で、当日の演目は⬆︎のチラシ裏面の通り。
出演者は中村という名前ばかりで、2月に行った
18世中村勘三郎追悼の「猿若祭大歌舞伎」の様で
中村屋のオンパレード(?)でした。
ですから今回の舞台の引き幕も通常の定式幕の様なお菓子の歌舞伎揚の模様の3色のもの
ではなく
猿若祭と同じこの様な幕で、
これは中村屋の公演独特のものであるといつもの『耳寄屋』のイヤホンガイドで教えてもらいました(笑
「猿若祭」というのも猿若勘三郎という方が初代の中村勘三郎を名乗ったことに因んで中村屋が行っている公演の様ですね。知らんけど👅
ブロ友さんのmametaroさん(尾張大納言様)が3月に行かれた名古屋での『平成中村座』もこんな感じだったのでしょうかネ?
初代の勘三郎は名古屋の中村出身だったんですってね。
名古屋市中村区中村町木下屋敷には豊国神社が在り、中村はその昔、太閤秀吉が露と落ちて生まれた村でしたね。
👉上記「露と落ち」とは秀吉の辞世の歌が「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」であることに因みました👅
して、当日の演目の内容についてあれこれお話しできる様な歌舞伎の蘊蓄は持ち合わせておりませんので、いつもの様に感想は❓と聞かれれば、小学生の修学旅行カンソー文の様に「ハイ、面白かったです」と答えるのみです(笑
特に三番目の「世話物」と呼ばれる現代劇(江戸時代にとっての「現代」)、『福叶神の恋噺(ふくかなうかみのこいばな)』は所謂「貧乏神」が登場するもので笑いが絶えない楽しいものでした
そうそう、あと会場のミラノ座ですが、やはり歌舞伎専用の会場ではなく、所謂「芝居小屋」には付きものの「花道」が無く、役者は観客席通路を使って足を踏み鳴らしたり見栄を切ったりしていましたよ^_^
観劇後、どこにも寄らずまっつぐ(真っ直ぐの江戸下街言葉👅)帰りましたが、ヘロヘロになって帰宅してバタンキューでした(笑
👉マイブームで恐縮ですが、三省堂の『新明解国語辞典』には「バタンキュー」の項目自体が載っておりませんでした
流行語でしたが結局定着しなかった「死語」なのでしょうか❓🌀
星の小屋にて