「縁」とは不思議なものです。
例え、間違いや勘違いが始まりであっても
そこに、何を見て何を感じるのか
そして、どんな行動を起こすのか
それがこの人生の真実を作り上げてしまいます。
無作為であればある程に
潜在意識は
必要な人の元へ運び
必要な事柄を運んできてくれるような気がします。
いつもお世話になっています「こころとからだの癒し人」
もくさん
http://ameblo.jp/mokumiyana/
のブログより、素敵な記事のご紹介です。
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『一本の間違い電話』
二十数年前の話。
A子さん(32歳)の家に
一本の間違い電話がかかってきた。
小学校低学年と思える男の子だった。
男の子
「おとうさん!今日お弁当がいるんだったんだよ」
A子さん
『ぼく、電話番号間違っているわよ』
「えっ!?」
「・・・・・・・・」
「もう、10円玉ないもん・・・」
男の子は受話器の向こうで泣きだして、
それ以上、何も言えず受話器を握りしめている様子だった。
A子さんはいたたまれなくなってしまった。
『ぼく、お名前は?』
『なんていう小学校?』
『何年何組?』
と、ゆっくりとやさしく質問をした。
男の子は泣きじゃくりながらも何とか答えてくれた。
☆ ☆ ☆
A子さんはその日、たまたま会社が休みだった。
泣きじゃくる男の子がかわいそうになったA子さんは、
すぐにお弁当を作って男の子の居る学校へ向かった。
学校に着くと職員室へ行き、
男の子が間違い電話をかけてきたことを伝え、
持ってきたお弁当を担任の先生に手渡した。
昼食の時間、男の子は大好きなタコさんウインナーを
とっても美味しそうにニコニコしながら食べていた。
その日の夕方、男の子とお父さんが、
A子さんの家ほ訪ねてきた。
担任の先生が、お弁当のことを父親に知らせたのだ。
男の子の家は父子家庭だった。
男の子が3歳のときに母親が病気で亡くなったという。
その日を境に、A子さんと男の子、
そして、そのお父さんと3人で、
ときどき食事に出かけるようになった。
1年が過ぎたころ、お父さんは、
「この子の母親になってもらえませんか?」
と、汗だくになりながらA子さんに告白した。
今年、その男の子は結婚式を挙げた。
新郎の母親の席にはA子さんが座っていた。
息子の立派な姿に涙を何度も拭っていた。
(あるラジオ番組の投書より)
『縁』、なんて不思議なんだろう!?
すべての出会いは『縁』あればこそなんだと思う。
でも、その人との『縁』の濃淡は、
過ぎ去って振り返らなければわからない。
自分の思いの強い弱いにかかわらず、
人生は『縁』という目に見えないパワーに
引き込まれてしまう。
逃れたくても逃れられない『縁』。
追いかけても追いかけられない『縁』。
結局は人生、自分の意志とは関係ないところで、
生かされているだけなのかもしれない。