なぜ横浜市電は消えたのか(1) | ボンタンの考察会

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横浜市電が存続している世界を考える上で、まず必要なものは存続理由である。そして、その理由を考える前に、また考えなければならないのは、廃止理由である。
存続させるには、存続させるなりのそれなりの理論が必要であり、その理論を考えるには、そもそもなぜ廃止に至ったのかをもう一度振り替えなければならない。
ということで、今回は横浜市電がなぜ廃止に至ったのかということを考察しよう。

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まず路面電車が廃止されたことは、横浜に限ったことではないということが、理由の一つのキーポイントだ。今でこそ路面電車が走る街は20箇所程となってしまったが、かつては全国で65箇所もあり、総距離にして1500kmにも及んでいたのである。それがなぜこんなに減ってしまったのかというと、自動車の普及である。「モータリゼーション」なんて言葉、社会科の授業などで聞いたことがあるという人もいるんではないだろうか。1960年代、日本は高度経済成長に突入すると国民のくらしは豊かとなっていき、マイカーは爆発的に増加。しかし国土の狭い日本であるため、街には多くの自動車が溢れかえり、ついに道路の主役であったのにも関わらず各都市は路面電車の軌道内への車の進入を許してしまった。その結果、路面電車の運行は困難を極めた。横浜市でも自動車保有台数が35年に5万台であったのが45年にはその5倍に当たる27万台に激増し、同じ10年間に市電の平均時速は15.4kmから11.1kmへと低下してしまったのである。
路面電車は唯一の取り柄でもあった定時性という魅力を失い、次第に客は離れていった。

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さらに、自動車技術の発展から路線バスと路面電車の定員などにあまり差がなくなったことも一つの要因といえよう。戦後の厳しかった燃料事情も好転し、路線バスの方が線路に縛られることなく、設備投資も少なくて済むなど利点が多かったことから重宝されるようになっていった。

そして、従業員の高年齢化で賃金は増大。車両や設備なども老朽化で修繕費も嵩んでいった。乗客は減っていくのにも関わらず、コストは増えていき、電車を走らせば走らすほど赤字になっていくという皮肉な状態となってしまったわけである。(ここからは公営に限っての話となる)公営の路面電車なら、税金だので補填すればいいじゃないかという声もあるかもしれないが、公営交通というのは地方公営企業法という法律の中で`経営は運賃収入などによってによって一切を賄わなければならない`等の趣旨が明記されており、一般会計、つまり税収などとは会計が分離され、独立で採算を採らなくてはならないことになっている。ということは公営交通も、公共の福祉の増進という本来の目的に加えて、企業と同じように経済性を追及しなくてはならないということになる。そのために、運賃は旅客輸送サービスの提供に関わるすべての費用を輸送原価とし、これに将来の輸送サービス提供のために必要な設備投資額などを含む適正利潤を加えて、価格を適正なものにしなければならなかった。しかし、運賃は軌道法および道路運送法により、運輸大臣の認可を得ることになっており、またこれまでの公共料金抑制政策によって運賃を適正な価格にすることはできなかったのである。このような不合理な運賃によって、経済性を発揮することは事実上不可能であり、どこの交通局も赤字に苦しみ財政は火の車となっていった。そうしたことから自治省は`財政再建団体`の制度を掲げる。この制度は交通局などが破綻状態に陥ると、再建の指導監査を自治省の下で行うことを条件に、不良債務を再建債として国が一時的に肩代わりするものであった。しかしその再建策は路面電車の撤去が絶対的なものとなっていた。そして、たくさんの公営路面電車はこの再建策によって姿を消した。1962年3月17日の参議院予算委員会では、建設省と共に軌道を共轄する運輸省大臣斎藤昇が「市電の撤去の問題でございますが、今後やはり路面電車は、できるだけなくしていくように指導をいたしたいと考えております。ただこのためには、これにかわる交通機関がなければなりませんので、一日も早く地下鉄あるいは高架の高速道路、鉄道というものを作りまして、そうして、それができてくるに応じて、逐次なくしていくように指導をいたして参りたいと考えております。御承知のように、市電はそれぞれの都あるいは市において経営いたしております。そこには市民の意向を反映する議会等がございますが、方針としては、そういうふうに指導して参りたいと考えております。」などと述べており、路面電車の撤廃は政府的な単位で行われていたということがわなる。国民の世論も「路面電車は時代遅れの乗り物」というのが大多数を占め、「地下鉄の敷設こそが進歩の象徴」という風潮だった。先述の通り、政府も路面電車へは冷たい政策が採られたが、地下鉄の敷設には手厚い補助を施した。単純に考えれば、惨い政策である。この発展に発展をした今でこそ、路面電車は環境にも人にもやさしく、懐かしい乗り物として脚光を浴びているが、発展途上であった当時からしては、路面電車の撤廃は賢明な判断だったのかもしれない。

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今回は路面電車の撤廃について、全国的に見てきた。次回は横浜ならではの問題に限ってみて行きたいと思う。