こんにちは。
ひとり空回り研究家、心理カウンセラー
小笠原真弓です。
今から13年前
フラクタル心理学に出逢いました。
『思考が現実を創っている』ことを知り
衝撃を受けたのと同時に
「だったら思考を変えることで人生も変えられるかもしれない!」
と一筋の光が見えた私
『職なし、彼なし、希望なし』の状態から
結婚、3人子育て、起業、フラクタル心理学講師(←今ここ)
にまでなることが出来ました。
人生180度変わることが出来て
人の可能性って無限大なんだなと実感しています。
それだけでなく、長いことしつこく残っていたアトピー症状も
ここ数年出ていないことに、先日気がつきました
この10年ちょっと自分の人生を創ることに必死すぎて
アトピーのことなんて、すっかり頭から消えていたんです(笑)
こうして、思考が変わると自分の身体のみならず
変わっていくことを実感しています。
ちなみに、アトピーについて振り返ってみると
私は治癒までには3段階あって
こんな感じで変化していきました。
まず①の段階について
私は幼少期からステロイドを手放せない状態で
特に真夏は汗、真冬は乾燥により症状悪化。
各所かさぶたが出来るくらい掻いては出血し
薬を塗って回復し、また悪化する…という
エンドレス状態な時もありました。
痒いスイッチが入ると
もうどうしようもないんですよね。
それが夜中なら、寝ている母を起こし
身体中を掻いてもらった記憶があります。
時には、かさぶたになりきっていない部分に
ガーゼや包帯で覆って登校していたことも。
その時の気分と言えば…
何だか誇らしかったんですよね。
包帯までしても学校に行っている自分はエライ!と
勘違いしていたのです💦
それに、症状が強い時は
思うように身体を動かせないのを良いことに
母に身の回りのお世話をしてもらっていました。
今ならはっきり分かりますが
そこまでのひどい状態を創り出すほど
母にいつも注目(心配)してもらいたかったし
かわいそうな私になることで
母に守って欲しかった。
注目、保護、お世話を得ることで
母に愛されている確証が欲しかったんだと思います
これが私の『アトピー症状を創り出した思考』
だと考えています。
思考ってここまでのことを引き起こす
パワフルな存在なんです
それが、小学校高学年頃
私のひどい皮膚の状態を見た友達が
「うわ!」とのけぞった姿を見たのをきっかけに
「私の状態って普通ではないのかも」
「人目に触れると恥ずかしい。治ってほしい」
と思い始めたんです。
きっと「治ってほしい」という思考が溜まって
中学生~高校生にかけては痒みは出るものの
掻くのを途中で止められたり
痒みを感じる回数もぐっと減りました。
ちなみに、アトピーを創り出した
『注目、保護、お世話されたい』思考は
母に求めるだけでなく、家族、職場、友人、彼にも
「見て」「守って」「お世話して」と求めていました。
常にそんなことばかり気にしているから
本業の勉強や仕事もなかなか成果が出ないし
当時は友人にも彼にも「重たい人」になっていたと思います
(実際「重い…」とも言われました)
でも、自分ではなぜそうなるのか分からない。
無意識のうちにそういうパターンに陥っていたのです。
子どもの頃は母の愛情を感じられて
メリットがある思考でしたが
大人になるにつれ、自分を不自由にしていきました…。
これが私のアトピー第1段階です。
第2期3期では
実際アトピー改善に有効だった取り組みをしていましたので
また明日以降まとめてみますね。
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