原文そのままを個人的に保存していたものを転載しております。
以下転載
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人間の生きる目的と意識の在り方
肉をもって生きているからこそ、その意識エネルギーを利用して良いエネルギーとも導通出来ますが、肉が滅びてしまえば新たな肉としての意識は発動できませんから、もう自力では浄化できない、他力によって供養という形をとってもらうしかなくなるのです。
そうなってしまうと、今の時代は正しい供養(単にプラスの気を供給してあげるだけの事なのですが。)が出来る人は皆無に近いため、自身の肉が出し続けた意識エネルギーによって束縛されたあなたの魂は、長い間にわたってさまよい続けなければならなくなってしまうのです。
この世は様々な意識エネルギーが多重的に混在していますから、その中のどのレベルのエネルギーと導通するかは、自分自身の意識次第で変わるということなのです。
逆に言えば、常に自身の内に在る素晴らしい魂のプラスエネルギー を意識しているだけで、周囲に偏満している(といっても、肉体の出す意識エネルギーからみれば非常に希薄で弱いものです。念力とも言う様に、意識の力は非 常に強いのです。)プラスの気と導通できると共に、その恩恵にあずかる事が出来るのです。
すなわち、人間の肉が発動する意識エネルギーは諸刃の剣であり、良いエネルギーと導通するか、悪いエネルギーと導通するかは自分の心のあり方一つだということです。
この様に、意識エネルギーは4.5 次元の半物質エネルギーである為、同次元のエネルギーはもちろん、媒体として物質エネルギーとも5次元のプラスエネルギーとも導通出来るのが特徴です。
意識エネルギーをこの世的な欲望として、継続して蓄積し続けると、段々物質的エネルギーに近づき、同じ様な波動を寄せ集めると共に、その欲望がこの世で実現する方向に働き続けます。
つまり、念力の世界です。
こんな場合、たとえこの世でその欲望が実現しても、いずれ死を迎えた時、巨大な欲望の波動に満ちた霊的存在としてこの世をさ迷い続けてしまう事になってしまうのです。
また、意識エネルギーを自身の魂に向け、さらに太陽から出ている、あるいは宇宙に満ちているプラスの気に向けていくと、自身の肉体はプラスの気に満たされ、磁石と同じ様にプラスの気が密度高く肉体を循環し、自分の周 囲を取り巻いている、あるいは仙骨等に染付いている先祖系意識や自意識エネルギーをときほぐし、氷解させていき、さらに柔らかく、細かく、温かく、明るいすばらしい波動へと昇華していくのです。
そして、自分のみならず家族や周囲の人達までその波動で包み浄化していく事が出来るのです。
そんな人が亡くなったとしたら、誰の供養を受けずとも、即座に魂の世界に吸い込まれるように旅立つ事ができるでしょう。
この事こそ、人間がこの世に肉体を持って産み落とされ、生かされていく本当の目的なのです。
この様に考えていくと、仕事や、地位や、名誉や、財産や、その他の物欲や肉欲に囚われ、執着する事のおろかさが自ずから見えてくると思います。
お金で自分の来世を買おうとする行為も同様です。(財産をすべてお布施する行為も、一見清い行為に見えますが、結局は財産という品物で自分の来世を買おうとしているという意味で、全く同じ行為なのです。)
但し、お断りしておきますが、お金がたくさん有って裕福な事や、仕事に打ち込んで楽しい事、あるいは他人から尊敬されふさわしい地位にある事等を否定するものでは決してありません。
要するに必要以上に執着してはいけないが、自然体で、あるがままに精一杯生きて来た結果得られたものなら、そんな素晴らしい事はないのです。
また、プラスの気が充実してくると、そんなに強く意識しなくとも、案外「ふっと軽く思った事」が実現するものなのです。
肉をもって生きているからこそ、その意識エネルギーを利用して良いエネルギーとも導通出来ますが、肉が滅びてしまえば新たな肉としての意識は発動できませんから、もう自力では浄化できない、他力によって供養という形をとってもらうしかなくなるのです。
そうなってしまうと、今の時代は正しい供養(単にプラスの気を供給してあげるだけの事なのですが。)が出来る人は皆無に近いため、自身の肉が出し続けた意識エネルギーによって束縛されたあなたの魂は、長い間にわたってさまよい続けなければならなくなってしまうのです。
この世は様々な意識エネルギーが多重的に混在していますから、その中のどのレベルのエネルギーと導通するかは、自分自身の意識次第で変わるということなのです。
逆に言えば、常に自身の内に在る素晴らしい魂のプラスエネルギー を意識しているだけで、周囲に偏満している(といっても、肉体の出す意識エネルギーからみれば非常に希薄で弱いものです。念力とも言う様に、意識の力は非 常に強いのです。)プラスの気と導通できると共に、その恩恵にあずかる事が出来るのです。
すなわち、人間の肉が発動する意識エネルギーは諸刃の剣であり、良いエネルギーと導通するか、悪いエネルギーと導通するかは自分の心のあり方一つだということです。
この様に、意識エネルギーは4.5 次元の半物質エネルギーである為、同次元のエネルギーはもちろん、媒体として物質エネルギーとも5次元のプラスエネルギーとも導通出来るのが特徴です。
意識エネルギーをこの世的な欲望として、継続して蓄積し続けると、段々物質的エネルギーに近づき、同じ様な波動を寄せ集めると共に、その欲望がこの世で実現する方向に働き続けます。
つまり、念力の世界です。
こんな場合、たとえこの世でその欲望が実現しても、いずれ死を迎えた時、巨大な欲望の波動に満ちた霊的存在としてこの世をさ迷い続けてしまう事になってしまうのです。
また、意識エネルギーを自身の魂に向け、さらに太陽から出ている、あるいは宇宙に満ちているプラスの気に向けていくと、自身の肉体はプラスの気に満たされ、磁石と同じ様にプラスの気が密度高く肉体を循環し、自分の周 囲を取り巻いている、あるいは仙骨等に染付いている先祖系意識や自意識エネルギーをときほぐし、氷解させていき、さらに柔らかく、細かく、温かく、明るいすばらしい波動へと昇華していくのです。
そして、自分のみならず家族や周囲の人達までその波動で包み浄化していく事が出来るのです。
そんな人が亡くなったとしたら、誰の供養を受けずとも、即座に魂の世界に吸い込まれるように旅立つ事ができるでしょう。
この事こそ、人間がこの世に肉体を持って産み落とされ、生かされていく本当の目的なのです。
この様に考えていくと、仕事や、地位や、名誉や、財産や、その他の物欲や肉欲に囚われ、執着する事のおろかさが自ずから見えてくると思います。
お金で自分の来世を買おうとする行為も同様です。(財産をすべてお布施する行為も、一見清い行為に見えますが、結局は財産という品物で自分の来世を買おうとしているという意味で、全く同じ行為なのです。)
但し、お断りしておきますが、お金がたくさん有って裕福な事や、仕事に打ち込んで楽しい事、あるいは他人から尊敬されふさわしい地位にある事等を否定するものでは決してありません。
要するに必要以上に執着してはいけないが、自然体で、あるがままに精一杯生きて来た結果得られたものなら、そんな素晴らしい事はないのです。
また、プラスの気が充実してくると、そんなに強く意識しなくとも、案外「ふっと軽く思った事」が実現するものなのです。