこへ行くにも一切下調べをしない3人。
ブログを書く際に調べて知ることばかりで「そうだったんだ~」って。笑
それはこのあと、「大谷資料館」へ行く途中でも……。
(つづく)
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