他ゼミの話を聞くと、
結局先生次第で取り組みの内容・成果・負荷も全く変わってくるのかな
ということを感じることが最近多い。
最終的にゼミでの取り組みによって何らかの成長ができるかは
結局自分の熱意次第ではあるけれど、
ある程度ゼミの先生・周囲の姿勢も含めた雰囲気にも
左右される部分も大きいかもしれない。
どの程度新規性を求めるのか
(それも成果なのか、視点なのか、手法なのか、それらを全て考慮するのか)
過去を見るのか、現在・未来を見るのか、
どの程度のアウトプット(分量)を求めるのか、
論理を重視するのか、分析そのものを重視するのか。
ゼミによって随分とカラーが違うのだなと感じます。
自分にとっては、今のゼミにしてよかったと思っています。
(といっても他をよく知って比較しているわけではないけど。。。)
我々のゼミは全体の中では、論文をしっかり書くということを重視している。
そのため、あくまで各自のやる気に左右されるものの、厳しい取り組みが必要だったと
感じている。
こうして1年間、徹底的に考えて書く作業を繰り返したことで、
普段からの思考の癖が全く変わったと感じている。
これが、単なる分析でも成果として認められたり、
書く作業自体後回しでそれほど重視されないようなゼミであったら、
そのような自分の変化は起きなかったのではないかと思う。
そういった意味では、ゼミの選択時には想像もできなかったような、
大きな成果があったということです。
でも、これも結局自分をある程度追いむことができたからでもある。
同じゼミでも、やはり個人差はあるので。
ただ、取り組みの内容自体がどうかよりも、やはり取り組みの意識の低さを感じると
腹立たしさを覚える。
できなくても何とかしようとするのと、何とかしようとする姿勢すら見れないのとでは
大違い。
まして、その過程で最低限のルールも守れず、人に迷惑をかけるなんて論外。
何のために論文執筆をがんばるかは、確かに人それぞれ。
モチベーションは各自大きく異なるだろうが、
いずれにしても、目の前にある課題に常に本気になれることは大事だと思う。
別に卒業するためなら、自分だってこんながんばらなくていいし、
会社にだってそれがわかるわけでもないし、最低限卒業できればいいなら
それなりのやり方は当然ある。
だけど、2年間という長期間ビジネスの現場を離れ、
あえて学びに費やすという決断は、
企業派遣・私費・新卒学生に関係なく共通すること。
あえて働かない時間で、そこで何をするのか?何を目指しているのか?
そいういう自問自答がないままに大学院に来ることに何の意味があるのか?
働いている以上にこの2年間では明確な何か成果がないとだめでしょう。
どう考えても。
当たり前のことだと思うんだけどな。
まあ自分もえらそうに言える立場じゃないかもしれないけど。
だめな点、できなかった点は、課題として明確に残っているから。
まあわかっているだけマシということで。
色々と考えさせられる機会が多い、最近。