ブログの新規投稿を一週間程休み、謂わば沈黙していたとは大文学者でもあるまいに大袈裟な表現だけど、小説家庄子薫(大文学者⬆︎)風に言えば、その間「英気を養っていたのではなく、小人閑居していた」ってことなんだ
👉『さよなら魁傑黒頭巾』中公文庫版P25.
閑居とは何もしないでぶらぶらしていることを指すが、僕の場合はぶらぶらしているというよりも寝室のベッドとテレビのあるリビングのソファとの間をピーナッツ(スヌーピーが登場するシュルツ氏の漫画)のライナスの様にいつも同じタオルケットを持って何度も往復してはほぼ1日中寝ていたことを言います
「まずるか、お前は疲れているのだよ」とか
神様仏様から優しい言葉を投げかけてもらいたくなるなんて思っていた時、こないだの19日土曜日のことだけど、名古屋のよのすけさんから
「おはよう
今回、ヘロヘロ長いですね。異常な暑さが続いてるので、夏バテ?気をつけてね💦」
という何とも優しく且つ温かいLINEメッセージを頂戴しました
よのさんの言うヘロヘロとは8/5の拙記事『ヘロヘロの一週間の始まりです』を引き合いに出していただいたモノです^_^
8/5から2週間も経っていた(><)
https://ameblo.jp/mazurka0843/entry-12814972760.html
そっけない返事ですが
まずるか⬇︎
ご心配おかけします
低質なアウトプットに自らうんざりし、休止期間は上質なインプットに努めようとする毎日ですが、今まで無かったことなんですが身体中の節々が痛むんです
よーし、これからは毎朝ラジオ体操でもやるかなんてことを考えたりしています(笑
さらに優しい「人物の」よのさんのリプライ⬇︎
いやいや、そういう時はダラダラゴロゴロが一番だと思うんだけどね(^^)v
こう暑くちゃ、小屋でノンビリも出来ないのでザンネン(>_<)
ありがたいことです
僕の節々の痛みとは発熱も無いのに散歩にも行かず、ほぼ一日寝室のベッド🛏️とリビングのソファ🛋️を移動して寝転んでは読書したりテレビ画面を見たりしていたことが原因だと思います(><)
入院中から同様の悩みで処方してもらっている「貼り薬」を貼ると楽になるものですから
よのさんとのLINE のメッセージのやり取りを見返しながら
「そうだよ、まずるか、お前はやっぱり疲れてるんだよ」と自分に言って聞かせました
そんなこともあって、ブロ友さんに心配かけちゃならんと昨日一週間ぶりに記事を上げたのは、万がいちアメブロの規約に「長期間連続して新規投稿が無ければ退会しなければならない」という条項が有ったとしたならば、その時効の中断(改正民法では「時効の更新」?)を図った小賢しい思いが有ったからというのが本心だったんだ
👉 時効の中断: 民事では消滅時効の期間が一旦リセットされることを言います
会社員時代には特に期限は設定されずに上司から受けた指示に対して、忘れたわけじゃありませんよ的に上司の堪忍袋の緒が切れる前に小賢しくアウトプットを小出しにする様な時によく使われた言葉です👅
もちろんamebaブログにあんな規約などはありません❗️👅
これまで拘ってきた毎日の連続投稿についてはYahoo ブログを始めて暫く経った頃、ブロ友の「なお爺さん」が、ブログの訪問者数とかアクセス数を増やすコツであるとして教えてくれたことがあったからでした^_^
振り返ってみたら完全退職後暫く経った2018年11月27日からはあの手この手を尽くして何とか続けて投稿して来たものだった。
但し2019年8月〜10月の2度の入院手術(脳腫瘍の再発手術とそれに関係した水頭症の手術)
の時は2015年10月〜12月の最初の入院手術の時と同様にブログ記事のアップは休止していました(><)
それとそもそもブログ開設後11年が経ち、当初のYahooブログからamebaブログに引っ越したこともあり、アクセス数とか訪問者数とかの謂わば自分の「承認欲求」を満たすインジケータというべきものには最早全く興味が無くなっていることもあり、「小人閑居して不善を成す」というザマに陥いるよりも暫くは休養に努めようという気になった訳。
👉でも結局はこの記事休止期間中は記事冒頭の庄司薫の言葉「英気を養っていた」ということになるなんとも締まりの無い事態
してその休養とは、低質なアウトプット(ブログ記事)は控え、その間寧ろ無駄口の材料となる良質なインプットに努めようという思いがあったからです。
for example 、
歴史好き、伝説好きな僕にはこの辺も得意分野の一つで謂わばディレッタントの様な好事家、半可通なもんですから、ネットで見つけて直ぐにポチしたのが左の「聖書時代史」の旧約篇(旧約聖書版の意)
右は以前から持っていた旧約聖書の「創世記」(岩波文庫)。今回はユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信仰する「啓典の民」の始祖、アブラハムが神から選ばれカナンの地(約束の地とも言われる現在のパレスチナ)を目指してメソポタミアから一族を引き連れて遊牧の旅をした部分を読み返したんです。
もちろんユダヤ教、キリスト教、イスラム教の民の「啓典」となっている旧約聖書ですから科学的(人文科学的❓文献史学的?考古学的?)な歴史ではなく強い信仰心から見た伝説というべきものかもしれません^_^
👉旧約聖書は信仰の書であり歴史学としての参考文献には相応しくないのだそうだ(><)
チョイと脱線します
これで行くと所謂「選民思想」とは一般に言われるユダヤ教徒に特定されるものではなく、イスラム教徒が自分達こそが神から選ばれた民であると信じているという解説をネットで見つけたりした🙀
そういえば僕も乗っているキャンピングカーがブームになり出す前くらいの頃、その一般の車との比較優位性から自分達こそ「選ばれた者である」と変に思い込んでいる様に見受けられる人たちが雑誌などで幾つか見られたのは残念なことであった(><).....内緒だけどね💦
ま、ともかく⬆︎の旧約聖書関連の本などは無駄口叩きのエネルギー充填にはピッタンコの本でした(笑
今度は別ジャンルの本
何故に庄子薫の作品⬆︎が上質なインプットになったかというと、あの独特な若者口語風の独白的文体と自分のことを「僕は饒舌なので」と言い放っている姿が、僕のプロフィール・ページに開き直って書いている「饒舌ワールド」の謂れとなったものだったから💦(言い換えれば芥川賞作家の文体やら言葉遣いをインスパイヤーだとかオマージュし過ぎたモノだったりして)
僕の文章にカッコ書きの説明が多過ぎるのもその影響だったんだ
久しぶりにスライド式書架の奥を覗いて取り出して読み直したものだった
それから13日の記事で観てきた映画、Kingdom Ⅲ、
コミックが原作の映画キングダム3にしたって良質なインプットとは言わぬものの、受講している岡田宏二先生の中国通史が始皇帝の中華統一に差し掛かっているところであり俄然興味が湧き上がってきた作品だから無駄口叩きのエネルギー充填にはとても資するモノであったんだ
^_^
しかし昨日の久しぶりの復活記事「流れ星の如く頭を掠め去って行く言葉」は、正に「やっつけ仕事」の「小人閑居して不善を成す」的な記事であったなぁ 何の英気も養われてはいない
小人(僕みたいな人)は暇を持て余してぶらぶらしていると碌なことはしないという意味を身を持って証明した👅(トホホ
星の小屋にて