どんな車のクラッチ部分にも、
「アソビ」という余裕があり、
ノートにも本にも「余白」があります。
何か目標に向かっている時でも、
どんな組織の長になったとしても、
この道を歩むと固く心に決めたとしても、
自分のこんな状態がベスト、と知っていたとしても、
「ぶれてもいいんだよ」
今、そんな感覚が、
私の中に訪れています。
それは、
「目標を見失ってもいいんだよ」ってことではなくて
「ふらふらしていいんだよ」ってことでもなくて(笑)
そうそう、
この夏の台風すごかったですよね!
私の会社が入っているビルが、
ゆーらゆーら揺れたんですよ!!
そして、みんな気持ち悪くなって、、、
1階に避難したんです(本当の話)。
でも、
ビルが揺れなければ、
きっと、
ポキっと・・・折れてしまうんですよね。
とっても大切に思えるんです。
ぶれる、ということが。
心を決めたとしても、
さまざまに揺さぶりは起こります。
外からも、内からも(笑)
過去からも未来からも起こってきます。
感謝する出来事が起こり、
菩薩のような気持ちになって、
一歩外に出て、
自転車にぶつかりそうになって
いらっとしますからね(笑)
でも、
「自分の心の状態が次の出来事を引き寄せる」
ということが、もうわかっている時代だからこそ、
それを観察している自分が主流になってきていますよね。
ぶれたり、
ずれたりするからこそ、
軸というものの位置がよくわかってくる。
ぶれて、もどる、
ぶれて、もどる。
ぶれてはいけない、と思うと
何にも見えなくなって
何にもできなくなってしまいます。
ぶれてもいいんだよ。
ぶれるからいいんだよ。
ぶれてももどってくるから。
おきあがりこぼしみたいに。
ずっと何かを長く続けている人は
必ず結果を出しているように思います。
それは、その道を
ただ歩き続け、
その道を見失わなかったから。
でも、きっと、
ぶれなかったわけじゃないと、
見ていてそう思うんです。
ぶれてもいいんだよ。
ぶれるからいいんだよ。
ぶれてももどってくるから。
おきあがりこぼしみたいに。
その中で、
自分の心と体の感覚で
軸を感じてきた。
決して細くない軸を確立し続けた。
かけがえのない
自分の道を歩み続けることは、
きっと、その繰り返しではないかと
そう感じるのでした。