『テルマエ・ロマエ Ⅱ』感想。銭湯は平和の象徴。 | まじさんの映画自由研究帳

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まずは元気な白木みのるが、スクリーンで見られるだけで、この映画の存在意義は満たされていると言えるだろう。
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『てなもんや三度笠』を始め、多くの時代劇などでお茶の間をほっこりさせた、偉大なコメディアンである。松竹新喜劇出身で、新宿コマ劇場、新橋演舞場、明治座など数多くの大舞台で名を馳せたベテランが、スクリーンで見らる事は、最上の喜びである。

また、前作に続き、いか八朗の再登場も心を打つ。しゃがれた声で「ヘイヘイホー」と歌う姿は、ルシウスでなくとも眼が潤む。
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そして、最近、役に恵まれなかった北村一輝のいい芝居が見られるのも魅力である。二役を見事に演じ分け、演技の幅を見せている。
50歳を目前にした阿部寛が、鍛え上げた肉体を披露しているのも見所だ。草津温泉では、湯もみ踊りの横断幕を見事な手際でトガ(古代ローマ人の代表的な衣裳)のように着こなす手際は見事だ。
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どうしようもないほどのいい加減な脚本の映画なのに、これほどまでの役者たちが素晴らしい演技を見せているのはずるいとしか言いようがないw

さて、このシリーズは、古代ローマのテルマエ技師ルシウスが、タイムスリップして、日本文化にカルチャーショックを受ける姿が滑稽であるのだが、これは、現代の「彫が深い民族」たちが日本に来て受けるカルチャーショックにそのまま当てはまる。我々「平たい顔の民族」が誤解しているのは、古代ローマ人のルシウスの常識が古く特殊なものなのではなく、我々の文化が異常だという事だ。

日本に当たり前のようにある銭湯という公衆浴場なるものは、西洋には殆どない。古代ローマ帝国にはあったが、滅亡と共にそれはなくなってしまった。
キリスト教は、神の前では平等だと言いながら、個人主義の文化なので、風呂は住居にあった。貧しい者を「慈悲の心」で、全てがととのった自宅に住まわせ風呂に入れてやる事が、ステータスシンボルとなった。
イスラム教には沐浴場があるが、身と心を清めるという宗教上の意味を持ち、頭や身体を石鹸でゴシゴシする類のものではない。ましてや歯も磨いたりはしない。
日本では、コストの高い風呂付き住居は少なく銭湯が発達した。価格統制が敷かれ、全国どこでも同じ料金で入湯できる。裸になれば誰しも番台の前で平等なのである。と、言いながら、常連専用ロッカーなるヒエラルキーがある事は忘れてはいけない。
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銭湯も温泉も日本独自の文化として成長し、スーパー銭湯なる施設へと発展して、とうとう温水プール化した施設も登場した。映画では、日本最大級を誇る湯~とぴあグループのウォーター・スライダーが出てくるのだが、オイラは未だ、水着を着て入る銭湯に違和感を覚える。
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日本に来た「彫りが深い民族」は、ジャグジーで裸になり、ビーチでは水着を脱がない事に驚くと言うが、スーパー銭湯で水着を着るようになった今、日本の海水浴場に於いても、水着を脱いで身体を焼く美女たちの登場が、各方面から期待されている事は言うまでもない。

風呂だけでなく脱衣所などで見られるマッサージチェアもまた、日本独自のものである。按摩という東洋医学の経験を基に、最適なツボを刺激する為、最先端のセンサーなどの技術を使ったハイテクメカである。日本は、こうした東西の技術が融合した製品が、ごく当たり前にある国なのだ。
家電量販店などで、マッサージチェアに座って驚く「彫りが深い民族」を何度か目撃した事があるが、リアクションが面白いので、是非、観察する事をオススメしたい。
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また、1秒でも早くトイレから出たいと思うのが、国際的にごく普通の考え方で、トイレに快適性だけでなく居住性までをも求めるのは、世界ではあり得ない考え方だ。ましてや、そんな場所で読書など、常軌を逸している。
ルシウスだけでなく、来日した「彫りが深い」セレブたちも驚く日本の便器は、世界に誇れる文化である。マドンナは、ホテルの温かい便座が恋しいと言い、クロエ・グレース・モレッツは、自動で開く蓋に困惑したと、動画でツイートした。ディカプリオはシャワー式トイレに感動し、最先端のハイテク便器を即買いして帰国し、それを知ったウィル・スミスは取り寄せて自宅に設置。適温な湯が、絶妙な位置に当たる感触を楽しんだと言う。
奴隷制度が当たり前な文化のルシウスが「奴隷たちよ…すまない…」とまで言わしめた「平たい顔の民族」の、飽くなき快適性の追求と、技術の結晶なのである。
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取って付けた幼稚な脚本には呆れるばかりだが、それぞれのネタが面白いので、思わす笑ってしまう。不思議とコレが絶妙なバランスに思えてしまうから不思議だ。ぬるめのいい湯加減なのだ。
だが、そんな脚本の中で、テルマエを平和の象徴として捉え、市民の戦意を沈滞させる効果があるとの古代ローマ元老院の分析がなかなか興味深い。風呂に入れば誰しも癒される。そこには平和がある。この映画には、反戦への祈りが込められていた。時流に流され、各地で銭湯が減っているが、この映画がそれに歯止めをかけるクサビになればと思う。

銭湯に入って、戦闘をなくそう。
なんちゃって。