スティーブン・スピルバーグ監督映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』を観た。文書を漏洩したダニエル・エルズバーグは、ヒロイズムに憑かれた人物のように描かれているが、そうした者の「内部告発」なしでは政府の不正が暴けない。
 ローラ・ポイトラス監督『シチズンフォー スノーデンの暴露』では、エドワード・スノーデンが、米NSA(国家安全保障局)の不正通信傍受の告発よりも、自分自身に関心が集まることを避けようとする姿を見ることができる。告発が割り引かれて見られることを恐れたのだ。
 ジョージ・クルーニー監督『グッドナイト&グッドラック』では、TV番組でマッカーシズム(赤狩り)批判をしたエドワード・マローは、マッカーシーから共産主義シンパの「汚名」を着せられそうになる。
 政府の不正を個人が告発すると、それを矮小化したい人々は、告発者の人格や属性に国民の注意を促し、告発の影響を減殺しようと謀る。そして国民も、その動機が私怨なのか義憤なのか、告発者の人となりはどうなのか、興味を抱く。そのような構図を避けるのは難しい。
 「ワシントン・ポスト」の編集主幹、ベン・ブラッドリーは「報道の自由を守る唯一の手段は、報道することだ」と言う。そしてその情報判断は、国民のリテラシーにかかっている。世論の後押しが強力なら、株主もスポンサーも「人気」にあやかって新聞社やテレビ番組をサポートできる。
 報道vs.権力の戦いで権力を支援する劣化した民度では、言論の自由は死ぬだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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