(つづき)
それは、川崎市の
「八丁畷(はっちょうなわて)」駅まで
来たときのことです。
駅のすぐそばに、
「八丁畷の由来と人骨」の説明書きがありました。
「八丁畷の付近では、
江戸時代から多くの人骨が発見され、
戦後になっても、
道路工事などでたびたび掘り出され、
その数は十数体にも及びました。
これらの人骨は、
東京大学の人類学の専門家によって科学的に鑑定され、
江戸時代ごろの特徴を備えた人骨であることが判明しました。
江戸時代の記録によりますと、
川崎宿では
震災や大火・洪水・飢饉・疫病などの災害に
たびたび襲われ、
多くの人々が落命しています。」
ああ・・・・・、そっか。
江戸時代、お伊勢参りに行くというのは
まさに命がけだったのかもしれない。![]()
大雨、川の氾濫、洪水・・・。
川を渡し船で渡り、山を越える。
旅行用の装備が整っているわけでもなく、
暑さ、寒さの中、
舗装されていない道をわらじで歩く。
食中毒、疫病・・・。
山には山賊もいたかもしれない。
一生に一度は行ってみたいと意を決して
伊勢を目指したものの、
辿り着けずに
命を落とした人もたくさんいたのだろう。
そう思ったとき![]()
不思議な光景が視えました・・・・。![]()
たくさんの人魂がびゅんびゅんと飛んでいくのです。
伊勢へ、伊勢へ・・・・![]()
![]()
・・・・・・・・・・
伊勢に、行きたかったんだね・・・・。
鏡が修復され、
元号が変わったこのタイミングで。
私が旧東海道を歩くと、
そこに眠っていたいにしえの魂たちが
むくむくと掘り起こされて
一斉に伊勢へ向かって飛んでいくかのようでした。
だから、体が引っ張られるのか。
自分の意思というよりも、
これ、ミッションですか? (苦笑)
ん・・・・・?
まてよ?
ってことは、ウン十年前に
いつか東海道53次を歩いてみたいなあ、
って思った、その「想い」も、
もしかして
シナリオでいずれこうなることを知っていたから?
あ・・・・・![]()
今、わかりました。![]()
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実は1回目に
「日本橋~品川」間を歩いていたとき、
(ああ、私、昔、こうやって歩いてたなあ)
という感覚があったのですが、
今、このブログを書きながら
当時の「想い」もよみがえってきました。
東海道を歩きながら、
志半ばにして
倒れたり、命を落としたり、
あきらめたりする人々を目にしながら、
いつかこの人たちも
伊勢へ連れて行ってあげたい・・・・。
私はそう「想って」いたのです。
なるほど・・・・。
これはミッションではなく、
単に、
過去の自分の「想い」を成し遂げたいからのようです。
さて、説明書きを見た後は
自然と手を合わせたまま歩き続けました。
そうせずにはおれなかったのです。
そして、4回目のときには
家を出る前に
お数珠を持って行かなくちゃ!と思いつき、
腕にはめて歩いたのです。
この日、ちょっとしたハプニングが起きました。
(つづく)
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