久しぶりに書いている。
去年、新潟に引っ越してきて、新潟では車が必要だと大勢に言われてきた。自分でも車があった方が生活の便利さは計り知れないし、アメリカとはいえ、昔は運転していた。免許証もずっと更新し続けてきた。
アメリカでも教習所で習ったが、日本ほど細かくはないと思う。少なくともジグザグ運転の練習などなかったし、初日から講師が家まで来て、2ブロック進んだら、いきなり路上で運転させられた。買った車がマニュアル車だったので、弟に2日ほど教えてもらい、後は早起きして、練習した。その後特に問題はなかった。
日本に帰ってすぐ、日本の免許に切り替えた。母の車がマニュアル車だったので、何回か日本でも乗ったが、日本は道路が狭いのに電柱があることが怖かった。
その後東京、埼玉で30年以上生活したので、車は必要なかった。いずれ新潟に帰るつもりだったので、ずっと運転しないことで、運転への恐怖は大きくなって行った。教習所に行った方が良いと思いながらも、なかなか行けずにいた。2年ほど前に新潟の教習所で2日ほど習った。感覚は全く取り戻せなかった。
引っ越しの前後に、家まで来てくれるドライビング・スクールで、埼玉と新潟の両方で受講した。
それでも自信は全くつかなかった。
毎朝目が覚めてから起きるまで、車に関する恐怖に襲われていた。
事故を起こしたらどうしよう。
もし誰かを・・・書くのも恐ろしい。
一方で、早く運転を再開しないと!という焦りもあった。
母は父が末期癌宣告をされた日に動揺して車を車庫にぶつけ、それ以来運転をやめたが、長い間運転していたので私より車の便利さが恋しかったようだ。
たまたま良いと思った中古車が手に入らなかったのがきっかけで、
新車を買うことにした。母がかなりの額を払ってくれた。スズキで一番小さいアルト。
保険に関しては二転三転いろいろあり、車両保険の自損に入らなかった。
1ヶ月以上待って、新車が来た。
昔は全然平気でハイウェイ講習など考えもせず、ただ運転していた。
それが、35年のブランクの後の日本では怖くてしょうがなかった。
特に朝方ベッドの中にいる時が一番恐怖に襲われるのだ。
この朝方の恐怖は消せたと思っていたのに、車と一緒に再発した。
毎朝その恐怖と闘うようになっていた。
この恐怖のエネルギー(波動、周波数)を手放さないと現実化してしまう。統合しなくては。
思ったほど統合できなかった。
車が家に来て、1週間半ほど経った。まだ車庫入れの練習をしていた。町内を一周しては今私が仕事部屋として使っている部屋の下の車庫に入れる練習だ。
そんなに狭い道路ではないが、向かいはアパートでその前に4台車が並んでいる。そこにぶつけることだけは避けよう。
一発で真ん中にすっと入る、ことは今でも滅多にないが、何回か出たり入ったりしながらバックで駐車は大丈夫に思えた。
でも、もう一回やっとこう。
近所を一周して、バックで入ろうとした。だが・・・
あれえ、これじゃあ右寄り過ぎで無理
と思った瞬間無意識のうちに右足がアクセルを踏んだ。
右のサイドミラーが飛んで行った。
え?
その瞬間、ブレーキってどっち?
パニックになった。
そしてまたアクセルを踏んだようだった。
車は車庫の左側にぶつかり、左のサイドミラーも取れた。
一瞬のうちに、新車がボロボロになった。
現実かと疑うような瞬間だった。何が起きたの?
一息ついて、今度は冷静にサイドミラーの壊れた新車を前方に出し、
バックでちゃあんと車庫に入れた。
ちゃんとできるのに、なぜ?何が起きた?
いきなりレッカー移動になった。
新車だったので、修理費はもう一台買えそうな値段がまず伝えられた。だが、新車の状態に戻す必要はないと、必要最低限の修理だけをお願いしたら、半額以下になった。
修理には1ヶ月もかかり、予想外に綺麗になって戻ってきた。
かなりサービスしてくれたらしい。その時に、この種の専門家が来て、破損状況について説明してくれた。
「普通なら、車を見ればどのようにぶつけたのか分かるんですが、今回の場合は、なぜここまで酷い壊れ方になったのか、全く想像もできません。車両保険の自損にも入っていたら、新車と交換になったレベルです」
これは、3次元的に説明できるものではないと今なら分かる。
ずっと20年くらいも車の事故への恐怖を抱えていたかもなのだ。さらにその時が近づくにつれ毎朝この妄想に襲われていた。
つまり、恐怖のエネルギーを巨大にしてしまったのだ。
それが現実に形となった。
不安、恐怖などの波動が結晶化したのだ。
もっと真剣に徹底的にこれらの周波数を手放し、統合すべきだったのだ。母が言った。
「車がこんな悩みになるとは思わなかったねえ」
修理を終えた車が戻ってきて、ますます運転が怖くなった。
そんな私の様子を見て、母が私にハッパをかけた。
車庫を出て入るだけ、前に出てバックするだけ。
そこから始めた。
必要に応じて、買い物、母の病院、etc.
1人で運転することをベッドで想像するとまだ怖いが、
今日初めて1人でパソコンの相談にヤマダ電気まで行ってきた。
近所ではあるが、事故ワースト1に当たる魔の交差点を通らなくてはならない。時間によって車線が変更するので、昨日母と通った通りに右折したら、クラクションを鳴らされた。もう一つ車線を隣に移るべきだったようだ。でも、無事に誰にぶつけることもなく帰ってこれた。駐車も、出たり入ったりしながら3箇所でバックでできた。
次のチャレンジは、新車半年無料点検だ。
この車を買ったスズキのアリーナに行くにはバイパスを使うしかない。三回ほど運転してみた。隣に大きいトラックがいたり、70キロを越えると身体中が緊張する。でも、慣れるしかない。点検までまだ2週間ある。それまでには魔の交差点を堂々と曲がり、恐怖のエネルギーゼロでバイパスを走れるようになろう。
忘れちゃならないのは、統合だ。今日も恐怖の周波数をダイヤモンドの中に入れて宇宙の源で統合するワークをしてから出かけた。大丈夫だった。
後はベッドの中での恐怖心だ。これは未来のことをうっかり考えても蘇る。
以前、ペンデュラムであらゆる物を浄化できると学んだことがある。
ベッドをペンデュラムで浄化しよう。
今回の一件は、自分の恐怖が結晶化、現実化した典型的な例だと思う。何をどう考えても説明がつかないぶつけ方だったので、私がいかに恐怖のエネルギーを抱えているかを教えてくれたのだ。
自宅の車庫でよかった。
自分も含め誰も怪我しなくて良かった。
車が前方に進んで向かいの車を傷つけなくて良かった。
ある意味、守られた。
もし、これが起きていなかったら、違うところで事故を起こしていただろう。それはもっと恐ろしい。自宅でよかった。
車を壊したことに加えて自損事故の保険に入っていなかったことの
ショックは大きかった。でも、その大きさの分だけ上昇できたら・・・並木さんなら狂喜乱舞する!というだろう。
もしも自損事故の保険に入っていて、改めて新車が来たとしたら(この車には、大天使ミカエルの名前を女性にしたミカエラという名前をつけたが)ミカエラは、たった1週間半で廃車になるところだった。それは余りにも可哀想だ。
だから、今は少し傷は残っているが、私をたくさん成長させてくれただろうミカエラとこれからもずっと仲良くして行こうと思う。
感じていることが現実を映し出すと、実践で学んだ。
次は、真逆の幸せの波動を現実化しよう。