もう8月も終わりですね

 

夏の終わりの雰囲気出てきて

 

日中暑いけど夜は冷房なくても何とか寝れます

 

 

そんな今

 

ふと子ども時代の夏休みの宿題を思い出しました

 

 

 

私は計画的に行動とか

 

コツコツやるタイプでもなく

 

毎年夏休みの宿題は8月31日になっても終わらなくて

 

何なら一度も夏休みの宿題を自力で終わらせたことない子どもでした

 

 

漢字のドリルみたいに書くだけのものとかはできるんだけど

 

算数が全くダメで答えカンニングできない宿題はできないし

 

絵を書くのも好きじゃないからポスターも書けない

 

文章もダメだから読書感想文も書けない

 

自由研究って何するの?別に研究したいことない…って感じで

 

そもそも自由研究に何やるか決まらないままズルズル

 

 

で、結局2学期が始まって、親や学校の先生にけっちょんけっちょんに怒られる

 

それが夏休みの終わりの定番でした

 

もう自分でも自分が情けなくて

 

怒鳴られながら

 

『あぁ生きている価値ないよね、私』なんて感じてました

 

押し寄せる無価値感と劣等感


 

だけど

 

もう完全に大人になって

 

人生の後半を生きている私にとっては全てが謎です

 

何であんなに恐れていたんでしょうか

 

何であんなに無価値感劣等感を感じていたんだろう

 

 

 

親や学校の先生は

 

勉強しないと

 

宿題ぐらいちゃんとできないと

 

ロクな大人にならない

 

社会に出たときまともに生きていけない

 

みたいな主張を言っていましたけど

 

はたしてそうか?

 

 

 

もちろん宿題をやるって大切だと思う

 

コツコツ計画的にやるという習慣づけとか…そういう意味では

 

でも

 

まともな大人になれないとか

 

そんなんじゃ社会で生きていけないとか

 

それはない(笑)

 

 

現に、生きているし

 

 

親や学校の先生の言っていた

 

良い学校、良い大学、良い企業に行けたことは一度もないけど

 

そこに私の望みがあったか?と聞かれればないんですよね

 

だから正直関係なかった

 

 

 

 

あのとき感じていた劣等感・無価値感

 

そもそも私の『思い込み』が原因でもあります

 

私が勝手に怒られることは恥ずかしいことだ

 

怒られることはいけないことだ

 

怒られることは情けないことだ

 

私が悪いんだ

 

親や先生の言っていることが正しいと

 

私の『感覚』を無視して

 

私が腑に落ちるか落ちるか

 

自分の判断もせず

 

自分が何を信じたいか?

 

自分はどう感じているのか?

 

自分はどんな世界で生きたいか?

 

を考えもしない

 

自分と向き合わない

 

自分を信じない

 

ただ怠慢に生きていただけだったんです

 

 

子どもでそんなの考えられないって意見もあるけど

 

果たしてそうだろうか?

 

 

現に、同じように学校の先生に怒られても

 

何ともないような子もいました

 

「あーー、まじうるせーー」みたいな反応の子(笑)

 

同じ「怒られる出来事」を経験しても

 

自分で自分をどう定義しているかで

 

反応が違う

 

受け取るものが違う

 

 

 

わたしが何を信じたいのか?

 

わたしはどんな世界で生きたいか?

 

昔を思い出しながら、意図して生きることの大切さを改めて感じました

 

自分で選べばいいんですよ、選べるんです

 

 

あっ!!宿題は自己責任でやりましょ(笑)

 

 

MAYUMI