(つづき)
チベットあたりでしょうか?
山の中で修行をしている僧たちが出てきました。
ミオさん(男性)もその中にいます。
さっきの過去世に出てきた神父は、
このときは彼の師匠のようです。
あんなふうになりたい・・・
ミオさんは師匠にあこがれを持っていますが、
それは淡い恋心のようでもあります。
この人生では、
最後まで修行をしています。
「悟りの域」に達したわけでもなく、
なんとなく修行をして
なんとなく終わっていった感じです。
う~ん・・・・
「解放すべき感情」は何なんだう・・・・?
打開策として
必要なサブパ-ナリティを呼んでみると・・・。
ミオ:あれ~?
大仏みたいな人が出てきた。
人間じゃない気もするけど・・・。
ミオさんのサブパ-ナリティというよりも
彼女を見守っている存在のようなのですが・・・。
ミオ:男性に関わると、あまりいいことがないから
そうならないように見守っている気がする。
私:その「男性に関わるとあまりいいことがない」を
解放したらどうですか?
自分がそう思っていると、
そうなっちゃうから。
自分は自由で、楽しく生きられるんだ!
ってことにしちゃうのは、どお?
すると・・・。
ミオ:う~ん・・・・。
でも、けっこう「修行」が好きなのかなあ・・・。
最初の過去世では、
神父さんを好きになっちゃいけないって
自分を律しているけど、
特にそれが苦しいわけでもなく、
次の過去世では
修行をしているけど、
それをつらいと思っているわけでもなく・・・。
なんか、自分を律しながら
そういう生き方をするのも
いいなあって思っているというか・・・。
あっ・・・・・
それかも!
過去世でたくさん修行をしてきた人の中には、
今生でも気づかずに、
「修行」を継続している方がけっこういらっしゃるのです。
ミオさんは本当に多忙な人で
いつも納期に追われる仕事をたくさん抱えています。
そんな折、
誰かれとなく彼女を訪ねてくるので
ますます時間が足りなくなるのですが、
断われないというか、
自分では断っているつもりでいるけど、
相手は気づかずに来ちゃうというか・・・。
ミオ:3回に1回ぐらいは断るようにしているんですけど、
断わっても、なぜか来ちゃうんです。
私:それ、断っていないのでは?
ミオ:う~ん・・・
そうなのかなあ・・・・
彼女、とにかく、やさしくていいいい人だからなあ・・・・
「お客さんの来訪を断れないサブパーソナリティ」を呼んでみると、江戸か、もうちょっと古い時代の僧侶が出てきました。
山の中の庵で暮らしています。
村人が訪ねてくると相談にのっています。
365日、24時間受け入れているので、
自分だけの時間を持つことが難しいようです。
ときにはひとりで心行くまでのんびりしたい・・・・
そう思うこともあるのですが、
人の役に立ちたくてこの道を選んだのに、
ときにはひとりでのんびりしたいと思うなんて、
まだまだ自分は我欲を手放すことができていないのだ、
修行が足りない、と自らを律してしまいます。
この過去世の書き換えがとても面白い!
村の若い女性がやって来て、
「坊さん、あんた、そんなことしてたら、身体壊しちゃうよ!
いくらこんな仕事してるって言ったって、神様じゃないんだからさあ!
生身の人間なんだから、ちゃんと休みを取らなきゃ!」
お坊さんは苦笑いを浮かべています。
彼女は強行手段に出ます。
庵の手前では、道が二股に別れています。
右の道を上がって行くと庵に着くのです。
日曜日になると、
女性はその分かれ道に立っている木に、「本日休み」と書いた札をぶら下げるのです。
それを見た村人たちは、そのまま引き返していきます。
そんな事とは知らないお坊さん。
「今日は誰も来ないなあ。
日曜日だからなのかなあ」と思っています。
毎週日曜日には誰も来ません・・・。
あるとき、不思議に思って見に行くと、札が・・・・。
さては、彼女の仕業だったか。
村人の間には、「庵は日曜日は休み」というのが定着し、誰も訪れなくなったので、お坊さんは週に一度、ゆっくり休めるようになりました。
これを書き換えたのですが・・・・。
なんと、この札を作った女性は、私です! 笑
この過去世がもし、先ほどの「海、坂、教会」の過去世と関わっていたならば、書き換えたことにより、ミオさんへの影響がなくなるハズなのですが・・・
一連の「修行」に関する過去の感情がかなり強そうなので、このあと、「一括消去」をしました。
これは「上」が教えてくれたやり方で、ある感情を解放する際に、類似の感情も全部一緒に解放してしまうやり方です。
「まだ修行が必要」
に類似の感情を一気に集めて光へと返しました。
さて、経過をみることにしましょう。
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