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私は、器量よし(死語?)なので、そういうことは、ございません(笑)
まあ、しかし、一番、みんなが、納得がいくのは、不二家のペコちゃん、みたいです。
まあ、いまや、ペコちゃんの母か、ヘタしたら祖母だけど…。
同い年の従姉は、早婚系で、もうじき、孫ができるかも、と、こないだ久しぶりにあったら、いっておりました。
19で娘産んで、その娘が、19で、また、産んだら、40歳でおばあちゃんだもんね…。
アンビリーバブル(((( ;°Д°))))
昔の人は、人生はやいよね~。
ハルカエイテイ
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でも、最近ちょっと忙しいので、中々読み進まないのですが、
今は、戦争が終わって、ハルカさんは、母になりました。
ハルカさんは、見合いで結婚して、だんなさんがすぐ出征してしまい、
いつ死ぬかわからない、夫は、あせって、子作りに励み、
なんだか、よくわからないうちに、母になりました。
昔の人って、こんな感じだったんでしょうねえ。
結婚してから、夫の祖母とよく留守番しており、話す機会が多かったのですが、
明治生まれの義祖母は、結婚式で、初めて、夫を見たと、いっておりました。
昔は、そんなもんだったらしいです。
何々家のお嬢さんと、××家の息子さんが、つりあうから、結婚させるか、という感じで、周りが段取りして、はめ込むものだったんでしょうね。
家の存続が第一だもんね。
まあ、しかし、出会いがなんであれ、相性がよかったら、幸せだったみたいですけどね。
うちの父の母は、新婚生活半年で、夫が出征して、そのまま帰ってこなかったんですね。
だから、父は、自分の父親の顔をみたこともありません。
当時は、そんな人たくさんいたみたいですけどね~。
それが、普通だったらしい。
普通って、その時代によって、変わりますよね~。
私は毎晩、夫の父と二人でごはんを食べてるんですが、
話題がなかったので、戦争中のことを尋ねてみました。
終戦当時、義父は、15歳だったそうです。
今の中3か、高1くらいですね。
まだ、ほんの子供ですよね。
でね、特攻隊に入らないといけないのかしら、どうしようかしら、って、悩んでいたそうです。
当時は、その年になると、志願して死なないといけないような、雰囲気だったんですって。
うちの甥っ子が、今、14歳で、ほんとうのひょろっとしたチビスケでございます。
で、義父と、
ひええ((((((ノ゚⊿゚)ノ、
あんなチビが、あと、2年くらいしたら、
神風特攻隊で、突撃ですか。
人を殺して、自分も死んじゃうんですね。
ひょえ~( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
ものすごい時代やったんやねえ。
と、改めて、平和って、ありがたいな、と、実感した、晩御飯でございました。
ちなみに、義父は、もちろん、特攻隊には志願しておりません。
ピンピンしてるもんね。
なんでかといいますと、学校の先生に相談したら、
「犬死にやから、やめとけ。もうすぐ、戦争が終わるから、新しい日本のために生きて働け。」って、止めてくれたんだそうです。
で、父も別に死にたいわけでなかったので、やめたらしい。
先生にそういうわれて、きっと、ホッとしたことでしょう。
それにしても、あの時代に、そういうことを言って生徒を止めるのは、ものすごく勇気のある発言だったらしいですよ。
そんなのが、憲兵にばれたら、拷問とかされたらしいです。
よくぞ止めてくださったと、義祖母は、死ぬまで感謝してましたな。
当時なかなか、止めてくれるような先生は、なかったようです。
義父は、運の強い人なんだなあ、やっぱり。