度胸は逃げ口上 | *

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↑『ゆきのひとつぶ』と読みます

礼。


「コブは度胸だ!」

とついつい気合を入れてしまうことがあります。
本当にそれでいいのかちょっと疑問になります。

だったらコブの滑り方を教わる必要なんて
ないのではないかなと。


「怖いかもしれないけど思い切って行くぞ!」
って・・・

怖くなくなるように技術を積み上げるのが
練習のはずなのに、練習を怠って、
技術的に確証を持てないまま、
度胸に頼ってしまうことが多々あります。


本来であれば技術として習得すべきことをサボりながら
「度胸」とか「思い切り」とか言う概念に
逃げてしまうことを反省しようと思います♪


というわけで、たまには普段と異なる視点で
考えてみることにします。


たとえば、
「ア」「イ」「ウ」
という運動があって、
「ウ」の部分で思い切りが必要だと感じることがあるとします。


まず疑うべきは、
「ウ」の部分の運動の習熟度が足りないことかなと。
極端な話、条件の易しいところで「ウ」の運動を
余裕で100発100中にしておいた方がいいのではないかと思います。


次に考えるのが、
前段階の「ア」「イ」で、
運動が乱れて、「ウ」に入る体制にないままに
「ウ」をせざるを得ないこと。
「ア」「イ」を条件の易しいところで
余裕で100発100中にしておいた方がいいのではないかと思います。


そして意外に多いと思われるのが、
「ア」「イ」「ウ」は個々では余裕でできるのに、
つなげるとハチャメチャになるケース。。。
原因は、
「ア」の時に「ア」のことしか考えず、
「イ」の時に「イ」のことしか考えず、
「ウ」の時に「ウ」のことしか考えない。
そこではないかと思います。

「イ」のことを考えながら「ア」の運動をし、
「ウ」のことを考えながら「イ」の運動をする。
やりすぎると焦りになりますが、
少しだけそういうことも考えてみてもいいかなと思います。

度胸が全く不要ということはないと思いますが、
準備してできることがあるのであれば、
できるだけ準備しておく、
そこにスポーツの面白さがあるのではないか
と考えることもあります。


だからって、
バンジージャンプや絶叫マシンの準備とか言って、
「風圧耐性の向上」だとか
「重力加速度の予測訓練」だとか
なんでも準備しまくったら、
バンジージャンプや絶叫マシン本来の意味が
損なわれてしまうことも気をつけねばなりません。



何事もほどほどが一番かと思います。


礼。