技巧派ヴァイオリニスト=デヴィッド・ギャレットが、演じているニコロ・パガニーニの伝記映画。クラシックを愛する監督『不滅の恋/ベートーヴェン』のバーナード・ローズがメガホンを取り、史実と伝説を元にし、19世紀に現れた、希代のロックスターの寓話を作り上げた。
まず、ギャレットが弾く、パガニーニを劇場の音響システムで堪能できる事に、この映画の価値がある。
俳優ではなく本物のヴァイオリニストを主演に起用するアイデアは面白い。演技よりも演奏の説得力が増す。ヴァイオリ二ストが出てくる映画では、必ずと言っていい程、弓の使い方が音と合ってない。だが、この映画では、ライブレコーディングは元より、別録の音源に対しても弓の動きは正確だ。弓が弦を走り、松ヤニが煙を上げる表現は、俳優が演じるヴァイオリニストではなかなか観られない。本物の演奏家だけが持つ説得力があった。
また、ジャレット・ハリスが演じるウルバーニは、史実ではただの従者だが、マネージャーとして悪魔的なプロデュース能力を発揮しているのが面白い。
さすが名優、静けさの中に力強い演技を見せている。ファウストのメフィストテレスのように見せているのだが、その表現に対して、物足りなさがあった。シューベルトの「魔王」の主題をいくら流そうが、彼の悪魔性は見えて来ない。劇中、ウルバーニは従者としての契約書を結ぶのだが、意味深な契約の内容は、最後まで明らかにはならない。コレは「作中に登場した手紙は明かされなければならない」基本的なドラマツルギーに反する。そうでなければ、あの契約書を交わすシーンは必要のないものになってしまう。契約に縛られたという表現も、特にない。ウルバーニの表現は、パガニーニが悪魔に魅入られた天才ヴァイオリニストとして、もうちょっとファンタジー寄りにして、過剰に見せても面白かったのではないかと思う。
超絶技巧を編み出し、自身の曲に取り入れたパガニーニは、誰にもマネの出来ない演奏技術で、19世紀の時代に登場した。
それは、エレクトリックギターの音を歪ませた、ディストーションを始めて聞いた人類の衝撃と同じだったに違いない。
かつて、ブルースからロックを生み出したギタリスト、ロバート・ジョンソンが、悪魔に魂を売ってテクニックを身につけたという伝説があるように、人は新しいものを恐れる傾向がある。特に19世紀では、その感覚も強かったに違いない。パガニーニをロックスターとして描くのは、間違っていなかった。
だが、今回の作品では、ロンドンでのスキャンダルを主軸に描いているため、ロンドンがメインの舞台となっている。だが、パガニーニを描くなら、彼が最も輝いた、音楽の都ウィーンでの活躍を描くべきである。ウィーンでのパガニーニ・フィーバーは、ウィーンっ娘たちを虜にしたのは勿論、名だたる作曲家たちをも魅了し、社交界で酒池肉林の限りを尽くしたパガニーニが観たかった。
「パガニーニの純愛とか別にいいから、そっちを描くべきだよ」と、この映画を捧げられたケン・ラッセル先生も、草葉の陰からそうおっしゃっている事だろう。
だが、多分、この映画のDVDは購入するだろう。
いろんな事を差し引いても、この映画でのギャレットの演奏は、とても魅力的だ。中途半端な彼の演技以上の魅力がそこにあった。
酒場で借りたヴァイオリンで演奏した「ヴェニスの謝肉祭」が最高だった。酒を飲みながらアレを生で聴けた時代が羨ましい。
コンサートシーンでは最も有名な「24のカプリース」を力強く演奏し、「ラ・カンパネラ」なども、ほぼアレンジなしで素晴らしい演奏をしている。
もう一度言おう…。
ギャレットが、アレンジせずに演奏しているのである!
技巧派ヴァイオリニスト=(デヴィッド・ギャレットは、クラシックを普通に演奏するだけでは飽き足らず、新しい分野を開拓するとかで、自身のアルバムでは、電子楽器を使ったロック的なアレンジのものが多い。80年代に流行った「フックト・オン・クラシックス」みたいなアレンジで、妙に古臭いアレンジをしている。本人はカッコイイと思っているようだが、コレがちっともイケてないのだ。ギャレットはまだ若い。そんな彼がパガニーニを演じるのは、まだ早過ぎたのかも知れない。
だが、そんなギャレットがこの映画では、クラシックをそのまま演奏している。ギャレットがストラディバリウスの超絶技巧で掻き鳴らし、変なアレンジなしのパガニーニが聴けるのは貴重である。
思わすサントラを買ってしまったが、いつものギャレットのダサいアレンジがされていてガッカリした。しかし、この映画ではギャレットがストレートプレイで奏でるパガニーニを、劇場の大きなスピーカーで堪能できるのだ。そこに、この映画の魅力が凝縮されているのである。