今まで似てると言われて嬉しくなかった芸能人は? ブログネタ:今まで似てると言われて嬉しくなかった芸能人は? 参加中
本文はここから

私は、器量よし(死語?)なので、そういうことは、ございません(笑)

まあ、しかし、一番、みんなが、納得がいくのは、不二家のペコちゃん、みたいです。

まあ、いまや、ペコちゃんの母か、ヘタしたら祖母だけど…。

同い年の従姉は、早婚系で、もうじき、孫ができるかも、と、こないだ久しぶりにあったら、いっておりました。

19で娘産んで、その娘が、19で、また、産んだら、40歳でおばあちゃんだもんね…。

アンビリーバブル(((( ;°Д°))))

昔の人は、人生はやいよね~。

ハルカエイテイ
ハルカ・エイティ/姫野 カオルコ
¥1,995
Amazon.co.jp

に、すっかりはまっておりまして、

でも、最近ちょっと忙しいので、中々読み進まないのですが、

今は、戦争が終わって、ハルカさんは、母になりました。

ハルカさんは、見合いで結婚して、だんなさんがすぐ出征してしまい、

いつ死ぬかわからない、夫は、あせって、子作りに励み、

なんだか、よくわからないうちに、母になりました。

昔の人って、こんな感じだったんでしょうねえ。

結婚してから、夫の祖母とよく留守番しており、話す機会が多かったのですが、

明治生まれの義祖母は、結婚式で、初めて、夫を見たと、いっておりました。

昔は、そんなもんだったらしいです。

何々家のお嬢さんと、××家の息子さんが、つりあうから、結婚させるか、という感じで、周りが段取りして、はめ込むものだったんでしょうね。

家の存続が第一だもんね。

まあ、しかし、出会いがなんであれ、相性がよかったら、幸せだったみたいですけどね。


うちの父の母は、新婚生活半年で、夫が出征して、そのまま帰ってこなかったんですね。

だから、父は、自分の父親の顔をみたこともありません。

当時は、そんな人たくさんいたみたいですけどね~。

それが、普通だったらしい。

普通って、その時代によって、変わりますよね~。

私は毎晩、夫の父と二人でごはんを食べてるんですが、

話題がなかったので、戦争中のことを尋ねてみました。

終戦当時、義父は、15歳だったそうです。

今の中3か、高1くらいですね。

まだ、ほんの子供ですよね。

でね、特攻隊に入らないといけないのかしら、どうしようかしら、って、悩んでいたそうです。

当時は、その年になると、志願して死なないといけないような、雰囲気だったんですって。

うちの甥っ子が、今、14歳で、ほんとうのひょろっとしたチビスケでございます。

で、義父と、

ひええ((((((ノ゚⊿゚)ノ、
あんなチビが、あと、2年くらいしたら、
神風特攻隊で、突撃ですか。
人を殺して、自分も死んじゃうんですね。
ひょえ~( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚

ものすごい時代やったんやねえ

と、改めて、平和って、ありがたいな、と、実感した、晩御飯でございました。


ちなみに、義父は、もちろん、特攻隊には志願しておりません。

ピンピンしてるもんね。

なんでかといいますと、学校の先生に相談したら、

「犬死にやから、やめとけ。もうすぐ、戦争が終わるから、新しい日本のために生きて働け。」って、止めてくれたんだそうです。

で、父も別に死にたいわけでなかったので、やめたらしい。

先生にそういうわれて、きっと、ホッとしたことでしょう。

それにしても、あの時代に、そういうことを言って生徒を止めるのは、ものすごく勇気のある発言だったらしいですよ。

そんなのが、憲兵にばれたら、拷問とかされたらしいです。

よくぞ止めてくださったと、義祖母は、死ぬまで感謝してましたな。

当時なかなか、止めてくれるような先生は、なかったようです。

義父は、運の強い人なんだなあ、やっぱり。