1873年ウィーン万博について調べていたら、こんな記事を見つけた。昨晩BSNHKの「美の壷」で椎野正兵衛と宮川香山(真葛焼)について放送しておりましたが、この二人は親友でもあった。椎野正兵衛も宮川香山も万博会場でこの大名屋敷木造模型をながめながら何を語り合っていたのでしょうか…ロマンを感ぜずにはいられません…
大名屋敷の模型修復、140年ぶり公開へ ウィーン万博に出品 2013/3/23 12:06
【ウィーン=共同】ウィーンのハプスブルク家の王宮内にある民族学博物館の倉庫で、明治政府が1873年のウィーン万博に出品した大名屋敷の木造模型が見つかり、博物館は23日までに修復することを決めた。2016年ごろに開く日本常設展の目玉として、約140年ぶりに一般公開する。修復に関するノウハウを持つ京都工芸繊維大が作業に協力する。
ウィーン万博には、富国強兵を進めた日本政府が貿易による産業振興を目指し、国として初参加した。模型は焼いた瓦など本物の建物と同じ精巧な造り。オーストリアと日本の交流史に詳しいドイツ・ボン大のパンツァー名誉教授は「日本文化を紹介し、世界に踏み出すきっかけにしようとした明治政府の意気込みが伝わる貴重な史料」としている。
博物館によると、模型は実物の18分の1程度の大きさで、土台の幅が約3メートル、奥行きが約4.6メートルある。日本が出品した約6千点のうちでも最大の部類だ。御殿のほか、白壁の長屋門や能舞台、高さ約70センチの火の見やぐらも付いており、全体を3つに分けて保存されていた。
「十九区ノ一 武家雛形」と展示場所と出品名の表示もあった。瓦がはがれ落ちるなど損傷も多いが、博物館はできるだけ元の部品を使い、今年秋から約3年かけて本来の姿に戻す。費用は約10万ユーロ(約1200万円)の見通し。
ウィーン工科大も常設展示に向け、小型カメラで模型の内部を撮影し、屋敷内の仮想ツアーの映像をつくり協力する。模型はウィーン万博で展示後、学術団体や貿易博物館を経て、1925年、開設準備中だった民族学博物館に渡った。95年に博物館の東アジア責任者、ベッティーナ・ツォルンさんが発見。オーストリア政府が最近、博物館の改修などに予算を組む方針を固め、博物館は修復に踏み切ることにした。
宮川香山は天保13年(1842年)京都の真葛ヶ原に生まれた。父は陶工真葛宮川長造。幼名は寅之助。19歳の時、父と兄が亡くなり陶工の家を継ぐと父が生前朝廷用の茶器を制作し「香山」の称号を受けていたため寅之助は初代香山の名を名乗り父の得意とした色絵陶器や磁器などを制作。その腕は評判を呼び慶応2年(1866年)25歳の時、幕府から御所献納の品を依頼されるまでになった。明治3年(1870年)29歳の時、薩摩の御用商人梅田半之助、実業家鈴木保兵衛らに招聘され翌年、横浜に輸出向けの陶磁器を作る工房・真葛窯を開いた。