彼女に出逢ったのは入隊して一年十一ヶ月が経った頃だった。
日々の喧騒にかまけ、一度決意した仇に対する怒りも風化し始めていた。そんな自分に情けなさも感じながら、やはり復讐心にかまう余裕もない現実にヴレイは苛立ちすら感じていた。
輸送船から降りると、湿った海風が空母艦隊の甲板に強く吹き抜けていた。
甲板を踏みしめた彼らの面前に、長身の女性がヒールの音を響かせて歩んできた。
「お久しぶり、スカイ副指令、ロイナは元気?」
「ああ、元気だとも、君も元気そうじゃないか。みなに紹介しよう、彼女が」
腰まで落ちる赤銅の髪が激しくなびいた。腰に手を当てて昂然たる姿で女は続きを言った。
「昨日から戦術作戦部第一課に配属されました。階級は第二等少佐。ノア・シェルトリーです。現在二十三歳、皆さんよろしくお願いします」
威勢のよい自己紹介に頼もしさを感じて、皆は快く握手を交わした。
適度な筋肉がついたそのしなやかな体躯を、他の男性少佐と同じ形ではあるが色は女性用の深紅色の制服を身につけている。左肩の徽章から伸びる革紐は左胸の金ボタンに繋がっている。
艶のある黒革スカートに映える白くて長い脚に隊員達は瞬きもせず見入っていた。
「では作戦部佐官の紹介をしよう」
スカイ副指令は同行させた一佐と三佐の紹介をすると、ヴレイに視線を向けた。
「彼は作戦部ではなく艦隊部だ。作戦部と最も縁の深い部署だ、それで代表で一名だが同行させた。軽く自己紹介を」
続きを促されたヴレイは下唇を少し噛んで、恐々とその女を見上げた。
「ヴレイ・リルディクスです。第一艦隊隊長兼ねディウアースパイロットです」
ブールの踵の高さを考慮しても、彼女の方が頭一つ分は有に高い。見下してくる眼光には乙女らしさのかけらも感じられなかった。
「貴方が総司令宰相閣下の息子ね」
悪気があって言ったわけではないようだが、気分を害したヴレイは眉根を寄せて彼女をにらんだ。
「どうも」
* * *
その夜、ヴレイは外の通路の手摺に寄りかかっていた。
艦が波を切って進む音が静かに聞こえてくる。
ほどかれた漆黒の髪が潮風に乗ってなびき、月明かりでさらにその艶やかさを映えさせている。
雲の合間からちらちらと漏れる星の光をながめながら、紫紺色の瞳は力なく瞬きをした。
同じ頃、彼女も外の通路に出てきていた。慣れない船内のベッドでは寝付けず、気晴らしで外に出てみれば先客がいたのだ。
「最年少の隊長さんじゃない、こんな真夜中に出くわすなんて、奇遇だな」
彼女はヴレイの横に歩み寄ると、身体をくの字に曲げて顔を覗き込んだ。
「なんですか。こんな夜更けに海を見にきても真っ暗で何も見えないですよ」
機嫌の悪そうなヴレイの口調に、喉で笑ったノアは手摺に体重をかけて身を乗り出し、長い髪を夜風に舞い上がらせた。
「真っ暗だから綺麗じゃない、この世じゃないみたいで」
昼間の時とは違い、気さくで上機嫌な彼女の口調にヴレイから緊張感が抜けた。
「そうだ。私まだあれ見てないの、ちょっと付き合ってくれない」
突然言われて言葉が出ないまま、手を引かれて連れてこられた所は戦闘機スピリッチャーが積まれている格納庫だった。
そこにはまだ傷一つない新型のスピリッチャーが何十機と格納されていた。
全体的に丸くなだらかな曲線を描いている。乗り込むときは湾曲になった屋根が上に開くので、どことなく飛び魚に似た形だ。
「攻撃は従来と同じマシンウイルスか」
沈黙するスピリッチャーを見ながらヴレイが訊ねた。
「そうよ。改善された点は戦闘機の生命維持システムを作動させ、強制的に母艦へ帰還するようプログラムされた。ちなみに開発チームは全員ドミロン出身よ」
ノアが自慢げに言うのも無理はなかった。
主に開発を担当しているのは彼女の出身でもあるドミロン国だ。もちろん共同開発も行ってる。それを輸入して実践しているのが連合国のジルニクル国だ。
工業分野だけで見ればドミロンはジルニクスより三年は先を進んでいると言われている。
「それと新たにプラズマ砲が搭載された。でもその為の制御プログラムを載せたため、従来の機体より若干重くなったみたい」
「それって熱粒子砲ですよね。軍法では使用禁止されている、使用許可があるのはマシンウイルスと決められているはず」
「それは限られた範囲での戦闘時でだ。戦争ともなれば大陸軍法評議会がそれを決定する。有事の際いち早く戦場へで能力を発揮するのがこのスピリッチャーなんだ」
「でも、戦争なんて」
「軍人でしょ、覚悟をしておくのは当たり前だろ」
頭上から鋭い眼光で見下され、眉間にしわを寄せたヴレイは不機嫌そうにそっぽを向いた。
「軍人か」と小さく呟いたヴレイは踵を返して格納庫を出た。
「何故幹部はウイルス粒子が気に入らないんだろう。わざわざ戦争を起こさせるような武器を載せて。損害が減ればそれだけ費用だって、ケガ人だってでないのに」
後に続いて格納庫から出てきたノアは憮然に溜息をついて答えた。
「戦いは血を流すものだと考える人もいる、評議会にも幹部と同じ考えを持つものはいるはずだ、ディウアースの開発に口を出さないのもおかしい。数年以内に対ディウアース戦闘機が各国で建造される、その開発には評議会の裏金が回っていたりするのも事実」
手摺を強く握ったヴレイは飛沫をあげる波をにらみつけた。
彼の横顔を平然と見つめながらも、どこか怪訝そうにノアは質問した。
「何故あなたここに入っての」
彼女からの問い掛けにヴレイは一瞬言葉を詰まらせた。
「自分から入隊したわけじゃない。元々家出していたから、しょうがなく帰って来てやっただけだ」
「ふうん。ディウアースの開発者ってあなたの母親なんでしょ。優秀な生物工学者でセイヴァの技術開発部に所属していた。どうしてあれを造ったと思う?」
「あれに乗って戦えってことだろ、それでしか俺の能力は役に立たない。戦争は嫌だけど、もしそうなったら俺はこの力で戦う」
「あんた、人間兵器にでもなりたいの、そんなものじゃないだろ」
顔をゆがめたヴレイは、彼女の茶色がかった緑色の瞳を凝視した。
「総司令が何故スピリッチャーのウイルス粒子開発を支持していると思う、それは奥さんと同じ考えを持っているからだ。怖いのは戦いじゃない、怖いのは戦いで物事を決めようとしている人達の考えだ」
月光を浴びて光る赤銅の髪が風に乗って舞い上がる。
夜空の中で明瞭に浮かんだ彼女の姿は綺麗だった。
「事が起きてしまったら別だけど、ご両親がそうなんだから、きっとあなたにも分るんじゃない、何の為に力を揮うのか。なんてね、偉そうなこと言ってごめんなさい、じゃあおやすみ隊長さん」
身を翻して船内へ戻ろうとしたノアを、突然何か思い出したかのようにヴレイは呼び止めた。
「また、話せるかな」
彼女は少し驚きながらも微笑んで頷いた。
とっさに出た言葉にヴレイ本人が驚いていた。その場で放心したまま、大きく深呼吸した。
取り残された甲板はいつになく閑散としていて悄然な気分になった。
「何の為に」
静寂を保つ波飛沫が時折顔に当たって頬を流れる。
彼女の残した言葉が頭の中で呪文のように木霊している。
ヴレイは月光を浴びたノアの顔を思い出し、無性に胸の内がそわそわした。不思議な感覚に鼓動が高鳴り、湧き上がった寂寞な想いが長い溜息となって吐き出された。
「なんでドキドキしてんだよ」