なぜ若者は下流志向になるのでしょうか。 | 誰もが、ふと、いい感じになれる。

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自らへの約束
偉そうな文章は記さない。
教えるというような意識は排除する。
やみくもに啓発を意識しない。

 学生や若年労働者が下流志向に陥る気持ちは、なんか分からないでもないです。


 社会秩序が維持され、それが当たり前になってますし、


 『秩序』って、実感したことありませんから。



 PCでブログ書いて、安全で、食べれるおいしいご飯があって、お風呂・ベッドがあって、勉強できる環境があって…・・・・・。


 それが当たり前・当然になりすぎています。


 (インフラの定義ではなんで「当たり前のように」みたいな言葉を使われるんでしょうか。)


 下流意識になるのは、公的扶助で繋がる国、社会保障で繋がる社会、この自己意識が視えないからだと思います。



 これがまざまざとありがたみを実感してたらハラハラしますけれども(+o+)


 「歩いてすぐ買い物出来るコンビニがあって、こんな平で綺麗な道を歩けて、静かなところで勉強できて、毎日違うもの食べれて…・・こんな贅沢すぎる環境に私は一体何を返せばいいのでしょう!!!うわぁー!!!!!!」 

 みたいな…ね(;一_一)



 しかし、法律より共同体を優先していたこれまでの日本だったら多少なりとこんな考えだったのではないでしょうか。
 

 今は変わってます。


 弁護士数、米国=国民約290人に1人,日本=約6300人に1人、だから増やすってどういうことなのかイマイチ分かりません。 (裁判に時間かかり過ぎるというのは置いといて。)


 リーガルとかコンプラってほんと寂しくないですか??


 株式持合いみたいなのはグローバルスタンダードの時代に合わないからアメリカナイズってどういうことか分かりません。


 アメリカのロールズの正義論を日本が倣ってるのか分かりませんが、




 市場原理主義とかキャピタリズムとか、


 そんなんを絶対的に素晴らしいもんにしてるから、

 


 「勉強してなんになるんだ?そんな働いてなんになるんだ?」


 って考えになるんじゃないかって思います。

 
 勉強や労働というリスクに対して、相応以上のリターンを求めるという考え方になりませんか。


 「微分なんか勉強しても役に立たないしぃ~(-。-)y-゜゜゜」


 
 まだ私が学生だから言えることかも知れませんが、教育を受ける環境は贅沢すぎると思います。


 文科省なり、先生なり教授が全体に発信してくれている手引きはとてもありがたいことだし、こんな環境があって、自分で身につけるように努めるぐらいして当然だよと、


 何が面白くないだよ、と、


 少し前までの自分に言いたいです。


 反省してます…・・・。


 豊かな時代の方が返すバリューは大きいですよね。


 末流意識社会とは言わずに・・・。
 

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