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三笠市立博物館は

アンモナイトだけではなく、

町の歴史を知る上で必至の

石炭産業の歴史についても

展示物を通して

相当の知識が得られる場所でした。

新品みたいにピカピカの

安全橙(キャップランプ)の充電器とか、

使用感のある安全橙付きヘルメット、

坑内で安全、効率的に作業するための

器具などが整然と並ぶ中に、

採炭労役の囚人の足にはめられた

実物の鉄丸も。

脱走を企てた囚人への懲罰として、

重さ4キロの鉄丸をつけた状態で

作業させられたとかで、

歩くだけでもしんどそう。

 

幌内炭鉱では、

空知集治監の囚人の30~40%が

採炭労役に配され、

一時は全就労者の70%以上だったものの、

不慣れで危険を伴う作業で

病気やケガによる病院収容が続出。

その埋め合わせに、

さらに

坑道掘進、採炭、石炭運搬の

労働強化を強いられ、

20年間で囚人の死亡者は

1152名にのぼったといいます。

 

囚人の道路開削工事の出役しかり、

採炭従事者しかり、

北海道開拓の歴史の背後には、

こうした多くの犠牲者たちの存在が

あったということを、

何十年と生きてきて

今回初めて知ったのでした。

 

同行する母は、

当然のごとく

そうした事実を知っており、

何の驚きもなかったようだけと、

私同様、まったく知らない娘は、

鉄丸とか説明ボードを神妙な面持ちで

眺めていました。

 

脚光を浴びる歴史の表舞台と、

伏せられがちな負の裏歴史。

炭鉱施設は表裏一体なのだ

ということを理解した上で、

次に向かったのが博物館を出て

山裾に広がる散策路を巡る

野外博物館エリアです。

結果、この場所が、

今までの旅で立ち寄った中で、

もっとも至近距離で、

ヒグマの心配なく見学できる

炭鉱施設でした。

 

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