無条件幸福 (Happy for No Reason)

無条件幸福 (Happy for No Reason)

米国でひき逃げにあい心肺停止して以来、この世のチャレンジが豊富になり見えない世界の大切さに気づく。エネルギー医療のDr.スーモーターとの出会いを機に、M.シャイモフ、並木良和他様々な人の影響を受け、本物の幸せ=目覚めを追求する毎日で気づいたことを書き綴る。

一番マイナス思考に襲われるのは、

決まって朝方、目が覚めて(wake up)から

起きられる(get up)までの時間だ。

 

低血圧のせいか、目が覚めてから起きるまでに

かなり時間がかかる。

もう少し寝たい、とか

アラームが鳴るまで寝よう、とか

でも大抵は眠れないまま

酷い時は1時間近くゴロゴロしている。

 

その間はろくでもないマインドが襲ってくる。

ベッドの中で、手放しのワークをしたり

般若心経を唱えたり

 

それでも、しばらくはこの朝方のネガティビティから

解放されていた。

だが、前回書いたように運転への恐怖をきっかけに

またこのマインドが復活した。

さらに、

具体的に書くとエネルギーを与えるので詳細は書かないが、

先のことを考えてしまうと巨大な恐怖エネルギーに襲われる。

 

そこで閃いたのは、

ベッドを浄化したらどうか!ということ。

"Clear Home Clear Heart"(Jean Haner著)に書いてある

ペンデュラムを使ってさまざまなものを浄化する方法を思い出した。

 

 

浄化したいところにペンデュラムをかざすと、クルクルと回り出す。

しばらくすると動き方が変わってくるので、それが浄化された合図だ。

 

早速、思考のエネルギーがこびりついていそうな枕から始め、

ベッドのいくつかの場所をクリアリングした。

更に並木さんが言っていた柏手を打つというクリアリング方法も

ついでに部屋の4隅に向かって行った。

 

こんなに簡単な方法で場のエネルギーの浄化ができてしまうのだ。

もっと頻繁にやるべきだった。

 

翌朝のマイナス思考は激減していたニコニコ

 

 

久しぶりに書いている。

去年、新潟に引っ越してきて、新潟では車が必要だと大勢に言われてきた。自分でも車があった方が生活の便利さは計り知れないし、アメリカとはいえ、昔は運転していた。免許証もずっと更新し続けてきた。

 

アメリカでも教習所で習ったが、日本ほど細かくはないと思う。少なくともジグザグ運転の練習などなかったし、初日から講師が家まで来て、2ブロック進んだら、いきなり路上で運転させられた。買った車がマニュアル車だったので、弟に2日ほど教えてもらい、後は早起きして、練習した。その後特に問題はなかった。

 

車車車車車車車車車車車車車車車車車

 

日本に帰ってすぐ、日本の免許に切り替えた。母の車がマニュアル車だったので、何回か日本でも乗ったが、日本は道路が狭いのに電柱があることが怖かった。

 

その後東京、埼玉で30年以上生活したので、車は必要なかった。いずれ新潟に帰るつもりだったので、ずっと運転しないことで、運転への恐怖は大きくなって行った。教習所に行った方が良いと思いながらも、なかなか行けずにいた。2年ほど前に新潟の教習所で2日ほど習った。感覚は全く取り戻せなかった。

引っ越しの前後に、家まで来てくれるドライビング・スクールで、埼玉と新潟の両方で受講した。

 

それでも自信は全くつかなかった。

毎朝目が覚めてから起きるまで、車に関する恐怖に襲われていた。

 

事故を起こしたらどうしよう。

もし誰かを・・・書くのも恐ろしい。

 

一方で、早く運転を再開しないと!という焦りもあった。

母は父が末期癌宣告をされた日に動揺して車を車庫にぶつけ、それ以来運転をやめたが、長い間運転していたので私より車の便利さが恋しかったようだ。

 

たまたま良いと思った中古車が手に入らなかったのがきっかけで、

新車を買うことにした。母がかなりの額を払ってくれた。スズキで一番小さいアルト。

 

保険に関しては二転三転いろいろあり、車両保険の自損に入らなかった。

 

1ヶ月以上待って、新車が来た。

昔は全然平気でハイウェイ講習など考えもせず、ただ運転していた。

それが、35年のブランクの後の日本では怖くてしょうがなかった。

特に朝方ベッドの中にいる時が一番恐怖に襲われるのだ。

この朝方の恐怖は消せたと思っていたのに、車と一緒に再発した。

 

毎朝その恐怖と闘うようになっていた。

この恐怖のエネルギー(波動、周波数)を手放さないと現実化してしまう。統合しなくては。

ガーン

思ったほど統合できなかった。

 

車が家に来て、1週間半ほど経った。まだ車庫入れの練習をしていた。町内を一周しては今私が仕事部屋として使っている部屋の下の車庫に入れる練習だ。

そんなに狭い道路ではないが、向かいはアパートでその前に4台車が並んでいる。そこにぶつけることだけは避けよう。

 

一発で真ん中にすっと入る、ことは今でも滅多にないが、何回か出たり入ったりしながらバックで駐車は大丈夫に思えた。

でも、もう一回やっとこう。

近所を一周して、バックで入ろうとした。だが・・・

 

あれえ、これじゃあ右寄り過ぎで無理

 

と思った瞬間無意識のうちに右足がアクセルを踏んだ。

右のサイドミラーが飛んで行った。

え?

その瞬間、ブレーキってどっち?

パニックになった。

そしてまたアクセルを踏んだようだった。

 

車は車庫の左側にぶつかり、左のサイドミラーも取れた。

 

一瞬のうちに、新車がボロボロになった。

 

現実かと疑うような瞬間だった。何が起きたの?

 

一息ついて、今度は冷静にサイドミラーの壊れた新車を前方に出し、

バックでちゃあんと車庫に入れた。

 

ちゃんとできるのに、なぜ?何が起きた?

 

いきなりレッカー移動になった。

 

新車だったので、修理費はもう一台買えそうな値段がまず伝えられた。だが、新車の状態に戻す必要はないと、必要最低限の修理だけをお願いしたら、半額以下になった。

 

修理には1ヶ月もかかり、予想外に綺麗になって戻ってきた。

かなりサービスしてくれたらしい。その時に、この種の専門家が来て、破損状況について説明してくれた。

傷跡残るミカエラ

「普通なら、車を見ればどのようにぶつけたのか分かるんですが、今回の場合は、なぜここまで酷い壊れ方になったのか、全く想像もできません。車両保険の自損にも入っていたら、新車と交換になったレベルです」

 

これは、3次元的に説明できるものではないと今なら分かる。

ずっと20年くらいも車の事故への恐怖を抱えていたかもなのだ。さらにその時が近づくにつれ毎朝この妄想に襲われていた。

つまり、恐怖のエネルギーを巨大にしてしまったのだ。

 

それが現実に形となった。

不安、恐怖などの波動が結晶化したのだ。

もっと真剣に徹底的にこれらの周波数を手放し、統合すべきだったのだ。母が言った。

「車がこんな悩みになるとは思わなかったねえ」

 

修理を終えた車が戻ってきて、ますます運転が怖くなった。

そんな私の様子を見て、母が私にハッパをかけた。

車庫を出て入るだけ、前に出てバックするだけ。

そこから始めた。

 

必要に応じて、買い物、母の病院、etc.

1人で運転することをベッドで想像するとまだ怖いが、

今日初めて1人でパソコンの相談にヤマダ電気まで行ってきた。

近所ではあるが、事故ワースト1に当たる魔の交差点を通らなくてはならない。時間によって車線が変更するので、昨日母と通った通りに右折したら、クラクションを鳴らされた。もう一つ車線を隣に移るべきだったようだ。でも、無事に誰にぶつけることもなく帰ってこれた。駐車も、出たり入ったりしながら3箇所でバックでできた。

 

次のチャレンジは、新車半年無料点検だ。

この車を買ったスズキのアリーナに行くにはバイパスを使うしかない。三回ほど運転してみた。隣に大きいトラックがいたり、70キロを越えると身体中が緊張する。でも、慣れるしかない。点検までまだ2週間ある。それまでには魔の交差点を堂々と曲がり、恐怖のエネルギーゼロでバイパスを走れるようになろう。


忘れちゃならないのは、統合だ。今日も恐怖の周波数をダイヤモンドの中に入れて宇宙の源で統合するワークをしてから出かけた。大丈夫だった。

後はベッドの中での恐怖心だ。これは未来のことをうっかり考えても蘇る。

以前、ペンデュラムであらゆる物を浄化できると学んだことがある。

ベッドをペンデュラムで浄化しよう。

 

今回の一件は、自分の恐怖が結晶化、現実化した典型的な例だと思う。何をどう考えても説明がつかないぶつけ方だったので、私がいかに恐怖のエネルギーを抱えているかを教えてくれたのだ。

 

自宅の車庫でよかった。

自分も含め誰も怪我しなくて良かった。

車が前方に進んで向かいの車を傷つけなくて良かった。

ある意味、守られた。

 

もし、これが起きていなかったら、違うところで事故を起こしていただろう。それはもっと恐ろしい。自宅でよかった。

 

車を壊したことに加えて自損事故の保険に入っていなかったことの

ショックは大きかった。でも、その大きさの分だけ上昇できたら・・・並木さんなら狂喜乱舞する!というだろう。

 

もしも自損事故の保険に入っていて、改めて新車が来たとしたら(この車には、大天使ミカエルの名前を女性にしたミカエラという名前をつけたが)ミカエラは、たった1週間半で廃車になるところだった。それは余りにも可哀想だ。

 

だから、今は少し傷は残っているが、私をたくさん成長させてくれただろうミカエラとこれからもずっと仲良くして行こうと思う。

 

感じていることが現実を映し出すと、実践で学んだ。

次は、真逆の幸せの波動を現実化しよう。

 

埼玉に17年住んでいた。

その部屋は、2LDKの角部屋で、2つのベランダ、割と大きな窓、リビング・ダイニングには出窓、さらに2畳ほどのキッチンにも小さな窓があった。ベランダ、窓、出窓と4面から見える景色は、広い駐車場とそれを囲むように森が広がっていた。

森と空が豊富に見えるこの景色が、私は大好きだった。

時にはうるさいくらい様々な鳥の声が聞こえ、

虫たちの鳴き声もよく聞こえた。

 

ベッドからぼおっと青空を眺めたり

畳の部屋で森を向いて瞑想したり

 

時折走る武蔵野線の列車さえ、のどかに見えた。

 

とにかく、その景色が大好きだった。

 

それでも、親のこと、家のこと、様々なことが気になり

去年新潟の実家に引っ越した。

 

私が帰ってから、母はどんどん元気になった。

水素吸入を始めたことも大きな理由の一つだが、

それについては、別に書くつもりだ。

 

秋は、新幹線代ホテル代自腹で二つの東京の大学に

新潟から通勤した。

新たにビジネス塾にも入っているが

どうにもこうにも、やる気が出ない。

 

魂に沿ったことじゃないのかもしれない。

 

色々なことがうまく行っていない。

 

収入も激減、春からはさらに減る。

 

それでも、実家に拠点があることに安心を覚えている。

 

先週、今年度最後の期末テストで西荻へ日帰りした。

その大学も、今年度で辞めることにした。

23年通った大学でもあるので

寂しさを感じながらも考えていた。

 

もし、以前のように埼玉のあの

大好きだった部屋に帰るとしたら・・・

 

大好きでしょうがなかったあの部屋に帰る想像をした。

 

氷のような冷たさに襲われた。

あれほど好きだった部屋だったのに

すごく満足して住んでいると思っていたのに

 

想像の中で思い出した理想の部屋は

青白くて、氷河の中のようだった。

 

何度、試しても同じだった。

 

もう2度と、あの1人の生活に戻りたくなかった。

 

やっと気づいた。

表面的には、好きな仕事をするためだったし、

超満足な部屋で大好きだったが、

 

心の奥底では孤独だったのだ。

マインドがそれを覆い隠してくれていたが、

実は孤独だったことに気がついた。

 

そういえば、引っ越した時、初めの頃は、その前の東京の部屋から一気に倍くらい大きくなった部屋に1人で住むことが不安だった。

景色の良い部屋は気に入っていたが、

1人になった途端に不安に襲われたことを覚えている。

 

そのまま、17年も「大好きな部屋」という仮面を被って、

本心を押さえつけていたのかもしれない。

 

インナーチャイルドに誤った。

気づかないでごめん。

寂しかったんだね。

 

まずはウチ側を癒すのが最初だ。

 

今はまだ、新しい仕事もうまく行っていないし、

先のことを考えれば安心材料などないが、

それでも、あの大好きだった部屋を思い出すと

青い氷河に包まれたようなイメージが浮かぶことを考えたら、

今は、のんびりもしていて、

母も生きている 今は、

人生で一二を争う幸せな時期なのではないか

と思う今日この頃なのだ。

 

 

ブログを書こう、と時々思ってるうちに

2024年になってしまった。

激動の4年間のうちの3年目

 

’24年は地震や津波がたくさん来るけど、

良い変化のためだから、

内面(意識)は揺らされないようにしよう

 

と聞いていた。

今年の元旦は、超珍しく並木さんがズームでセミナーを開催した。

いつも、お正月はしゅぎょう(酒業)をしているから

絶対に働きたくないと言っていたのに(笑)

 

そうしたら、そのセミナー中に地震!

私がいた新潟も揺れた。

立っていられない程の揺れは初体験。

でも、恐怖は全く感じなかった。しばらくデスクに捕まって、揺れが収まるのを待った。廊下の方から物が落ちる音が聞こえてきた。

長かった〜

テレビをつけると、「つなみ にげて」が強調されていた。

 

セミナーも一時中断になったが、

Wi-Fiは切れなかったので、

お風呂に入っていた母を急がせて、一緒にパソコンを持って

我が家で一ヶ所だけある鉄筋の2階の部屋に垂直避難。

 

海は歩いて10分くらいの近さだが、

松林と分水に守られているはずだし大丈夫だと思うが。

外を見ると、海を背に走っていく車がちらほら、

どうしよう、とウロウロしている親子がひと組み。

その他、町は静まり返っていた。

 

テレビを小さい音にして

元旦セミナーも見ていたが、集中はできなかった。

1時間もしないうちに母が戻ると言い出し、

いつもいる1階のリビングダイニングに戻り

普通に夕食にした。

 

石川はもちろん、新潟でも上越の方は被害が大きかった。

新潟市でも、分水を越えてずっと南に行った方は

液状化で2週間過ぎた今でも大変なようだ。

 

翌日家中を確認したら、

あちこちで物が倒れたり落ちたりしていた。

でも、壊れたのは生花教室の棚で

横倒しになった花器のうちの4個だけだった。

廊下の飾りにしていた1リットルも入る

大きなワイングラスが、高いところから落ちたのに

割れなかったのは奇跡だった!

 

随分と長い時間、津波に警戒するようにという指示が

テレビには出ていて

翌日にやっと警報から注意報に変わった。

 

天気も良いし、新潟は余震もほぼなかったので、

海まで歩いてみた。

なんとも穏やかで、津波の跡はかけらもなかった。

帰りに、海の目の前に住んでいる知り合いの家を

訪ねてみた。海の前と言ってもかなりの高地にある公営住宅だ。

いつでも部屋から海が見える素晴らしい場所にある。

買い物には不便だが、魂の安らぎには最高の場所だ。

 

親子3人とも家にいたが、

なんの問題もなかったと、

しばらく楽しく会話をした。

 

遠い親戚がやっているお寺は被害があった地区だが、

イオンに避難し、外の塀が全部倒れたと後に聞いた。

 

それでも、周辺に人的被害はゼロ、

怪我した人もいない。

 

人は自分自身の中に持っているものしか経験しないと

並木さんはいつも言っている。

災害の周波数を持っていなければ、

周りで災害が起きても、自分のところだけ何も起きない

なんてことになるとか。

病気でもなんでもあまり怖がって避けようとすると、逆に引き寄せてしまうようだ。

 

実は地震とは違う件で、昨年あまりの恐怖を手放し切れずに、一つ大きな損失を招いてしまったが、まだそれを書くと、思い出すことで、やっと小さくなり始めたそのエネルギーが増幅しそうなので、まだ書くことは控える。

 

地震に話を戻すと、私は、この地震大国に半世紀以上住んでいて、

地震で怖い想いをした経験がなかった。

いつも大きな揺れと関係ないところにいた。

だから、自分の中には地震の周波数がないのかなと思っていた。

でも、恐怖は感じなかったとはいえ、

今回の地震はかなり揺れだったし物も壊れたり、落ちたりした。

日本人である以上、地震と無縁などということはありえない。

 

恐怖心が出てきたら、手放し続けるとしても、

高いところに置く物は検討し直すとか

地震対策はしっかりすべきだと改めて思った。

 

久しぶりのブログで、違うことを書くつもりが

つい地震の話になってしまった。

 

並木さんが元旦に珍しくセミナーをやっている

その真っ最中に、この大きな地震が起きたことは、

今年一年(来年もらしいが)自然災害が多い年になることを

宇宙が大々的に予告、警告してくれたとしか思えない。

 

 

大谷翔平が想像を超える成功をしていることは

世界中の誰もが認めるだろう。

 

ただ単に野球が好きで才能があるだけであそこまで登りつめることができるとは思えない。彼を取り巻く見えない世界はどうなっているんだろう、と考えながら、にわかファンとして試合を見ていた。

 

テレビで見た1フレーズで分かった氣がした。

 

イラッと来たら負け

 

これが全てを語っていると思った。

つまり、波動を整える努力をしているということだ。

イラつく、怒る、などの感情は、

並木さんなら手放して統合すべきものと言うだろう。

 

イラつきを手放せずに使ってしまう(イライラする)と

ドップリと3次元のストーリー世界に入ってしまう。

100の位置からはどんどん離れてしまう。

 

最近は確信している。波動が大事。

最近はかなり理解できてきたと思う。自分の人生で起きることは全て自分が起こしている。

 

イライラしていたら、その波動を自分が発してしまうので、

時間差をおいて、そのイライラが結晶化、現実化してしまう。

 

インドのアキコさんは、波動を整えるとさまざまなことがうまく行く、と強調する。

 

大谷くんの場合は、自分が野球を徹底的にやるという魂の望みを小さい時からキャッチして、自分と一致して生きてきた。心から好きなことがあって打ち込める人こそが天才だと思うが、その天才性にあぐらをかくどころか、中村天風などをしっかり勉強して実践したり、人間性を高める努力も、若い頃からやってきたことに驚嘆する。

 

無意識のウチに波動を整えてもいたからこそ、エネルギーが神的に(が何だかわからないが)循環し・・・

 

つまり、

 

訓練などの3次元的な努力に加えて

波動も整えるという

これまた刀流の努力を当たり前に行ってきたがゆえの

凄すぎるびっくり結果なのだろう。

 

私は、何(十?)年もの間、イライラを使って生きていた。

その頃は、自分に害を及ぼす人を山ほど引き寄せていた。

Dr. Sueに出会って、並木さんを知って、

他人に意地悪されるのも、お金を騙されるのも

みんな自分の波動がさせていると知った。

見えない世界なので、何だかよく分からないまま、

手放し、統合をここ数年毎日のように続けてきた。

知らぬ間に、未来への恐怖は消え、心もかなり穏やかになってきた。

自分の周りから攻撃的な人はいなくなり、温かい人が増えてきた。

 

更に、この大谷思考と波動の関係に氣づいて以来

ことある度に「イラッと来たら負け」

と言っているが、

おかげで、一段と心が落ち着いたようだ。

 

やっぱり、全てが波動、全てがエネルギー、

そしてそれを司るのは、思考なんだな。

大谷翔平はそれを、世界中に見せてくれている。

(神の使いみたいだ虹