ここのところ、セント・ジャーメインの講義を
読む毎日で、まだそれについてここに書ける程には至っていない。
でも、読んでいる時に、ふと
「あ、そうか」
が降りてくることがある。
今日も"Great I AM Presence" (何と偉大なる我に宿る(神の)存在よ)とでも訳せるだろうか・・・
を読んでいた時のことだった。
「目の前で起きる現実は幻想に過ぎない」
とは良く聞くフレーズだが、頭で分かった氣になっていても
実感を伴った理解は難しい。
並木さんはしょっちゅう、
「目の前で起きる現実」は、目を覚ますために使うんです、と言う。
嫌なことが起きた時に、例えば、誰かに何か言われてイラッとした時には、自分の中にイライラの周波数があることを知らせてもらっているだけなのでで、それを言った相手は一切全く関係ない。
自分にはこんな周波数があったのだと教えてもらえて、むしろありがたいことなのだから、ただ、ひたすら、自分のウチにあるイライラの周波数を手放して統合すれば良い、と。
それはそれで、なるほど、と思い、手放してきた。
それが今日は、「目の前の現実が幻想である」ということが突然目の前で実体化したような感覚を覚えたのだ。
別に1人パソコンに向かって、キンドルの本を読んでいただけなので、何かが起きたわけでもないのに、
突然、目の前の現実がペラペラの紙のように思えた。
以前、目の前の凸凹がなくなって見える状態のことを並木さんが話していたが、それが一瞬垣間見えたのだろうか![]()
ここで「そうか!」の出番である。
このペラペラの紙みたいな現実は、
その裏に隠れている意味を理解するために表れているに過ぎないんだ。なぜ、何を学ぶためにこの状況が自分に起きているのか?を。
ペラペラの紙自体には意味がない。
確かに。
恐らく、その紙の、現実みたいに見えている現象に
隠れている意味を考えて、
学んで、
成長していく。
だから、そんな幻想に一喜一憂していないで、
その裏の意味を理解して
学ぶことこそが、この幻想の役割なんだ。
そう想った時、
外の現実世界の幻想サが、ますますペラペラに思えてきた。
今日は突然自分に起きたことを、
読書を中断して、一気に書いてしまった。
でも、これも幻想か![]()