原文そのままを個人的に保存していたものを転載しております。
以下転載
↓
気で見るあの世とこの世
出生と因縁
私達がこの世に生まれてくる場合、当然父が居て母が居る訳ですが、父にはその父と母が居て、母にも同じ様にその父と母がいます。
同様にしてさかのぼって行くと人類の誕生までさかのぼる事が出来るはずです。
つまり、私達はこの様に気が遠くなる程の先祖が居て、初めてこの世に産み落とされたのです。
それらの先祖の内どの一人が欠けても、今の自分はこの世に有り得ないのです。
自分というものに深く関わるこれらの無数の先祖は、全て完全に浄化し魂の世界に旅立っているのかということになると、これはすこし疑問です。
何故なら、前にも述べた様に、400年も前の武士の霊が人間の身体の中から出て来た、という事実が有るのです。
しかも、其の武士は後の世の人々により、丁寧に供養されているにもかかわらずなのです。
この事から、自分に関わる無数の先祖の内に、浄化されずにこの世に思いをとどめてさ迷っている方々が相当数居たとしても不思議ではありません。
事実、ほとんど全ての人間の肉体の中に無数の霊的存在が巣食っているという事は、これも前に述べた通りです。
こんな事を言うと、私自身もかってそうでしたが、「私はこの世に生まれ落ちてこのかた、悪い事は何もしていないし、清く正しく生きて来たのに、そんな不浄な霊的存在に侵されているはずが無い。」と憤慨する人が居ると思います。
確かに、其の人の生きざまと意識の有り様によって、その波動は変 わるわけですが、この世に生まれ落ちてからのそうした生きざまや意識の有り様に関係なく、この世に生まれ落ちた時宿命的に、父や母あるいは生れた土地や家 に関わる先祖系の霊的存在を色濃く受け継いでしまうのです。
これこそ、仏教的に言う因縁なのです。
すなわち、自分自身の責任の範囲外で先祖の因縁を無条件で受け継いでしまうのです。
その質や量は兄弟姉妹皆同じではなく、それぞれ様々です。
例えば、一人だけ非常に強い因縁を受け継ぎ、他の兄弟は健康なのに、その人だけ病気がちであるといった事もあります。
この様に、出生のとき自分の生きざまに関係なく受け継いだ、無数の先祖系の霊的存在の波動がミックスされて、其の人の生まれながらの基本的波動を形成するのです。
では、どのような経過で先祖系の霊的存在を受け継ぐのかというと、父と母が結婚しセックスをする事によって子どもができます。
セックスは、恥骨と恥骨をぶつけあい、お互いが仙骨や骨盤に色濃く持っている先祖系の霊的存在を交換し合う行為なのです。
その行為によって父の家系と母の家系の霊的存在が混ざり合い、その一部が母の骨盤と仙骨に包まれた子宮の中で育つ、子供の仙骨に入り込んでいくのだと思われます。
余談ですが、例えば父が浮気をした場合、父と母の家系に加えて浮気の相手の女性に繋がる先祖系の因縁まで、父を通じて受け継いでしまう結果になってしまう恐れがあります。
又、同様に最近の映画にもあった「あげまん」「さげまん」といった事も現実に有り得るのです。
つまり、男と女がセックスをする。その時、男の持っているエネルギーが女のエネルギーよりマイナスが強い場合は、女の相対的にプラスのエネルギーを受ける事によって男の状態が良くなり、その女は「あげまん」となるわけです。
当然ですが、その逆が「さげまん」となります。
いずれにしても、肉欲にかられて軽はずみに不特定多数とセックスをすると、目にみえない部分でとんでもない因縁を自分の家系に引き込んでしまい、自分だけでなく子孫に至るまで禍を受けてしまうような結果を生んでしまう事が有りますから、くれぐれもご注意ください。
結婚は、縁の有る御互いの家系の因縁を夫婦が力を合わせて浄化していく(=先祖供養)為のものです。
その意味から、二人だけの結婚ではなく家系と家系の結婚であり、先祖に対しても子孫に対しても非常に重大な責任を伴うのです。
不特定多数の人との性交渉を否定する事は出来ませんが、この世的な責任に加えて、あの世的なそれ相当の責任が伴うのだ、ということを忘れてはいけません。
結婚を軽視し、「バツいち」とか「バツに」がもてはやされる今の世の風潮は、霊的な世界の乱れを象徴しているものと思われ、まことに嘆かわしい限りです。
出生と因縁
私達がこの世に生まれてくる場合、当然父が居て母が居る訳ですが、父にはその父と母が居て、母にも同じ様にその父と母がいます。
同様にしてさかのぼって行くと人類の誕生までさかのぼる事が出来るはずです。
つまり、私達はこの様に気が遠くなる程の先祖が居て、初めてこの世に産み落とされたのです。
それらの先祖の内どの一人が欠けても、今の自分はこの世に有り得ないのです。
自分というものに深く関わるこれらの無数の先祖は、全て完全に浄化し魂の世界に旅立っているのかということになると、これはすこし疑問です。
何故なら、前にも述べた様に、400年も前の武士の霊が人間の身体の中から出て来た、という事実が有るのです。
しかも、其の武士は後の世の人々により、丁寧に供養されているにもかかわらずなのです。
この事から、自分に関わる無数の先祖の内に、浄化されずにこの世に思いをとどめてさ迷っている方々が相当数居たとしても不思議ではありません。
事実、ほとんど全ての人間の肉体の中に無数の霊的存在が巣食っているという事は、これも前に述べた通りです。
こんな事を言うと、私自身もかってそうでしたが、「私はこの世に生まれ落ちてこのかた、悪い事は何もしていないし、清く正しく生きて来たのに、そんな不浄な霊的存在に侵されているはずが無い。」と憤慨する人が居ると思います。
確かに、其の人の生きざまと意識の有り様によって、その波動は変 わるわけですが、この世に生まれ落ちてからのそうした生きざまや意識の有り様に関係なく、この世に生まれ落ちた時宿命的に、父や母あるいは生れた土地や家 に関わる先祖系の霊的存在を色濃く受け継いでしまうのです。
これこそ、仏教的に言う因縁なのです。
すなわち、自分自身の責任の範囲外で先祖の因縁を無条件で受け継いでしまうのです。
その質や量は兄弟姉妹皆同じではなく、それぞれ様々です。
例えば、一人だけ非常に強い因縁を受け継ぎ、他の兄弟は健康なのに、その人だけ病気がちであるといった事もあります。
この様に、出生のとき自分の生きざまに関係なく受け継いだ、無数の先祖系の霊的存在の波動がミックスされて、其の人の生まれながらの基本的波動を形成するのです。
では、どのような経過で先祖系の霊的存在を受け継ぐのかというと、父と母が結婚しセックスをする事によって子どもができます。
セックスは、恥骨と恥骨をぶつけあい、お互いが仙骨や骨盤に色濃く持っている先祖系の霊的存在を交換し合う行為なのです。
その行為によって父の家系と母の家系の霊的存在が混ざり合い、その一部が母の骨盤と仙骨に包まれた子宮の中で育つ、子供の仙骨に入り込んでいくのだと思われます。
余談ですが、例えば父が浮気をした場合、父と母の家系に加えて浮気の相手の女性に繋がる先祖系の因縁まで、父を通じて受け継いでしまう結果になってしまう恐れがあります。
又、同様に最近の映画にもあった「あげまん」「さげまん」といった事も現実に有り得るのです。
つまり、男と女がセックスをする。その時、男の持っているエネルギーが女のエネルギーよりマイナスが強い場合は、女の相対的にプラスのエネルギーを受ける事によって男の状態が良くなり、その女は「あげまん」となるわけです。
当然ですが、その逆が「さげまん」となります。
いずれにしても、肉欲にかられて軽はずみに不特定多数とセックスをすると、目にみえない部分でとんでもない因縁を自分の家系に引き込んでしまい、自分だけでなく子孫に至るまで禍を受けてしまうような結果を生んでしまう事が有りますから、くれぐれもご注意ください。
結婚は、縁の有る御互いの家系の因縁を夫婦が力を合わせて浄化していく(=先祖供養)為のものです。
その意味から、二人だけの結婚ではなく家系と家系の結婚であり、先祖に対しても子孫に対しても非常に重大な責任を伴うのです。
不特定多数の人との性交渉を否定する事は出来ませんが、この世的な責任に加えて、あの世的なそれ相当の責任が伴うのだ、ということを忘れてはいけません。
結婚を軽視し、「バツいち」とか「バツに」がもてはやされる今の世の風潮は、霊的な世界の乱れを象徴しているものと思われ、まことに嘆かわしい限りです。