上司の役割は次の二つだと前章で言いました。

 

1.成果を上げる

2.部下を育てる

 

それでは、部下を育て、成果を上げていくにはどうすればいいのでしょうか? まず、部下とのコミュニケーションをどうすればいいのか考えていきましょう。

 

そのためには、どんなことを指示するか、質問していくのかを考える前に考慮すべき重要なことがあります。

それは、部下にとって、安心安全な環境を創ることです。環境とは物理的な場所などの環境のことです。部下が心理的な安心をつくるためにはまず物理的に安心を感じられる場なのです。

 

マズローの欲求5段階説を聞いたことは多いでしょう。マズローはアメリカの心理学者でした。人間の欲求には段階があり、その下位のレベルの欲求が満たされてから次の欲求を満たそうとするというものです。一番下位は生存(生理的)欲求で、サバイブ(生き残る)ことです。食事、睡眠、排せつなど生きていくために最低限必要なものです。動物が求めるのはこのレベルの欲求です。今の日本人では生存欲求が満たされていないという人はほとんどいないでしょう。その次の欲求は安全欲求です。脅威や危険を避ける安全を求める欲求です。この安全欲求が満たされると次に三番目が社会的欲求を求めます。組織に所属し、良好な人間関係を創ることなどを求める欲求です。会社員であること、コミュニティに所属することなど自分の居場所があるという欲求です。これがないと孤独を感じたり、不安を感じやすくなります。フランスの社会学者のデュルケームは人は貧困よりも社会的連帯を失い疎外感を持った時に絶望し時に自死にいたると言いました(「急性アノミー(無連帯)」)。

 

マズローの説では、その次の欲求が尊厳(承認)欲求です。社会的にひとから認めれたい、尊敬されたいという欲求です。そして、その上の欲求が自己実現欲求です。自分の能力を十分に引き出し創造的な活動をしたいという欲求です。

 

このマズローの説に対し、科学的ではない、立証されていないという批判があります。たしかに、マズローが検証した人の数は多くなく、また成功した有名人を入れるなどサンプリングに問題はありました。しかし、ひとつの考え方・仮説とすればわれわれ人間の欲求の質の変化をうまく説明できるのです。

 

これをビジネスの現場に当てはめて考えてみましょう。現在の日本の企業・組織の中で生存欲求が満たされないということはまずないでしょう。

問題となるのは次の欲求、安全欲求です。ひとは安心安全な場にいたいという欲求があります。自分の安心安全が脅かされる可能性がある場合には十分なパフォーマンスを発揮することはできません。ビジネスの現場でもひとは安心安全を求めるのです。たとえば、部下は緊張したり委縮したりしていたら言いたいことも言えません。部下が安心して話しやすいようにするのは上司の責任です。傾聴の方法など聞き方について学び考える上司はいます。しかし、物理的な環境は軽視されがちです。部下のパフォーマンスを最大限に引き出すことができるようにするためにはまず部下が安心・安全と感じられる環境を考慮しましょう。

 

インターネット業界のリーディングカンパニーであるグーグル社は社員の働き方でも最先端な研究を行っています。同社では社内にある180近くものチームを分析し、どのようなチームがもっとも成果を上げているかを詳細に調査しました。その結果わかったことは成功しているチームには「心理的な安心感」が重要だということです(Charles Duhigg, 2016)。

 

次項でこの安心安全な場をつくる方法について詳しく考えていきます。