お店で母の日のお花の申し込みが始まった。
もうそんな時期なんだな~と思いつつ・・・
mixiに掲載した日記ですが、今日はちょっとだけ母を褒めさせて下さい(^^)。
先日、「お母さんの踊りをもう一度みたいわ!ファンだったの。」
と言って下さる方がいた。 ありがたかった。
5年程前から認知症を患い、サプリメントとリハビリで頑張っている母。
おかげさまで進行は大変緩やかだ。
若い頃から日本舞踊一筋。
名取になってからは多くのお弟子さんに囲まれ、惜しみなく後輩育成に取り組んできた。
母は山村楽正師匠に薫陶を受け、名取りになった。
「山村龍正」が母の芸の上での名前である。
「龍」という字がとても母らしい。
元気な頃は、小さい体からあふれ出るパワーは凄かった。
踊りも、どちらかというと「男前」な踊りが秀逸だった。
「黒田節」に「三番叟」・・・
切れのいい母が出てくると、お年よりの方々の目が輝いた。
母の親友のお弟子さんが、父だった。父から見れば思いっきり「格上」。
どうやって口説いたのだろう?(笑)
今でも「おっしょさん」と笑いながら介護をしたりする父。
母が言うには「こんなにアホみたいに楽天的に生きている人がいるんだ。」と驚きだったという。
私も、人生の危機に、何度となく父の楽観主義に救われたと思う。
小さな島に嫁いでからは40年、旅館をこなしながら、ボランティアで島の敬老会や文化祭などで必ず踊ってきた。
また、島の主婦の方々による一大勢力「舞踊部」を立ち上げ、率いてきた。
母がいなくても、今でも「舞踊部」はちゃんと機能している。
松下幸之助さんがいなくても、パナソニックがあるように(笑)。
県からは「のじぎく賞」「こうのとり賞」、沢山の感謝状を頂いた。
認知症になってしまい、思うように話が出来ない今でも、私と散歩していると、島の人たちは
「おっしょさん、ご機嫌いかが?」と話し掛けてくれる。
リハビリ施設でも、自分がリハビリを受けながら(笑)日本舞踊を披露して、人に尽くす。
昔とった杵柄は、本当に病があってもしっかりと体に染み込んでいる。
私も、たとえ年老いて何かの障害が出てきても、母のように、人に尽くす人でありたいと思う。
前頭葉の萎縮であるがゆえに、記憶はそのままで、だんだんわがままで人間らしさがなくなっていってしまう姿を見て、やるせない気持ちになって、怒ったり、嘆いたりしてしまっていた私。
雪柳が大好きだと言う母。
母のことを冷静に振り返り、尊敬し、大好きだった頃の母を思い出せた。
今日からまた、頑張ろう!と思わせてもらいました。
感謝です!