小学校の図書館で『妖怪なんでも入門』を読んだのが、妖怪との出会いであり、水木しげるという名前を覚えたきっかけだっただろうか。文明が発達して都市化した現代においても、いや、そういう時代だからこそ、目には見えない存在の大切さがあるのだとおしえてくれた本だったと思う。
 友だちがノートに『ゲゲゲの鬼太郎』をマネして書いていたのを読み、自分も書いてみようと思って、『ヨヨヨの妖太郎』などとタイトルをつけて、ノートに鉛筆で書いていたものだった。
 いじめを受けていた中学時代、『鬼太郎』のコミックを読んでいると、がしゃどくろという巨大な骸骨の妖怪といじめられっ子が勇気をふりしぼって戦い、それを目撃したいじめっ子たちが「あいつスゲェ、もういじめるのやめようぜ」と言うシーンがあり、とても慰められた。
 荻野真『孔雀王』、永久保貴一『カルラ舞う!』、奥瀬サキ『低俗霊狩り』といったマンガを読むようになったのも、「目には見えないもの」への興味をかきたててくれた水木しげるの影響だったのかもしれない。
 80年代に新たにアニメ化された『ゲゲゲの鬼太郎』は、キャラクターたちがずいぶん垢抜けているが、再放送で見た古いバージョンは、子どもながらにとても怖かったと記憶している。80年代のアニメ『妖怪人間ベム』に通じるおどろおどろしさがあった。それはどこか、皮相な社会や人間の裏に隠された「暗さ」を表しているようでもあった。
 鬼太郎の父親、目玉おやじは幽霊族の生き残りで、身体が溶ける奇病にかかって病死したが、鬼太郎の身を案じて、遺体の眼球に魂を宿らせて生き返ったという設定である。この奇病について、「らい病」のことだという指摘がある一方、原爆による被曝のメタファーだという説もある。この説を信じるなら、鬼太郎は被曝二世だということになる。鬼太郎は、人間と妖怪が仲良く共存して生きていける世界を目指して戦う、幽霊族の父と人間の母のハーフだ。ふたつの世界の調停者であり、それゆえマージナル(周縁的)な立場である。これは、被爆者たちと、彼らに差別的な視線を向ける、もしくはまったく無関心な社会との間に立って、理解と受容を求める運動家のイメージではないだろうか。
 演出家で劇作家の渡辺えり子(現・渡辺えり)は、自作『ゲゲゲのげ』について、こんなことを言っていた。
 「対立するふたつの世界を和解させようと頑張るんだけど、結局、どっちの世界からもはじき出されて、うつむいて寂しそうに去っていく、そんな存在っているじゃないですか」。
 作中に登場する鬼太郎に重ねられたイメージ。それは、高度経済成長の繁栄の陰で、忘れられていく戦争の傷痕や公害病の被害を、ふたつの世界の間に立って訴える者のそれのように思えてならない。鬼太郎は、被曝二世であり、公害病の被害者の友人であり、自然環境汚染の告発者なのだ。だから、繁栄を謳歌する社会の側からは煙たがられ、ときに、自分が味方をしている者たちからも非難される。そうした不条理を、社会の「闇」を背負ったダークヒーローなのだ。
 『ゲゲゲの鬼太郎』中に、科学万能主義に酔って、オバケの存在をバカバカしいと否定するサラリーマンを見て、ねずみ男が「アタマのおヨワい人たちだねぇ」とつぶやくシーンがある。水木しげる自身の、現代に対する警告のようだ。福島原発事故を経験した私たちには、非常に厳しい一言だろう。
 三池崇史監督映画『妖怪大戦争』のラストで、妖怪大翁として登場した水木しげるに、これまた妖怪に扮した京極夏彦が「大先生、勝ち戦のようです」と告げる。
 水木は一言。「戦争はイカンです。腹がへるだけです」。



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