【4月20日(土)】
多可町中区・徳畑天神社の春祭り(春の天神祭り)宵宮。
中村町、
奥中、
茂利、
の3台の屋台が中区中村町・祇園社へ宮入します。
しかし、徳畑天神社の祭りの時期まで、ほぼ葉桜になっているとは言え、花が残っているなんてとても珍しいことです。
動画↓
祇園社への屋台宮入を見た後は、福崎町へ移動。
後藤又兵衛縁の春日山城へ登城して来ました。
八千種自然活用村のグラウンド横から登ります。
春日山城は、単郭の山城で、周囲に帯曲輪が巻き二条の竪堀があるのが木内氏の測量図では描かれているのですが、
帯曲輪はちょっと入っていけないような藪で、竪堀も確認できませんでした。
なので、城跡の写真と言うより、単なる山の写真になってしまってます^_^;
登城道途中に堀切状の土地がありましたが、ここに堀切があってもな~と思う位置ですので、堀切でないかも知れません。
春日山城遠景。
堀切?
主郭
主郭から福崎の町並みを見る。
帯曲輪は藪^_^;
『春日山城跡案内板』より
「春日山城は、建武年間に築城され、播磨の守護赤松氏の幕下であった後藤三郎左衛門尉基明が初代城主として、現在の福崎町全域と姫路市、加西市の一部を統治していました。応仁の乱には、赤松政則の部下として出陣し、山名の軍勢を破って軍功を立てました。天正6年(1578)9代目後藤伊勢守基信の時に、中国征伐に向かう羽柴秀吉によって城は攻め落とされました。落城してから長い年月を経た今日、城跡が残るのみです。」
確か、この後藤基信と言う武将が後藤又兵衛の父で別所家重臣の後藤基国の兄だったと記憶しています。
つまり又兵衛の伯父さんですね^_^;
春日山城を鍛冶屋熊野神社奥にある登山口方面へ降りたのですが、鍛冶屋屋台庫が開いており、屋台の組立中でした。
5月1日に福崎町八千種地区の7台の屋台が、八千種小学校に集合するそうです。
鍛冶屋屋台は、9時30分屋台庫出発(集合?)、11時に八千種小学校着の予定で運行すると準備をされている方に伺いました。