※第二次世界大戦後アメリカが考えたこと、『優秀な日本人を絶対に教育と政治と軍事の分野で世界の№1にしない』。アメリカは日本が日清・日露争に勝利した1905年直後から『日本がアメリカの敵国になった時のことを想定して、日本のすべてを調べ始めていた』のです。そして第二次世界大戦は起こった、日本は負けて敗戦国になった。その敗戦処理において、『日本の軍事と政治と教育だけは植民地化する』、これが第二次世界大戦後の敗戦処理の中でアメリカが決意した実質的な日本人植民地化政策の本性。
①話を明治維新に戻すと、明治維新の急速な西洋文明化これが少しおかしいのではないかと気づいたのが西郷隆盛、明治政府が採用した急速な西洋化に疑問を持ち、「西洋文明にも取り入れるものと取り入れてはいけないものがあるはずだ、2千年の歴史を持つ日本には、絶対に残さなければいけない良い文化があるはずだ」と言い出したが、それこそ多勢に無勢、数の論理・民主主義という多数決で押し切られて最後は下野、そして西南戦争・・・と言うシナリオになっていくのですがその話はまたの機会に。
②なぜなぜ東大や京大は世界の大学ベスト10に入れないのか?
今、世界の大学ランキングベストテンはスタンフオード、ハーヴアート、ソルボンヌ、オックスフオード、プリンストン、イエール、コロンビアという名だたる大学です。その10校のうち8校までがアメリカの大学であります。ナゼどこが日本の教育と違うのか?
なぜ東大や京大はベスト10に入れないのか?わかりやすく2つの例をあげましょう。
アメリカの教育は歴史・社会、政治学と言う人が関わる学問の分野においては 人は特に偉人とか政治家と言われる人のやったことの『功罪の功の部分と罪の部分を同時に教える』、後は生徒が自分で考え判断する。つまりこの部分は真実だと信じる、この部分は真実とは思わない、疑うという風にして『自分自身で真実をひも解く力をつけさせる』。これこそが大学教育だとアメリカは気づいた。
③そして優秀な日本人だけにはこういう教育は絶対に受けさせないとして現在の教育制度つまり正解は一つ、功の部分しか教えない教育、負や罪の部分は子供たちに教えない教育、何よりも知識と記憶力だけを鍛える教育法を戦後の日本人に無理やり押し付けた。
これがアメリカの『日本の学校教育植民地化政策』なのであります。だからそれで育った私たちと私たちの子供世代はもう遅すぎます、手が打てない、洗脳されたし、気づくのが遅すぎたから。例えばノーベル賞受賞者の湯川博士や山中教授の話を聞けばその話は全部正しいと私たちは信じるでしょう、聞く前から。偉い人は皆良いこと正しいことしか言わないと端から思っている。ここが間違いなのです、そういう教育こそが間違いなのです。
④アメリカは良いことも悪いこともするのが人間だと教える。間違えるのが人間だと教える。日本はスーパー・ヒーローは良いことしかしないと教え、ヒーローのやった良いところしか表に出さない。今、明治維新の西郷隆盛や調所広郷のことを話しておりますが、例えれば、西郷のやった悪いことは幕末から明治にかけてのドラマの表には絶対に出てこないでしょう。
先に書きましたよね、明治10年の西南の役では西郷軍1万3千人の軍勢のうち、7千人を道ずれにして死なせてしまった。半年間戦ったのですよ、降伏する機会は幾らでもあった。最後の戦い城山では政府軍の総攻撃の前夜、最終的に「総員全力で戦え、我々の戦い方(死に様)を後世の人たちに知らしめよ」と立て籠もった372名に檄を飛ばし西郷を含む368名が死んだ。
私はこれをイスラムのテロリストと紙一重の危険な思想だと申し上げました。ここは絶対に西郷は間違ったと断言します。
⑤西南戦争のきっかけとなった私学校の生徒たちの蜂起、このとき西郷は「しまった」と言ったのちに、自分の命を私学校の生徒たちにあげようと言って、立ち上がったとか。しかし冷静に考えると、何故西郷は単身で東京に向かわなかったのでしょうか?何故武器を持った若者たちと2~3千人の集団で東京を目指したのでしょうか?これでは完全に反乱軍と断定されてもおかしくない行動ですよね。陸軍大将までやった西郷ならすぐに理解できることです。言いたいことがあれば、単身で大久保に会いに行けばいい。何も蜂起する必要はありません。「蜂起はちょっと待て、俺が大久保どんと話してくる。もし俺が殺されて、鹿児島に帰って来なかったら、君たちの好きなようにしろ」で良かったのではありませんか。これでは敬天愛人の愛人が泣いていますよ。政府に対し「政府に尋問の筋これあり」というのなら、まず西郷が単身で明治政府に確かめに行けばよかった。何も私学校の生徒を道ずれにする必要はなかった。ここの西郷の判断はとても大事なことですよ。
⑥この謎については歴史学者はほとんど解明していません。小説家の書く、已むに已まれぬ熱き想いなどという中途半端な表現で片づけられる問題ではありません。考えられることは、私学校の生徒たちの蜂起の第一報を聞いたときに、西郷が「しまった」と思ったのは事実でしょう、それと同時に「ここが自分の死ぬべき絶好のチャンスの時」と悟ったのも又事実でありましょう。新選組の土方が死ぬべき場所を求め、幕府軍と一緒に行動し、函館五稜郭で壮絶な戦死をしたように、西郷も又、武士として軍人として、自分の死に場所を瞬時に悟ったということであります。征韓論に敗れ、大久保と袂を分かち、野に下った西郷にとって、このままでは政界からも世の中の人たちからも忘れ去られていくという一抹の不安があったかもしれない、少なくとも野に下ってから4年経っています。このまま10年20年経過すれば西郷は単なる昔の人になります。「そんな人がいたっけなあ、あの人は今」にしかならない。冷たい表現だけど、西郷の気持ちをこのように分析したほうが西南戦争の顛末記は分かり易い、納得がいく。西郷の人間性を敬天愛人と表現するなら、西郷は若者たちを犬死させてはいけなかった。だから、私は西郷はここの判断を完全に間違えたと思っています。
⑦同じように錦江湾の月照との入水自殺の件も、「二人で海に飛び込めば、海底に沈んで意識が無くなれば、自分のような体の大きい人間は自然と浮きあがってくるかも知れない」というようなことに西郷はが頭が回らなかった。心中を成功させるなら、事前にもう少し工夫があったでしょうに。
奄美での愛加奈との島婚も理屈からすれば非常におかしな話です。愛加奈が本土からやってきた罪人に惚れるはずがありません。あの当時、調所が田も畑も一枚残らずサトウキビ畑にして、コメもサツマイモも取れない島にした、その本土から来た罪人に利口な愛加奈が惚れるはずがない。しかし牢に入れられない蟄居の身の罪人で有れば、だれかが食事の世話をはじめ、身の回りの世話をしなければならない。大切な罪人の世話だから、島長の娘・愛加奈が選ばれた。彼女にとっては気の進まぬ仕事であったでしょう。それが島に流されて一年もしないうちに西郷と愛加奈が出来ちゃった、だから島嫁にするしかなかった。これが真実でしょう、つまり西郷が愛加奈を手籠めにした。父親としては娘を嫁にしてもらうより方法はなかった。こう考える方が愛加奈の問題は理屈が通ります。
⑧もう一つは、そもそも西郷が敬愛していた島津斉彬が前年の夏に急死して、殉死しようとした西郷を止めたのが月照、その月照が僧でありながら、政治活動をしているとの幕府からの追及で、その身が危険になった月照を連れ、鹿児島まで逃げ帰ってきた西郷。しかし幕府の追及を恐れた島津久光は「宮崎に追放せよ(県境で月照を殺せ)」と西郷に命令する。これが背景にあっての錦江湾、祇園之洲沖での覚悟の入水自殺、自分一人が助かったが、月照と西郷は男色の関係にあった、恋人である月照が錦江湾で死んでから一年も経っていない。そんな状況での愛加奈との結婚生活、ほら、何だか理屈に合わないでしょう。
幕府の追及をかわすために薩摩藩は名前を変えさせて西郷を島送り。前年の2つの大きな出来事を考えると、西郷は恋愛どころか、斉彬と月照の御霊を弔うために剃髪して僧侶にでもなって、読経三昧で暮らす方がこの時の西郷に相応しい生き方だったのでは有りませんか。
⑨しかし、現実には自暴自棄に陥った西郷は暴飲暴食に陥り、結果やせ型の大男が今の我々が知っているような太めの大男に変貌した。愛加奈と所帯を持った西郷は罪を許されて、内地へ帰る時には、嫁は鹿児島へは連れて帰れないという規則を知っていて、二人が一緒になったのですよ、愛加奈にとっては結婚が島を脱出する方法では無かったのです。これらを考えると、あながち先に書いた私の考えも的外れとは言えないでしょう。
つまり、日本人は「西郷は明治の3傑にも選ばれたすごい人、立派な人。だからこの人の生涯を語る時は、おかしなこと間違った行動はすべて無かったことにする」という教育になっているのです。それこそがアメリカの考えた日本教育植民地化政策なのです。これがおかしいと私は指摘します。たとえ、愛加奈との関係が私が指摘するようであったしても、西郷の評価が落ちるものではありません。
⑩西郷は薩摩の偉人で有り、私たちは西郷を誇りに思っています。でも「人間だから、間違いも悪いこともやった、それでも国のためにこんな良いことをやった、西郷ってすごい人でしょう」と良いことの結果で子供たちにその人物像を教えた方が、子供たちは納得しやすいのではありませんか。
子供は馬鹿に出来ませんよ。良いことばかりを書いた偉人伝を読んだ子供が「こんな大人には僕はとてもなれません」と言ったことを私は知っています。小学生であっても「人間は良いことも悪いこともする、少なくとも悪い考えになることがある」ということぐらいは知っています。神の子と言われたイエスキリストでさえ、マルタのマリアを愛人として傍に置いていた、そしてイエスの死後、マリアは人知れず女の子を出産したという説があるでは有りませんか。これこそが本当の話に近いのかもしれません、それが事実であっても、キリスト教がそれでダメになるわけではありません。イエスの教えが色あせる訳ではありません。
⑩「ミスもする失敗もする、人間だもの。だけど皆のために誰も出来ないようなこんな素晴らしいこともやってのけるのが、人間の素晴らしい所なの、頑張れ子供たち」というエールを贈るのが我々大人の使命だと思いませんか。もっと偉人になる壁を低くしてあげませんか、そうしないと、こののち、世界をリードする偉人は日本からは出てこなくなりますよ。
「人間は時として、理屈に合わぬことをするから人間だ」と言えるでしょう。良いことも悪いこともやるのが人間という立場に立たない限り、西郷のこれらの行動は西郷隆盛物語では語りようがありません。「人は良いことも悪いこともする、どんな偉い人も」と子供たちに教えないと。まともな子は偉人になろうとはしませんよ。教育者はここを教えて欲しいのです。そのために私は調所広郷物語を書いているのです。
⑪こういうことを日本の教育は子供たちに教えない。
「私学校の生徒たちが蜂起した時、西郷隆盛は私学校の生徒たちにどういえば良かったのでしょうか?」と言うような教育をしない。西郷だって間違えるのだという立場で教えるなら、子供たちは元気に成長します。偉人と言われる人の判断や行動は何でも正しいという教えは間違いで有ります。正解は先生が教えた答えのみ、それ以外の正解は無いと教えるから、又、4肢択一などという4つの答えの中に必ず正解が一つ入っているというようなマークシート方式の試験のやり方を採用するから、日本人の子供の学力はどんどん下がるのです。こんな教育方法がどこの国にありますか、問題の答えは生徒が自ら考えて出さなければいけません、「どこかに正解が必ず一つありますから、4つの中から見つけなさい」。などという教育は教育ではありません。採点の時間短縮・効率化の為に必要だとおっしゃる方もいらっしゃるでしょうから、どうしても択一式をやりたいなら、4つの選択肢の中に正答が無いという問題を作るべきです。 つづく by薩摩わがまま親父 8月9日