『パディントン』さん感想。ロンドンに響くカリブのリズム。 | まじさんの映画自由研究帳

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「くまのパディントン」さんは、オイラが幼い頃に読んだ絵本だ。謙虚だけど、おっちょこちょいで失敗ばかりしながら、人間の生活に慣れようとする姿はとても愛らしく、大好きな絵本のひとつだった。「パディントンさんが大好きなマーマレード」と言われて初めて食べたその味は、今も覚えている。今思えば、マーマレードが嫌いにならずに済んだのは、パディントンさんのおかげである。そんな訳でオイラは幼い頃からパディントンさんの事は「パディントンさん」と呼んでいたので、オイラは彼の事を呼び捨てにできない。パディントンさんと呼ばないと、どうも居心地が悪い。

そんな作品が満を持して映画化された。テディベアのような、もふもふの毛並みで、丁寧にCGで描かれたパディントンさんは、生きたぬいぐるみのように愛らしかった。彼の声を演じるのは、中性的な魅力を持つ若手実力派俳優ベン・ウィショーである。落ち着きのある、英国発音の心地よいその声は、癒しの効果さえ感じられた。

人間役の俳優も負けていない。ブラウン一家の父親に、英国のコメディ俳優ヒュー・ボネヴィルが当たり、保守的な英国の父親をコミカルに演じている。優しい頑固者は彼の持ち味であり、見事なハマり役だった。
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また、僅かな登場ではあるが名優ジム・ブロードベンドが出ており、優しさが滲み出るような演技に思わずほっこりした。

悪役のニコール・キッドマンも見所である。シルバー・ボブが似合っていて、とてもキュートだが、想像以上に身体を張ってて驚いた。トム・クルーズのパロディを、文字通りの体当たりで見せるシーンは、思わず目頭が熱くなった!

カラフルなロンドン街並みと、多様なジャンルの音楽が相まって、見事な世界観を構築している。ステッペンウルフの名曲が流れたのも、パディントンさんがまさに“Born To Be Wild”なのだからなのだろう。英国は、紳士の国であるのと同時に、ロックの国でもあるのだ。

まるで絵本の中から飛び出しパディントンさんと出会えたような懐かしさを味わえた。それと共に、大人になってから気付く事もあった。

可愛らしいこの作品には、実は社会問題に対するメッセージが込められていたのである。劇中、カリビアンバンドが登場し、陽気なカリプソの名曲が流れる。一見、ミスマッチに思えるが、彼らは戦後にロンドンにやって来た移民であり、彼らの南国のリズムは、今やロンドンに定着した文化のひとつとなっている。そうか、パディントンさん移民なのかと気づかされる演出だ。彼の名前の由来であるパディントン駅には、きっと移民と関係があるに違いない。そんな思いで調べてみる事にした。

オイラも初めて知ったが、パディントンさんの歴史は古く、1958年に初版された事がわかった。
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1958年10月に発売された初版本

そこで、その時代のロンドンを調べてみた。
1950年代の英国は戦後の復興により、インドやカリブ海の旧植民地からの多くの移民労働者を受け入れた。移民労働者たちは皆、港から英国鉄道に乗ってパディントン駅を降り、ロンドンにやって来た。彼らは駅の周辺にある地区に住み着いた。今では流行の発信拠点と知られるノッティング・ヒルは当時、カリブ系移民の街になっていた。
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当時のノッティング・ヒルの様子

だが、移民労働者に職を奪われたと思う白人労働者の不満は募っていった。
そして1958年8月、ついに大規模な暴動が起きてしまった。事の発端は、ロンドンから離れたノッティンガムの街のパブで、黒人の青年が白人男性を刺殺したという事件だった。そのニュースを見たロンドンの少年たちが集まり、鉄パイプやチェーンを持って、ノッティング・ヒルカリビアン達を次々に「黒人狩り」と称して襲撃したのである。更に、ロンドン中から不満を爆発させた白人労働者が数千人以上も集まり、暴徒と化した。
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暴動が起きた当時のノッティング・ヒル

家屋に火炎瓶レンガを投げ込むなどをして、ノッティング・ヒルは、戦場のような様相となった。この暴動は警察隊が鎮圧するまで一週間も続き、多くの死傷者が出た。この暴動以降も襲撃は続き黒人たちは長い間、白人からの不当な差別を受けた。

絵本の「くまのパディントン」さんが出版されたのは、この事件の2ヶ月後の事である。

そんな時代に生まれながら、この絵本では一般的な英国人家庭のブラウン一家が、異国から来たパディントンさんの起こす騒動に戸惑いながらも、彼を受け入れていく姿が描かれた。パディントンさんは、いつも失敗して騒動になるが、彼に悪意はなかった。ただ、少しだけ常識が違うだけで、文化の違いに戸惑っているだけだ。時には誤解されてしまう事もあった。だがそれは、失敗して学ぶ事で、ロンドンの生活に少しずつ馴染んでいく過程であり、謙虚さには紳士的に返し、笑って許そうという英国流の精神が描かれている。
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人種や文化の多様性を受け入れる事の尊さを説いた絵本だったのである。

ノッティング・ヒルでは、事件から7年後の1965年、事件の起きた8月に、カリブの文化を英国に伝えるノッティング・ヒル・カーニバルを開催した。カリブのリズムで歌い踊る、リオのカーニバルのようなお祭りである。
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暴動事件を記憶に残し、二度と起こさない願いが込められ、このカーニバルは毎年開かれた。70年代頃まで襲撃事件は起こっていたが、それでもノッティング・ヒル・カーニバルは続けられ、次第にカーニバルを楽しむ英国人も増え始め、年々規模も大きくなり、ノッティング・ヒルは平和な街になった。今では英国女王陛下が開会式で開会宣言するようになり、ヨーロッパ最大のカーニバルとなった。
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今では黒人だけでなく白人も参加している

毎年8月のノッティング・ヒルは、多くの観光客で賑わう。こうして数十年の歳月を経て、カリブの文化が英国にもたらされ、英国流にアレンジされ、ファッション音楽へと昇華していった。90年代には『ノッティングヒルの恋人』に見られるような、ロンドンで最もオシャレな街へと発展したのである。この影に絵本「くまのパディントン」さんがもたらした影響も、少なからずある。ノッティング・ヒル・カーニバルパディントンさんは、ロンドンにおける人種差別を乗り越えた歴史の象徴なのである。

この映画では、舞台は現代のロンドンに置き換えられており、その中に、カリブ系移民のバンドが狂言廻しとして登場する。
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彼らが演奏しているのは、カリプソという音楽だ。ジャマイカなどのカリブ海で発達した音楽で、レゲエのルーツだと言われている。元はアフリカからカリブ海に連れて来られた黒人奴隷たちの歌であり、アフリカからカリブ海を経由して、英国にもたらされた音楽である。このバンドのメンバーを見ると殆どが高齢で、かつての暴動時代を知るメンバーもいるようだ。そんな彼らが、歌うのが
“London Is the Place for Me”
である。



ロンドンは私の街
ロンドンは素敵な街
フランス、アメリカ、
インドやオーストラリアに行っても、
戻って来たくなる街はロンドンだけ。

と、陽気なカリプソのリズムで、ロンドンへの愛を歌っている。

それは、憎しみの連鎖を断ち切り、悲劇を乗り越えた移民の歴史を背負った歌である。彼ら陽気なリズムの裏には、そんな歴史があったのだ。

この映画がこの時期に製作されたのは偶然ではない。現在、ヨーロッパに広がる難民の問題は深刻だ。先日もドイツでは、市民が難民の居住地区に手榴弾を投げ込む事件が起こり、デンマークでは、ムスリムが食べる事を禁じられている豚肉を、学校給食に使用する事を義務付ける法案が可決したというニュースが流れた。
難民を受け入れて助けてやりたいと思う気持ちと、受け入れるには数が多過ぎて対応しきれない現実。数を制限する国や、難民の受け入れ自体を拒否する国など様々だ。確かに難民を受け入れれば、経済にも影響が出るだろうし、文化の違いによる衝突も起こるかも知れない。この問題をどう考えるかは国や人それぞれであり、それはすぐには答えの出ない難しい問題だと思う。


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だが『パディントン』さんには、大きな問題の中の、忘れてはいけない本質が描かれているように思う。
我々個人にとっての難民問題とは、として難民を受け入れられるかではなく、助けを求める目の前の人と、どう向き合うかである。我々個人にとって、難民と向き合う事は、決して難しいことではない。所詮、人と人の出会いに過ぎないのである。難民だから、〇〇人だから、〇〇教徒だからではなく、ひとりの人間として向き合えばいいのであると、この『パディントン』さんは説いているのではないだろうか?少なくとも、現実のと意思疎通を図るよりは、難しい事ではないだろう。