己斐古城(岩原城) | い~りんのなんとなくブログ

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カープとMAZDA,そしてちょっぴり園芸好きなおっさんが綴る,
全然おもしろくない日記です・・・。

今日は一日気温も高く、いい天気となりました(*^^*)



なので、ぶらっと『己斐古城(岩原城)跡』に行ってみました。




己斐古城は、「広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集」によると、


「本城跡は、柚木城山(標高339.6m)から東南へ延びる丘陵先端に位置している。旧状は麓まで海岸線が迫っていたと考えられる。
 最高所の1郭の周囲に2~3段の郭を巡らせており、背後は不明瞭ながら堀切を配している。
 なお、周囲は開墾が進み城跡の周囲にも多数の平坦面が存在しており、これらの解釈次第では城域が拡大する可能性もある。」
(略測図等はコチラ


とあります。



またまた娘のチャリで出動。西広島駅からほど近い「旭山神社」へ。

(チャリを置かせていただきました。)


まずは参道の階段を登ります。



階段の途中から脇に逸れ、フェンス沿いに進みます。


フェンスには「痴漢に注意」の看板が!?



「妙法寺」の裏を過ぎたあたりから、道の右手(北側)に小さい削平地が現れました。


道の両脇は土塁のようにも見える。


上の写真の右手(北側)にある削平地。


左手(南側)にある削平地。この削平地は、かなり長く、このまま1郭(本丸)まで続いていました。



もう少し進んだところの右手(北側)に3段になっている削平地。


1段下がった削平地。



この削平地には、井戸がありました。


さらにもう1段下がった削平地。


これらの削平地は、「広島県中世城館遺跡総合調査報告書」には書かれていません。やはり近世のものでしょうか?
(広島市教育委員会編『山城』(1982年)には書かれている。)




「広島県中世城館遺跡総合調査報告書」に書かれている城域は、このあたりからです。


1郭(本丸)の下にある郭の手前。道が2つに分かれています。


右の道へ進むと、道沿いに郭があります。


ここで引き返し、先ほどの道を左へ。
(右上が1郭の下の郭(二の丸)になります。)


左手にある、あの“長い削平地”を見下ろす。


二の丸。この下にも郭が2段くらい続いています。


上の写真の郭から1段下がった郭とさらにもう1段下がった郭。


二の丸から1郭(本丸)を見上げる。


1郭(本丸)に続く階段。


これを登ると、


1郭(本丸)に到着。展望台があります。


井戸跡っぽい窪みがありました。


展望台に登ってみます。(この後に起きる悲劇も知らず…。)
暖かい空気に湯気が不気味に立ち込めています。


南側(海側)の眺望はありません・・・。


ただし、北側の眺望は良かったです。
(己斐新城(右の山)と立石城(奥の山)が見えます。)


1郭(本丸)の南側下にある削平地。これも郭か?
(ここから下にも何段か削平地があるが・・・。)



1郭(本丸)の背後(西側)には堀切のようなところが。

(右側が1郭(本丸)。)


振り返ってみる。左側が1郭(本丸)で切岸のように削られています。



そして、1郭(本丸)から更に奥(西)に続く道があり、


その先に案内板があります。
(振り返って見たところ。)


(以下、案内板より)
「この山城跡は、自然地形を巧く利用し、地面を平らに加工したり(郭)、深く掘り込んだり(堀切)するなど、防御を固める様々な工夫を施して造られています。このような山城跡は、広島市内から200近く見つかっていますが、大部分は戦国時代(1467~1578)を中心とした時期に造られたものと考えられ、大小の山城がそれぞれの領地を取り囲むように配置されています。
 この山城跡の場合は、大田川河口の西端、眼下に広島湾を出入りする船舶を監視することのできる絶好の位置に造られており、当時は麓まで海岸線がせまっていたものとも考えられますので、船着場を伴った水軍城であったかもしれませんね。城主等の記録は残っていませんが、急斜面に造られた数多くの郭が当時の面影をしのばせてくれます。」



さらに道は、この山の最高所まで続いています。
ちなみに、前出の『山城』では、このあたりからが城域になってます。


足元には、加工されたような跡がある石がありました。



右手には階段が。これを下りると高須台団地の公園があります。


先ほどの道を進むと、最高所の手前にある分かれ道があります。
(それぞれ別の登山口に通じていました。)


ここが最高所。標高は103.8mだそうです。『山城』では、ここが1郭となっています( ̄□ ̄;)!!


その背後には、空堀状のものが。



というわけで、「広島県中世城館遺跡総合調査報告書」と「山城」との縄張図のギャップに翻弄されながらの登城となりましたが、1郭(本丸)を始めとした郭の跡がはっきりと残り、他にも謎の削平地も多くあるなど、なかなか見応えのある城だったと思います。


ただ、1つ。


みなさん、展望台には気を付けましょう(*^.^*)
ズボッ!! キャーーーーー(→o←)ゞ



『己斐古城』
・所在地:広島市西区己斐西町
・別名:岩原城
・規模:標高103m、比高90m
(「広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集」より)

(柚木城山から見た己斐古城)