キリスト教カトリックに似た宗教を信仰する修道女たちと、巡礼先の村の人々をめぐる物語だ。教会のステンドグラスにキャストの名前が投影され、出演者がスポットライトに浮かび上がるオープニングの演出は映画を思わせる。

修道女たちが信仰する宗教は「邪教」扱いされ、弾圧の憂き目に遭っている。国王の命令で、彼女たちを慕う村人たちも、弾圧に加担せざるを得なくなっている。シスターのひとり、ニンニと特別に親しい村の「白痴娘」オーネージーが、彼女たちを守ろうとするところからスラップスティックが展開する。

殺人をめぐるドタバタはアルフレッド・ヒッチコック監督『ハリーの災難』を、毒殺されたシスター・グリシダが「小悪魔的」にオーネジーに憑依する様はウィリアム・フリードキン監督『エクソシスト』を思わせる。

しかし、何より、本作は寺山修司の影響が色濃いように感じられる。兵士が樹木になってしまうのは、寺山のラジオドラマの描写だった。ラストで列車が現れ「向こうの世界」にひとを誘うのは、「寺山的なもの」の結晶、鄭義信作『ザ・寺山』のラストと符合する。そもそも、修道女たちの世界とは、俗世から離れた「向こうの世界」なのだ。ハッピーエンドになるかと思いきや、葡萄酒を飲んだ修道女たちは死に、オーネジーも共に逝ってしまう。木になったテオは、なす術なくそれを見送る。

トラブルを抱える度、「ドクター・ショッピング」ならぬ宗教渡り「ゴッド・ショッピング」をしてしまうダルとソラーニ母娘の姿に、「迷える子羊」現代人へのケラリーノ・サンドロヴィッチのアイロニーを感じた。

ところで、作中「アーメン」の代わりに唱えられる祈りの言葉を聞いて、平田オリザ作・演出『冒険王』の挨拶を想起した。中東かどこかの挨拶らしく、外出するひとが「オッシャカ」(行ってきます?)と言うと、「ギュレギュレ」(気をつけて?)と見送る、というものだ。このような挨拶が本当にあるのかは知らないが、本作の「アーメン」の代用語は実在しないだろう。聞くと、思わずクスッと笑ってしまう響きだ。

「神の御名において、ギッチョダ」

 

 

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