馬車は城下町へとつながる街道を走るようになった。
街の遠方にはまだうっすら雪をかぶっている山脈の峰が見える。湖を囲む石造りの家々は夕刻の支度を始めていた。露店が並ぶ市場には地元の町人達がざわざわと買い物に来ていた。
「もうすぐ都だよ」
二百年前の時代から開花し続ける水上の古都。
三方を運河に囲まれたベフェナの首都モートル。その運河はドナ海岸までの距離を悠然と流れていた。
円錐形の赤土煉瓦の屋根で埋め尽くされた城下町には狭い用水路が張り巡らされ、幾本もの大小無数の橋で繋がっていた。果物や香辛料、花や布を売る小船または観光客を乗せたゴンドラが橋の下を行き交っている光景は、この街の伝統的姿だ。
百基の尖塔と豪奢な彫刻に飾られた壮麗な神宮は城下町のシンボルでもあり、世界屈指の流行として都の中心地になっている。
正面の小高い丘には、六本の尖塔に囲まれた金殿玉楼なベフェナ城が愁色の夕日を浴びて、神秘的に浮かび上がっていた。まるで城そのものが一つの山のように見えた。
「あそこには寄っていくの?」
「うん、首を長くして待ってるよ」
馬車は城壁の手前から奥の角を曲がって、地下へ通じる下り坂を行った。
等間隔で点いているカンテラを頼りに馬車は奥へと進んでいく。次第に空気が熱くなってくるのが分かると、鉄と鉄がぶつかる甲高い音が耳に届いた。
その場所に到着すると、馬車は広い空洞の入り口前で止まった。
馬車から降りるとヒリヒリするような熱気が顔や体に張り付いた。
「ゼル、ゼルッ」
二度目のロインの呼びかけで鍛冶士は手を止めた。
彼の後ろで、ぱっくりと口を開けた窯が轟音と共に灼熱の炎を上げていた。
鍛えていた剣を窯に戻した鍛冶士は額に巻いていた麻布をほどくと、頬から首に掛けて吹き出た汗を拭きながら歩み寄ってきた。
汗で濡れた作業服がよく似合う中年の職人男だ。剥き出しの二の腕には、たくましいガタイとは似つかわしい花の刺青が彫られていた。
「久しぶりだな、ルピナ王女。長いこと顔見せねえから心細かったぜぇ」
「あんたが会いたかったのはこれでしょ、顔に書いてあるわよ」
「よくご存知で王女様、早速見せてもらおうか」
ルピナは緋色の鞘に納められた剣をベルトのホックから外すと、「任せた」と言うようにゼルの前に突き出した。
ゼルは鞘から剣を抜くと、刃先を真っ直ぐ天井に向けた。鋭利に反射する光を見据えたゼルは口端を上げて陰険に笑った。
それを見て安心したルピナは、壁に掛けられた武器を眺めていたロインの横に並んだ。
ここにある武器はどれも独創的で闘争心を剥き出しにしているものばかりだ。そのほとんどはゼルが作ったものだった。
「以前来た時より増えたわね」
「毎日増えてるよ、これを見てると、昔のことを思い出すよ」
「昔のこと……?」
二人はゼルの作品を眺めながら、額や頬にうっすら汗を滲ませた。
「彼が亡くなった後、ルピナは我を忘れたように修行をしてて、無理にでも連れて来たのが最初だったよね。あの時はもう前のルピナには戻らないかと思ったよ」
「まだ正気じゃなかったもの、気付いたら剣を振ってた。あの頃の私にはそれしかなかったもの、でももしあの事がなかったら今の私はなかったかもしれない」
他人事のようにルピナは鼻で笑った。
「そんなことない、過去に何があろうとルピナは誰よりも強い剣豪だよ」
「ありがとう」
二人は決然と武器を見上げながら、強く手を結んだ。
* * *
シルバーム城下町のとある街角の酒屋には渇いた喉を酒でうるおそうと、一日の仕事を終えた男達が有象無象と化してたむろっていた。
天井付近には煙草の煙がたち込め、灯りを薄暗くさせていた。
店内の奥まった一角に、一人の青年が円卓の席を陣取っていた。店の雰囲気を楽しむわけでもなく、ただグラスの中の酒を眺めていた。二十代前半であろうその青年は腰に下げていた短剣の柄に触れてから、少し目線を上げた。
「会うのは、二年ぶりだな」
一人で席を占領する青年に、薄手のコートを羽織った長身の男が軽く声をかけてきた。
何の抵抗もなく飄々と向かいの椅子に腰を下ろすと、上着の内ポケットから煙草を取り出し、火を点けた。
テリトリー内で鼻から煙を吐き出す男を睨みつけた青年は、陽気に言葉を返した。
「そっちこそ元気そうじゃん、また探検しに行ってきたのか、リウド」
煙草をくわえるリウドは少し機嫌の悪そうな目付きをして青年に言い返した。
「探検じゃない、仕事だ。グレイディウルの大学に帰るところだったから寄ってみた。ところで風の噂で聞いたぞ、シルバームの宰相は賞金首を雇って兵力を集めてるらしいな」
「そうらしいな」
「それでお前はシルバームの傭兵か、そんな宰相の部下になって何がいい、それとも「あいつ」を探し始めたのか」
その質問に青年は眉山を吊り上げ上目遣いをした。
「まあな、近くにいるような気がするし、軍にもぐりこんだのは正解だったよ」
「あいつを引き寄せたつもりか、「ザリ」に言うがお前はあいつに勝てない、僕が勝たせない」
「一応人格は俺の方なんだけど、聞こえてることを祈るよ、てゆうか言ってることクサイし」
「ふざけるなよ、自分の事なんだぞ」
「自分のことだからだろ。そんなことをいいに来たのかよ」
子供のように不貞腐れる青年を見て、溜息を付いたリウドは短くなった煙草を床に落として靴の裏で踏み消した。
「ザイド、「ザリ」の人格は二度覚醒した、これでお前の自我崩壊が早まった。植物状態の人間が覚醒するのと同じだって前にも話したろ。「あいつ」は村を襲ったのはお前だとは気付いていないんだろ、だったらあいつと本心で向き合ってみろよ、あれ以来会ってないんだろ」
ザイドと呼ばれた青年は黙ったまま、残りの酒を飲まずに眺めていた。
「あいつ、俺のこと覚えてるかな」
「さあな、僕は会ったこともないけど」
リウドは新しい煙草に火を点けて、椅子から立ち上がった。
「そろそろ行く。暇人と違ってこっちは定期学会に発表する論文に追われてるんだ」
「俺だって傭兵職はヒマじゃねえよ、せめて自由人と言え」
意味もなく威張ったザイドはどこか不安げにグラスを見つめながら、椅子から立ち上がったリウドに声をかけた。
「なあ、俺が望む結果を選んでいいんだよな」
同じ灰色の瞳が重なるとリウドが先に視線を外し、背を向けて答えた。
「後悔しないのなら。大学の研究室にいる、暇があったら顔出しに来てもいいぞ」
自分の名前と研究室名が書かれた名刺をテーブルに置いて、リウドは酒場を後にした。
「それぐらいのヒマいつでも作るさ」