新宿は歌舞伎町で歌舞伎を観てきました^_^ | 星の小屋日記帳

星の小屋日記帳

庭先に置いたキャンピングカーを「星の小屋」と名付けて憧れの小屋暮らしをしています。
星空観察、クラシック音楽鑑賞、歴史、自然観察、そして時々水彩画など多趣味な男のお喋りブログ、
話題の振幅の激しいノンジャンルの無国籍饒舌ワールドです(^^♪



昨日5/13(火)、今月の抗がん剤服用の5日目で身体の怠さがまぁまぁにMAX❓キツイ頃ですが、5/3の拙記事『水頭症のトラウマ』に書いた様な「駅のホームのヨチヨチ歩き」どころではなく道路上もヨチヨチと歩きながら新宿は歌舞伎町まで『歌舞伎町大歌舞伎』を観に行ってきました。



👉①ヨチヨチ歩きとかの跛行(足を引きずって歩くこと)は上記記事にある様に水頭症のトラウマばかりが原因ではなく、月一回5日間連続服用の抗がん剤服用時の副反応?副作用?で身体全体が怠くなった時にも出る症状でした💦

一緒に行ったカミさんと娘も辛抱強く待ってくれ、時には手も引いてくれました^_^
②歌舞伎町というとガチで怖い事件の舞台になる歓楽街ですから、日中とはいえ緊張しました😅

さて冬の内から予約して楽しみにしていた5月の『歌舞伎町大歌舞伎』ですが、歌舞伎といえば
東銀座の歌舞伎座、新橋演舞場、半蔵門前の国立劇場という印象が強かったですが(あ、新春浅草歌舞伎の浅草公会堂もあった😝)、今の世では魑魅魍魎が徘徊していそうな(?)「歌舞伎町」というその名もズバリの街で本当に歌舞伎公演があるとはビックリ👀でした。

会場は最近出来た『歌舞伎町タワー』6階の『シアターミラノ座』という場所でした。
まるでオペラハウスか❓と思ってしまう名称ですが、オペラも歌舞伎も歌や音楽、踊り、そして演劇が融合された舞台という意味では洋の東西を問わない「総合芸術」でしたね👅

この『歌舞伎町タワー』とは昔の『新宿ミラノ座」という有名な映画館の跡地に建ったのだそうです。知らんけど👅

僕はそのちょっと奥にあった新宿コマ劇場(座席が狭くてキツかった)の跡地かと思ったけどそこにはまた別の高層ビルが建っているみたいね。


で、当日の演目は⬆︎のチラシ裏面の通り。


出演者は中村という名前ばかりで、2月に行った

18世中村勘三郎追悼の「猿若祭大歌舞伎」の様で

中村屋のオンパレード(?)でした。


ですから今回の舞台の引き幕も通常の定式幕の様なお菓子の歌舞伎揚の模様の3色のもの


ではなく

猿若祭と同じこの様な幕で、



これは中村屋の公演独特のものであるといつもの『耳寄屋』のイヤホンガイドで教えてもらいました(笑




「猿若祭」というのも猿若勘三郎という方が初代の中村勘三郎を名乗ったことに因んで中村屋が行っている公演の様ですね。知らんけど👅


ブロ友さんのmametaroさん(尾張大納言様)が3月に行かれた名古屋での『平成中村座』もこんな感じだったのでしょうかネ?


初代の勘三郎は名古屋の中村出身だったんですってね。


名古屋市中村区中村町木下屋敷には豊国神社が在り、中村はその昔、太閤秀吉が露と落ちて生まれた村でしたね。

👉上記「露と落ち」とは秀吉の辞世の歌が「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」であることに因みました👅


して、当日の演目の内容についてあれこれお話しできる様な歌舞伎の蘊蓄は持ち合わせておりませんので、いつもの様に感想は❓と聞かれれば、小学生の修学旅行カンソー文の様に「ハイ、面白かったです」爆笑と答えるのみです(笑


特に三番目の「世話物」と呼ばれる現代劇(江戸時代にとっての「現代」)、『福叶神の恋噺(ふくかなうかみのこいばな)』は所謂「貧乏神」が登場するもので笑いが絶えない楽しいものでした爆笑


そうそう、あと会場のミラノ座ですが、やはり歌舞伎専用の会場ではなく、所謂「芝居小屋」には付きものの「花道」が無く、役者は観客席通路を使って足を踏み鳴らしたり見栄を切ったりしていましたよ^_^


観劇後、どこにも寄らずまっつぐ(真っ直ぐの江戸下街言葉👅)帰りましたが、ヘロヘロになって帰宅してバタンキューでした(笑


👉マイブームで恐縮ですが、三省堂の『新明解国語辞典』には「バタンキュー」の項目自体が載っておりませんでした爆笑

流行語でしたが結局定着しなかった「死語」なのでしょうか❓🌀



星の小屋にてキラキラ