ヒストリカル イフ | 繭家の人生こぼれ繭

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人にも自然素材にも優劣なんかない。『こぼれ繭』と呼ばれていたものに目をかけて、愛情を持って「カタチ」のある製品にする。そこから生まれる「やさしさ」から「人やモノ」を思いやる心が生まれるのだと思います。

久しぶりの歴史ものです。
もし坂本龍馬や横井小楠が暗殺されず、そして幕臣小栗上野介も生きていたら..
大河ドラマ龍馬伝は今月28日に龍馬暗殺で終了です、福山雅治のカッコいい龍馬も見納めですね。
先日の龍馬伝は1867年9月頃のある日の龍馬とお龍の最後の別れを放送しておりましたが...
龍馬はいわゆる「船中八策」を書いて後藤象二郎に見せた。驚いた後藤は、これを藩主の山内容堂に伝えた。容堂はこの「船中八策」を土佐の藩論として、朝廷との交渉に手詰まりなった慶喜に後藤を介して大政奉還建白を働きかける。そして10月13日、慶喜が二条城の大広間で大名たちに諮問を行ない、14日に大政奉還を朝廷に提出、15日に勅許を受け大政奉還となる。

その後、龍馬は「新政府綱領八策」を書きます..上院下院の二院政、陸海軍建設などさまざまな案を出しています、一番重要なのは徳川慶喜を新政府の盟主に想定していることです。

この綱領の中身は、第一義「天下有名の人材を招致し顧問に供う」第二義「有材の諸候を撰用し朝廷の官爵を賜い現今有名無実の官を除く」第三義「外国との交際を議定す」第四義「律令を撰し新に無窮の大典を定む、律令既に定れば諸候伯皆此を奉じて部下を率す」第五義「上下議政所」第六儀「海陸軍局」第七義「親兵」第八義「皇国今日の金銀物価を外国と平均す」と結ばれる。

最後に但し書きがついて、こうあります。『右預め二三の明眼士と議定し、諸候会盟の日を待って云々』『○○○自ら盟主と為り此を以て朝廷に奉り始めて天下万民に公布云々 強抗非礼公儀に違う者は断然征討す 権門貴族も貸借することなし』。
この○○○は、やはり前将軍徳川慶喜を指していると考えていいと思います。このことが薩長とくに西郷、大久保からすれば...龍馬の存在は..そして11月15日、龍馬は中岡慎太郎とともに暗殺され、その後、岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通が仕掛けた12月9日の王政復古のクーデーターによって、徳川慶喜を一切無視して排除しようとした。
坂本龍馬が描いた青写真とはまったく違ったカタチで新政府ができた。龍馬の存在は、慶喜抜きの新政府を立ち上げる上で邪魔になった。薩摩藩黒幕説である..。

西郷隆盛は「情の人」大久保利通は「理の人」と言われているが..徳川倒幕、西郷の考えは方はこちらの漢字の討幕に近い行動している..何が何でも徳川を潰すことだけを考えていた..維新までの西郷のやり方は「情」があるとはとても思えない..脅しや恫喝..江戸薩摩藩邸焼き討ちまでの相楽総三をつかっての攪乱などは..手段を選ばないやり方である。錦の御旗もそうであるが偽の勅書...まさに勝てば官軍である。
薩長がつくった明治新政府はその後10年ごとに大きな戦争を繰り返していった..。

そして最後にヒストリカル イフです..
大政奉還の後...坂本龍馬が構想したように、徳川慶喜が中心とする諸候会議の延長線上の共和政体ができていれば、日本は対外進出や侵略を是とする国家にならず、中規模ではあっても経済力と国防力を持ち、東アジアにおいて独立自尊の国家として文化的にも自立した国に向かう可能性があったのではないかと...第二次世界大戦に突き進むようなことにはならなかったのではないか..。
そして横井小楠のような考え方の道を歩んでいたならば..小楠はクリミア戦争などと同時代の日本が外国と戦争に入るならば、日本は全滅するかもしれないと予測し、第二のインドになるか、世界第一等の『仁義』の国になるかの選択に迫られていると語りました。そのうえで強国にならずに、『仁義の大道』を世界に広める存在になるべきだと説いたのです。

今日本に起きている外交問題、韓国との竹島、中国との尖閣諸島、ロシアとの北方四島などなどは徳川幕府の幕臣たちであったならば、いったいどんな外交をしたのかとても興味がわく...
そう考えると明治維新とはいったいなんであったのであろうか