10月18日の京都のジョイントセミナーに、インスピレーション書道アーティストの堀向勇希さんが東京からゲストとして来て下さいました。
彼の素晴らしく突き抜けた「運を開く感性」というゲスト講演を受けて、澤谷先生はその後の講演を「天才性」に変更され言及されました。
それほど彼の才能は素晴らしく、今後も更に沢山の人に希望をもたらすのだろうな・・・と感じさせる輝きがありました!
そんな彼を見ながら、私は小さい頃にタイムスリップしていました。
私は小さい頃から、何ゆえかどこを見てなのか、変に「才能があるね」と言われる事が多かったのです。
しかし、私にとっては嬉しい事でもなんでもなく「なんだ、そんな程度だったのか。」という落胆させてしまう恐怖との戦いでした。
私の中では「才能あるね」と言う言葉と「がっかりしたよ」という言葉が、常にセットだったのです。
なので今でも「才能あるね」という言葉には「ドッキ~!」としてしまうのです。
「また、がっかりさせてしまう。」という恐怖心が物凄い勢いで押し寄せてくるからです。
そんな中大好きな作家、中谷彰宏さんの言葉に出会いました。
そして初めて「あ、もう私は大丈夫!」と思えました。
そこには 「才能を身につけるのではなく、才能を上回る何かを身につけることが大切」
とありました。才能を乗り越える何かを身につけた人が勝つというのです。
例えば、クラブでナンバーワンの女性は、決してクラブで一番の美人ではありません、と。
確かにそうかも知れません。
想像でしかないのですが、きっと聞き上手だったりユーモアがあったり、気配りが出来たり、言葉ではなく雰囲気がとっても癒し系だったり。
私が男性だったら、きっとそんな人を指名するでしょう。
「私はこれが出来る」「私はこれに向いている」「これが上手だ」
素晴らしい事なのですが、実はこれだけでは「もっと出来る人が出てきたら・・・」という恐怖との戦いです。
しかし「こう生きていく」という人は、とっても強いのです!
主導権(パワー)が自分にあるからです。
そういう人は「これが出来る」という価値軸では生きていない、と中谷さんは言います。
そして、こう続いていました。
「私は本が書ける」と言う人と、「私は本を書いていく」という人がいたら、後者の勝ちです。
(中略)「こう生きていく」と言う人は、周りの視線も関係ないし、ライバルも存在しません。
(『君はこのままでは終わらない』 ダイヤモンド社 より)
先日、札幌で友人のひろ美さんが・・・
「みかっち、自分の特性を受け入れなさい。そして、人に役に立って始めてそれは完結するんだよ。肩もんであげたいなと思っても、実際もんであげてはじめて完結だよ。」と言われたのを思い出しました。
その時はっとしたのです。
私に最も足りなかったもの、それは「こう生きていくんだ」という力強い姿勢でした。
才能があるのに・・・なぜ?という人はごまんといます。
改めて・・・才能を逆転できるもの、それは「姿勢」ではないでしょうか。
そして、自分の才能を超えて、自分の才能を力強く発揮せしめるもの、それはまさに「生き様」なのではないでしょうか。