失敗したっていいじゃん! | 繭家の人生こぼれ繭

繭家の人生こぼれ繭

人にも自然素材にも優劣なんかない。『こぼれ繭』と呼ばれていたものに目をかけて、愛情を持って「カタチ」のある製品にする。そこから生まれる「やさしさ」から「人やモノ」を思いやる心が生まれるのだと思います。

もう30年以上前の話ですが…あるベンチャー企業の社長さんから「コジマさんは何回失敗したら諦めますか?」と聞かれて…3回じゃ少なくすぎるから10回って答えた。その社長さん笑って「コジマさん1,000回失敗してみてください。きっと何かが見えてきますから」・それから30年間失敗の連続の毎日ですが、そういう意味では、1,000回はとっくに通り越して10,000回は越えたかな?(単純計算で365日×30年=10,950回)今日もさっき作業しながら失敗しちゃいました。

 

ところで昨晩読んだ幸田露伴の「努力論」の中にこんな文章がありました。「世間で自力のみで新しい自己を造って年々歳々に進歩していく人は非常に少なく、やはり他力に頼って、そして進歩していくいく人の方が多いのである。が、自ら新しい自己を造らんとすることは実に高尚偉大な事業であって、たといその結果は甚だ振るわざるにもせよ、男らしい立派な仕事たるを失わぬのである。いわんや百川海を学んで海に至るであるからして、その志さえ失わないで、一蹶(けつ)しても二躓(ち)しても三顛(てん)四倒しても、起上がり起上がりして敢えて進んだならば、鈍駑(どどん)も奮迅すればあに寸進なからんやであるからして、必ずや一年は一年に、一月は一月に、好処に到達するに疑いはないのである。」

そして露伴は最後にこう述べております。「みずから新しくせんとする人が少なくなれば国は老境に入ったのである。現状に満足するという事は進歩の壮絶という事を意味する。現状に不満で未来に懸望して、そして自ら新たにせんとするの意志が強烈であれば、即ちそれがその人の生命の存する所以なのである。」

ちょっと難しかったけど要するに『つまづいてもしくじってもひっくり返り倒れたとしても、何度もなんども起き上がって前に進んでいけばきっといいことが待っている』と信じて…

 

ちなみに、蹶(けつ)はつまづくこと。躓(ち)はしくじること。顛(てん)はひっくり返ること。鈍駑(どどん)は才知がなくにぶいこと。