部下や相手が安心安全と感じられる部下のホームで話をすべきだというお話をしました。さらに、応用例をいくつか見ていきましょう。

 

私がコンサルティングでかかわっていたある全国展開している大手製造業の法務部の方から聞いた話です。この会社ではパワハラ・セクハラなどの相談窓口を法務部に設けていました。そして、社員から相談があると詳しい話しを聞くために本社に呼び出していました。その際に、ふだん本社に来る機会が少ない支社などの人が本社でしかも法務部のスタッフといっしょにいるところを知り合いの社員に見られては「あの人は何しに本社に来たのだろう?」などと噂を立てられてはいけないと考えていました。そこで、人目につかないように一般社員が立ち入るこのない役員専用フロアにある役員専用の応接室で話を聞くことしていたと言います。わたしがこのホーム&アウェイの説明をしたときに、法務部の部長がこのことを話してくれまして、「これはどうなのでしょう?」と聞かれました。

 

そこで私は、

「ふだん支社勤務の人にとって本社の豪華な役員応接室は安心安全なホームと感じられるでしょうか? 安心してデリケートな問題をすべて話すことができるでしょうか?」

と尋ねました。すると、

「たしかにできないでしょうね」

ということでした。

 

この会社では、くわしい話しを聞こうとせっかく本社に呼び出した人がなかなか詳細を話してくれず、「もう大丈夫です」などと言うので問題は解決済みと処理したケースがかなりあったそうです。実際の事案については私にはわかりませんが、相談者が豪華な役員用応接室で居心地が悪くて、つまりアウェイと感じて一刻も早くその場から立ち去りたいと考えた可能性は高いでしょう。さいわい、この会社では私の話しのあと、面談する場所を相談者によって安心安全と感じられるところに変えてくれました。

 

別のあるメーカーでは定期的に工場の生産現場で働く現業の人たちから日ごろ考えていることや職場の改善提案を聞く機会を設けていました。しかし、ほとんど意見が出てこないのが悩みでした。そうです、本社の会議室へ呼び出してミーティングをしていたのです。工場で働くひとたちにとっては本社の会議室はアウェイに感じられ安心して意見を言える場所ではなかったのです。この人たちがホームと感じられる場所はどういうところでしょうか? 実際に働いている工場の現場、そうでなければ休憩室や更衣室、食堂なででしょう。この会社は食堂にホワイトボードを運び込み、お茶やちょっとしたお菓子を出して、ミーティングを行いました。いままでにない活発な意見が出たと喜んでいました。

 

また、ある会社では、心が疲れて会社を休職している社員に対して、会社は本人の状態を把握するために月一回面談をしていました。そのために会社に呼び出すのですが、このようなひとにとっては会社自体がアウェイに感じられることがあります。ですから会社ビルではなく、近くの落ち着くカフェなどを利用することを勧めています。いわば中立の「第三国」の利用です。

 

相手のホームに行き、そして本能的に居心地の悪さを感じないパーソナルスペースを侵害しないところで安心安全と感じさせ、相手・部下の本音を出させ、能力を最大限発揮できるようにしましょう。

 

 

部下に近づけばそれでよいというわけではありません。他人が近づきすぎると人はかえって居心地が悪くなります。人はそれぞれ「パーソナル・スペース」があります。パーソナル・スペースとは自分が心地よいと感じる自分の周りのテリトリーです。他人にこれ以上近づかれると不快に感じる範囲です。

 

このことを理解してもらうために、私は管理職研修でこのような実験をしてもらいます。

二人一組になってもらい、ひとりが椅子に座ります。もうひとりが5,6メートル離れて正面に立ちます。そして、立っている人が少しずつ静かに座っている人に近づいて行ってもらいます。そして、座っている人には自分の身体の感覚に注目してもらいます。近づいてくる人を自分の身体がどう感じるかを意識してもらうのです。そうすると、通常1メートル弱くらいのところで「これ以上近づかれたらいやだ」と、ゾクッとなる瞬間があります。そこで手を上げて、近づいてくる人にとまってもらいます。なんどか繰り返すと毎回ここで感じるという距離がわかります。自分からそこまでが自分のパーソナル・スペースです。このパーソナル・スペースの内側まで他人が入り込んできたらいやだと自分の身体感覚が伝えてくれます。

 

次に、立っている人にその場で椅子に座ってもらいます。そして、いまの距離を保ちつつ左右に円を描くように座った姿勢の保ちつつ少しずつ動きます。座っている人は左右のどちら側でどれくらいの角度に相手がいるときに一番しっくりくるか、安心できる、居心地がいいかを感じてもらいます。すると、相手は右のこれくらいの角度の位置にいてもらったほうがいい、左のこれくらいがいいという場所があります。これは個人によって異なります。

 

よくこの角度が90度、つまり直角、に座るのが一番よいと言われることがあります。しかし、わたしが研修で多くの人に指導した経験からするとかならずしも直角とはかぎりません。ただし、ナナメの左右のどちらかであることはほど間違いないです(私の経験上、約5%は左右の差はないひとがいます)。

 

これを実際にビジネスの場で部下と面談するシチュエーションで考えてみましょう。部下と1対1の面談をするとします。あいにく、図2-9のような大きな会議室しか空いていなかったとします。あなたは部下より先に来て一番奥に座りました。あとから来た部下はどこに座るでしょうか? 私が研修をしたある大手企業では管理職の方がこのシチュエーションで部下が自分から最も遠い位置の席に座ったことがあると言っていました。さすがにこの方には「日ごろの部下との関係を考え直したほうがいいかもしれませんね」と申し上げました。この例は極端としてもよくあるのは図2-10のテーブルをはさんで向かえ合わせに座ることではないでしょうか。しかし、この正面に座るのは心理学的には「対立」の位置関係になります。よくあるのは国同士、たとえば米国とロシアの外交交渉の場などですね。基本的に対立している者同士のきびしい交渉を行う位置関係です。部下との面談には向きません。

 

では、このような部屋を1対1の面談で使うことになったらどのような位置に座ればいいでしょうか? そうです、先ほど考えたようなナナメですね。左右のどちらかに部下を座らせたらよいかは部下に直接聞きましょう。前に述べたような一歩一歩歩いてもらったり、左右を少しずつ動かしてもらったりすることはなかなかできないので、部下に

「君が話しやすいところに座ってもらいたいので、ためしに左に座ってみて。次に右に座って。どちらが話しやすそう?」

と聞いてあげて、部下が話しやすいと感じるほうに座らせましょう。

 

例えば、狭い部屋ではどうでしょうか? 対面で座ったらまるで警察署の取調室で取り調べを受けているみたいですね。この場合も部下が安心安全と感じられ話しやすいように左右どちからのナナメに座るのがいいでしょう。

このように、上司と部下の物理的な位置・距離はとても重要です。マズローの仮説を再び引用すれば、人は安全欲求が満たされてから、社会的欲求や尊厳欲求を求めることができるのです。

 

つまり、あなたが部下に何かを聞きたい、部下から意見をしっかり引き出したいと考えたときには、上司であるあなたが部下を自分のデスクに呼び出すべきではありません。あなたが部下のデスクまで行くべきです。そして、そばにある椅子を引っ張ってきて座って、部下と同じ態勢、高さ、で目線を合わせて、部下に話しかけるのです。

 

このことによって、部下は自分のホームにいるわけですから、安心安全の場を確保ができているので、組織への所属意識や貢献感にもとづき、自分の本音を話すことができるようになるし、じっくり考えて創造力を発揮することができるようになります。

 

次のような感じです。

「山田君、ちょっといいかな? ここに座っていい?」

と言って、部下のそばに座ります(部下から見てどれくらいの距離、方向に座ればいいかは次項で詳細に考えます)。そこで部下の話しをしっかり聞けばいいのです。

 

このことをある大手企業の管理職研修で話した時にあるマネージャーは

「上司である自分が部下のところへ行くなんて負けです」

と言いました。しかし、「負け」とは何でしょうか? 上司と部下は勝ち負けの勝負しているのでしょうか? あなたは部下に「勝ちたい」のですか? それとも、よりよいチームを創って成果を上げたいのではないですか?

 

「現場主義」という言葉を聞いたことがあると思います。優秀な経営者は現場を重視します。松下幸之助さんや本田宗一郎さんは松下電機や本田が大企業になったあとでも、しょっちゅう工場や販売店など行き、現場の人に話しかけていたと言われています。社長室に部下を呼び出しているだけではほんとうのことはわからないと知っていたのです。

 

英語でもManagement By Walking Around(MBWA)という言葉があります。「歩き回ることによるマネジメント」ということです。欧米でもすぐれた経営者・管理職はとにかく現場へ行きます。

 

どうしたら部下にとって安心安全な場をつくることができるでしょうか?

 

ここで「ホーム&アウェイ」という概念をご紹介します。

サッカーでは、「ホーム」とは自分のチームのグランドで試合をすること、アウェイとはその反対で相手チームのグランドで試合をすることです。自分のホームで試合をする場合は、ピッチの芝の状態もよくわかっているでしょう。バックヤードの施設なども使い慣れていてよくわかっています。応援してくれるサポーターも圧倒的に自分のチームのほうが多いですね。つまり、ホームは自チームがリラックスして力を発揮できる安心安全と感じられる場、文字通りホーム(自宅)と言ってよいでしょう。

それに対し、アウェイの場合はその反対の「敵地」です。ピッチの状態はよくわからない、設備施設にはなじみがない、自チームのサポーターは圧倒的に少ないなどの本来の力が発揮しにくい、やりにくい環境です。

 

ビジネスの現場でもこのホームとアウェイがあります。部下と上司の関係で考えてみましょう。部下にとっての安心安全と感じられる、つまりホームと思える場所はどこでしょうか? アウェイと感じる場所は?

 

例で考えてみましょう。

上司であるあなたが部下を自分のデスクまで「佐藤君、ちょっと来てくれる」と呼び出したとします(図2-5)。あなたは自分の椅子に座ったまま、部下はその前に立っています。そして、あなたが部下に

「君、この報告書、このままで部長に出したの? うーん(まずいなあ)」

と言って首をかしげます。

このときの部下である佐藤君の気持ちはどうでしょうか?

上司であるあなたに報告書をチェックしてもらえてよかったと安心していられる気持ちでしょうか?

あるいは、居心地が悪くここから一刻も早く逃げ出して自分の席に帰りたいでしょうか?

そうですね。そのようなところからはすぐにも立ち去りたいと思うでしょう。そのときにあなたが

「大丈夫か?」

と尋ねたらどうでしょう? 

部下は

「ちょうどお聞きしたかったことがあるんです。ここなんですけど、、」

と素直に聞くでしょうか?

おそらくそうはなりません。部下にとってはここは居心地が悪い、安心できる場所はではないのです。部下にとっては、まず自分の安心安全を確保するということが優先されます。ですから、とりあえず、

「大丈夫です」

と言ってここから逃げ出すことを考えるでしょう。その結果、問題が議論されることなく先送りされてしまうというようなことが起こりうるのです。

問題が表面化したときにあなたが

「あのとき大丈夫と言っただろう!」

と部下を責めることになりかねません。しかし、部下が言いたいことを言えない環境・立場に追い込んだのは上司であるあなたなのです。

 

以前に、上司の役割は成果を上げることと部下を育てることだと言いました。

部下のパフォーマンスを最大限に引き出すことは、チームとして成果を上げるためにも、部下を育てることにおいてもとても重要なことです。

部下にしっかり考えさせ、十分に言いたいことを言わせるには部下は自分の安心安全が確保されていると感じるている必要があります。そのためには、部下にとって自分のホーム、安心安全と感じられる場所、を利用することが必要なのです。

 

上司の役割は次の二つだと前章で言いました。

 

1.成果を上げる

2.部下を育てる

 

それでは、部下を育て、成果を上げていくにはどうすればいいのでしょうか? まず、部下とのコミュニケーションをどうすればいいのか考えていきましょう。

 

そのためには、どんなことを指示するか、質問していくのかを考える前に考慮すべき重要なことがあります。

それは、部下にとって、安心安全な環境を創ることです。環境とは物理的な場所などの環境のことです。部下が心理的な安心をつくるためにはまず物理的に安心を感じられる場なのです。

 

マズローの欲求5段階説を聞いたことは多いでしょう。マズローはアメリカの心理学者でした。人間の欲求には段階があり、その下位のレベルの欲求が満たされてから次の欲求を満たそうとするというものです。一番下位は生存(生理的)欲求で、サバイブ(生き残る)ことです。食事、睡眠、排せつなど生きていくために最低限必要なものです。動物が求めるのはこのレベルの欲求です。今の日本人では生存欲求が満たされていないという人はほとんどいないでしょう。その次の欲求は安全欲求です。脅威や危険を避ける安全を求める欲求です。この安全欲求が満たされると次に三番目が社会的欲求を求めます。組織に所属し、良好な人間関係を創ることなどを求める欲求です。会社員であること、コミュニティに所属することなど自分の居場所があるという欲求です。これがないと孤独を感じたり、不安を感じやすくなります。フランスの社会学者のデュルケームは人は貧困よりも社会的連帯を失い疎外感を持った時に絶望し時に自死にいたると言いました(「急性アノミー(無連帯)」)。

 

マズローの説では、その次の欲求が尊厳(承認)欲求です。社会的にひとから認めれたい、尊敬されたいという欲求です。そして、その上の欲求が自己実現欲求です。自分の能力を十分に引き出し創造的な活動をしたいという欲求です。

 

このマズローの説に対し、科学的ではない、立証されていないという批判があります。たしかに、マズローが検証した人の数は多くなく、また成功した有名人を入れるなどサンプリングに問題はありました。しかし、ひとつの考え方・仮説とすればわれわれ人間の欲求の質の変化をうまく説明できるのです。

 

これをビジネスの現場に当てはめて考えてみましょう。現在の日本の企業・組織の中で生存欲求が満たされないということはまずないでしょう。

問題となるのは次の欲求、安全欲求です。ひとは安心安全な場にいたいという欲求があります。自分の安心安全が脅かされる可能性がある場合には十分なパフォーマンスを発揮することはできません。ビジネスの現場でもひとは安心安全を求めるのです。たとえば、部下は緊張したり委縮したりしていたら言いたいことも言えません。部下が安心して話しやすいようにするのは上司の責任です。傾聴の方法など聞き方について学び考える上司はいます。しかし、物理的な環境は軽視されがちです。部下のパフォーマンスを最大限に引き出すことができるようにするためにはまず部下が安心・安全と感じられる環境を考慮しましょう。

 

インターネット業界のリーディングカンパニーであるグーグル社は社員の働き方でも最先端な研究を行っています。同社では社内にある180近くものチームを分析し、どのようなチームがもっとも成果を上げているかを詳細に調査しました。その結果わかったことは成功しているチームには「心理的な安心感」が重要だということです(Charles Duhigg, 2016)。

 

次項でこの安心安全な場をつくる方法について詳しく考えていきます。

 

だれもが時代の変化を感じています。高度成長は遠い昔としてもバブル時代をいまだに懐かしむ中高年は多くいます。だれもが昇給昇進し、それなりの地位と生活を享受できた時代。大企業においては、年功序列、終身雇用が当たり前でした。そのため、若手社員には「仕事は何年かけても先輩や上司の背中を見て覚えろ」で通用したわけです。若手社員もいまはつまらない単純作業しかしていなくても、いずれ上司のようなやりがいのあるおもしろい仕事をさせてもらえる、という希望があったので耐えることができました。

 

しかし、ご存知のようにもうそのような時代ではありません。新入社員の3割が入社3年以内に退職します。「実力主義・成果主義だ」、「プレイング・マネージャーだ」といわれ、自分もノルマを達成するのに必死で部下としっかりかかわる時間もないとなげく管理職は多いです。あなたもそのひとりかもしれません。

このような中、従来型のいわゆる「上意下達」の上司・部下の関係は成り立ちません。「10歳離れたら宇宙人と思え」とは前に言いました。ひと昔前の感覚では、部下はついてきません。

 

それではこれからの上司・部下の関係はどうあるべきでしょうか? 

上司はいくつかの役割を同時に持たなくてはなりません。

 

「プレーヤー」  自ら成果を出す。部下のロールモデルとなる。

「リーダー」   ビジョンを明確にし、組織をけん引、指示する

「ティーチャー」 仕事を教える

「マネージャー」  経営資源を管理・活用する

「コーチ」     部下の能力を最大限に引き出す手助けをする

「サポーター」   部下を支援する

 

こんなに多くの役割を持たなければならないのか?と思われるかもしれません。しかし、そのとおりなのです。「プレーヤー」としても、自ら動いて成果を上げなければなりません。わたしがソフトウエア会社の社長をしていたときも自らの売上数字(目標)を持っていました。管理だけする管理職などもうありえません。同時に、「リーダー」としてチームをビジョンに向けてけん引しなければなりませんし、「マネージャー」として経営資源を管理しなければなりません。新人や若手に対しては「ティーチャー」として仕事の基本を教えることも必要です。ときどき、中途半端にコーチングを習った管理職がティーチングはしてはいけない、教えてはいけない、ものだと考えたりすることがありませんが、そんなことはありません。仕事の基礎をまだ知らない新人にはしっかりと教え込む必要があります。

 

そのうえで、「サポーター」として部下の支援をし、「コーチ」として部下の能力を最大限に引き出す手助けをしなければならないのです。

こんなにたくさんのことはできないと思われましたか? しかし、安心してください。この本を読み終わるときには上司として具体的に部下とどうかかわっていけばいいのかが明確になります。

 

ときどき、「うちの部下は自分で考えない(考えられない)」というマネージャーがいますが、多くの場合、そのような部下を創り出しているのは上司自身なのです。日ごろ、部下に「俺・わたしの言う通りやればいいんだ」などと言っていないでしょうか。

 

これについて、交流分析という心理学の考え方を使って上司・部下の関係を見てみましょう。

以前は、上司と部下は親子のような関係だったと言ってもいいでしょう。上司が親(Parent:P)として、子供(Child:C)である部下を保護し、育てます。子供は親に甘えることができます。子供には原則責任能力はありません。親の保護の対象なのです。

また、時には親が子供にわがままを言ったり甘えることもあるでしょう。親は、外では見せないようなだらしのない姿を家の中ではしていることがありますね。子供は親の支配下にありながらも、お互いに依存しあっている関係と言えるでしょう。

 

それに対し、現在の上司・部下は、成熟した大人(Adult:A)と大人(A)の関係なのです。ここには上下関係はありません。上司と部下は責任と役割が異なるだけで、対等なのです(図2-3)。ひとりの人間として尊重するという大人同士の関係です。たとえ、部下が新人で仕事がまだ一人前にできないとしてもその部下をひとりの人間として承認し、リスペクト(尊敬)する必要があります。そうです、「尊敬」なのです。たまたまのめぐりあわせでその人はいまあなたの部下となっているのです。部下をリスペクトするからこそ、部下の存在をまるごと認め、部下のことをしっかりと理解しようという気持ちが生まれます。これこそがこれからの上司に求められることなのです。

同時に、成熟した大人同士ではお互いに甘えは許されません。大人として同じ大人である部下と関係を創っていく必要があるのです。

(続く)

 

資料作成についても簡潔・明瞭にします。

例えば、パワーポイントの資料では、1スライド・1メッセージにします。メッセージは主張です。イイタイコトと言い換えてもいいです。一枚のスライドにはひとつのイイタイコトだけを書きます。イイタイコトが複数になる場合はスライドもその数だけに分けます。

 

具体例で見てみましょう。たとえば、『○○市場は急拡大しており、当該市場における当社製品の売上も順調に伸びていてお客様の評判もよく、さらなる成長が期待できる。そのため、同市場向け事業にさらに投資をするべきである』と言いたいとします。これを一枚のスライドですべて表現しようとする人がいます。しかし、これは間違いです。主張を詰め込みすぎています。途中のロジックの検証があいまいになりかねません。

 

これを次のように一枚のスライドでは主張、イイタイコト、をひとつだけ述べるようにします。

 

・○○市場は急拡大している。

・当社製品の売上も順調に伸びている。

・お客様の評判もよい。

・したがって、同市場向け事業にさらに投資すべきである。

 

と分けるのです。それによってロジックがすっきりし、イイタイコトがより明確になります。もしこの中で論拠が不十分な部分があればそこを検証すればいいのです。

 

そして、一枚のスライドでは一番上のタイトルにこの主張をそのまま書きます。通常、タイトルに項目名を入れる人が多いです。『○○製品の売上の推移』などです。しかし、これは主張、メッセージになっていません。『売上の推移』では売上が上がっているのか、下がっているのかわからないからです。したがって、タイトルにはそのスライドで言いたい主張、本体にその主張を裏付ける客観的な論拠を書きます。グラフや図でわかりやすく示すといいでしょう。

 

このように『主張(イイタイコトひとこと)←論拠』という組み合わせでスライドを一枚ずつ作成し、全体の資料を作成します。

口頭でも、メールや資料でも一度にメッセージはひとつ、ひとこと、が重要です。

 

 

そうはいってもいきなり寡黙になるのには不安があるかもしれません。その場合は話す量を半分にすることを心がけてください。多くのマネージャーは話しすぎなのです。簡潔・明瞭な発言を心がければ半分にすることは難しくありません。コンサルティング先の管理職の人に部下の話しをよく聞いてくださいというと『聞きたいのはわかっているのだけど、忙しくてなかなか時間がない』という人がいます。しかし、そのような人に限って、自分が話過ぎているのです。

 

あるクライアント企業の中で部下から『話しをちゃんと聞いてくれない』と言われている部長がいました。本人と話してみると、

『おれはちゃんと部下の話しを聞いている』

と言います。そこで、30分の部下との1ON1(1対1の面談)を録音してもらいました。その音声をその方と私で聞きました。上司がどれくらい話して時間を占領しているかストップウオッチで計りながら聞いたのです。すると、30分のうち、約9割も上司がしゃべっていたのです。えんえんと話し、ときどき『どうだ?』と聞き、部下は『わかりました』というくらいの反応です。

 

さすがにその上司も『自分が話しすぎですね』と気づきました。部下がなにか話始めようとしたのに上司がさえぎったあなたもぜひ部下との会話を録音して聞いてみてください。自分がどれくらい部下の話しを聞いているかよくわかります。

 

 

メールや資料も簡潔に

 

メールやパワーポイントなどの資料も簡潔・明瞭にしましょう。

メールの場合、まず心がけるのは1メール・1メッセージです。一通のメールにはひとつの論点(イシュ―)のみ書きます。受け取る人が何についての内容なのかすばやく理解でき、どうリアクションすればいいのかがわかりやすいようにします。1メッセージならば他の人は転送することも簡単にできます。ひとつのメールに複数のことが書かれていると転送する際に関係ない内容や送ってはいけないことなどを切り張りしなければならなくなります。

 

メールの件名は内容が簡潔・明瞭にわかるようにします。よく件名に『お疲れ様です』とか『○○の山本です』と書く人がいますが、これでは内容がわかりません。件名は、

『××の承認お願いします』とか、

『××の報告:確認お願いします』などとしましょう。

 

もちろん、部下にも1メール・1メッセージの簡潔・明瞭なメールをさせます。

 

部下から提案があった場合、上司であるあなたが答えることは次の3つしかありません。

・承認

・却下(理由は、、、)

・保留(承認になる条件は、、、)

 

『考えておく』は回答ではありません。もしほんとうに考える時間が必要ならばいつまでに返答することを明確にします。もしくは保留で何々がいつまでにクリアできるたら承認するなどとします。上司としての判断力と意思決定力が問われているのです。前項のイスラエル人の上司もメールの返信は短かったです。承認を求めると返ってくるのは『OK』のひとことだけだったりしました。

 

そして、短い言葉で私のモチベーションを上げてくれました。たとえば、『OK. Let's Go!』

だったり、『OK。Great idea!』でした。ときには、

『GO!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

と書いてあり、私はやる気が一気に上がりました。できる上司はひとことで部下のモチベーションを上げることができるのです。

 

逆に、提案を『却下』する場合は部下のモチベーションが一気に下がりかねないので、心理的なケアをする必要があります。短時間でもいいので直接会って説明して、部下をねぎらいます。

話しがやたら長いマネージャーに仕事ができる人はいません。できるマネージャーは話が短いのです。多くの上司はしゃべりすぎです。それは、上司自身が自分に自信がないか、部下の力を信じ切れていないかどちらかの場合は多いのです。いっぽう、できるマネージャーは自分はあまりしゃべらなくても、いや、しゃべらないからこそ、部下の力を引き出すのがうまい。

 

私が外資系企業で幹部をしていたときにイスラエル人の上司がいました。この人がとにかく寡黙なのです。私が

『こんな問題があっていま大変です』

と訴えても

『So?(それで?)』

としか言ってくれません。

そこで、私はまた一生懸命

『さらにこんな問題もあります』

などと訴えるのですが、それでも

『So?(それで?)』

か、もしくは

『And?(そして?)』

だけです。といっても、冷たく突き放した感じではありません。やさしい目で、大きく受け止めてくれる感じです。私は問題の指摘や不満・不平を言いつくしてしまい、『なんとかしないといけませんね』と視点が問題の解決へ向かっていきました。それでも、彼は『So?(それで?)』なので、自分で考えざるを得ないのです。『たぶん、解決法は3つくらい考えられて、A案は~、B案は~、C案は~。うーん、一番良さそうなのはA案ですね。Aを試してみます』と言うと、

『OK。Good Luck!(がんばって!)』

です。毎回、こうなのでやがて私は彼に何か言うときは、自分で現状や問題を分析して、解決策の案を考え、アクションの提案も一度に持っていくようになりました。つまり、自分の頭で考えるようになったのです。できるマネージャーは話しが短いのです。

 

まずは部下の話しを最後までしっかり聞きます。聞き切るのです。これがすべての基本です。ところがこれができない上司が多いのです。『ああ、こういうことね』と『いや、それは~』などとつい口をはさみなりたくなるでしょう。上司のほうがよくわかっているし経験もあるから当然です。しかし、ここはぐっと我慢です。

 

部下の話しに

『うん、うん』

『いいね』

と相槌を入れて共感しながらしっかりと聞きます。

『○○なんだね』と部下の言葉をそのまま繰り返します。

『××が大変なんです』

『大変だと思っているんだね』

という感じです。

 

そして、部下が話しやすいように促していきます。それには、

『それで、、、』『そして、、、』で、話しを進めさせます。

『○○というのは?』で、内容を深めます。

『例えば?』『具体的には?』で、より具体的にしていきます。

 

このような簡潔な質問でいいのです。というより簡潔な質問のほうがよいのです。そのほうが部下の本音がより出てきます。

部下の言っていることを分かった気にならないことも重要です。部下が何かの拍子に『最近、つらいんです』と言ったとします。よくありがちなのは『仕事はラクなものじゃないぞ。そんなことでそうする!』と叱責してみたり、『大丈夫。君ならできる!』と安易に励ましたりしていませんか。前に『私が見ている世界とあなたの見ている世界は違う』ということをお話ししました。『つらい』とはどういうことでしょう? そう、なにかもわかりません。ですから、部下にそのまま聞いてみればよいのです。

『え、つらいというのは?』と聞くのです。

部下は会社を辞めたいほど仕事上のことで悩んでいるのかもしれないですし、プライベートでなにか問題があるのかもれしれません。あるいは、飲み会続きではしゃぎすぎて寝不足でつらいと言っているのかもしれません。まずはニュートラル(中立的)に部下の話を聞き切ることが大切です。

『○○というのは?』

はパワフルな質問です。

 

このようなことを言うと『上司が何でもかんでも部下の言いなりにならなければいけないのか』と言う人がいます。それは違います。部下の話しをよく聞いて理解することはその人の意見に必ずしも賛成することでありません。

『あなたはこういうことを考えているということを私は理解しました』

ということを示しているのです。しっかり聞いてもらえた、理解してもらえたと部下が感じられたとき、部下は心を開き、上司への信頼感を持ちます。