ドラマ『悪夢ちゃん』を見て思い出すのは、今敏監督『パプリカ』とターセム監督『ザ・セル』だな。前者は悪夢の描写が圧倒的だし、後者は犯罪者の無意識の描写が凄絶だ。この三作に共通しているのは「他人の夢(無意識)への介入」。ひとの夢をクリアな映像として見ることができたら、という好奇心ですね。恋人や配偶者の夢、どんなでしょう。

 『悪夢ちゃん』第2話もなかなか面白かった。「普遍的無意識」にも言及され、子どもの夢に現れるたくさんの蛇が、『古事記』神話のやまたのおろちに淵源しているとの解説があった。ちなみに、神話に登場する怪物は、一般的には「異民族」「異教徒」のメタファーだとされている。スサノオが朝廷で、やまたのおろちに擬された異民族を滅ぼすわけですね。神話は権力の「正統性」として機能するということ。

 『悪夢ちゃん』第3話は、生徒の自殺を止めようとして、先生が自分の「本性」を告白するという奇策に出る急展開を見せた。
 この作品のメインキャラクターは、ユングが提唱した「元型」になぞらえているらしい。博士は「老賢人」、その助手は「影」、女教師は「ペルソナ」、そして悪夢ちゃんは、それらを統合する「セルフ」。しかし、教師は「ペルソナ」から別のシンボルへと変化しようとしているようだ。それはおそらく「太母」ではないか。親の愛を知らず、自己防衛のために「仮面(ペルソナ)」をかぶって生きてきた女性が、その仮面を取って他者を受容し、癒やす存在となる。
 ちなみに、舞台となっている小学校の名前が、生涯にわたって夢日記をつけ続けた僧侶「明恵(みょうえ)」にちなんでいると初めて気づいた。

 『悪夢ちゃん』第4話は、女教師を中傷するブログを、実は本人が書いていた、という展開を迎えた。そのオチか!?という感じ。
 興味深かったのは、助手の「古来、人間は過酷な現実に対処するために夢でシミュレーションをしていた」というセリフ。ユング派の心理療法では、夢に登場するイメージには癒しの効果をもたらすものもある、と言われる。夢が現実の先取りであり、また、現実で傷ついた心を癒すものでもあるとしたら、人の精神機能は凄い。
 悪夢ちゃんは、他人の無意識とつながって見た「悪夢」を、なぜ回避させようとして行動するのか、という根本的な疑問の答えが、夢の機能そのものにある、という気がする。

 『悪夢ちゃん』第5話は、女教師の夢遊病の原因が、忘却された過去の「忌まわしい」記憶に関係があるのでは、との示唆がなされた。
 「私は二重人格なのか」との武戸井彩未の問いに、古藤万之介の助手、志岐貴は「抑圧した記憶が睡眠時に君を動かしている」といった返答をする。抑圧のメカニズムと、多重人格を引き起こす解離のメカニズムを比較すると興味深い。抑圧は意識下にトラウマティックな記憶を封じ込める状態。解離は人格の分割(スプリッティング)により、トラウマティックな記憶を特定人格に負荷する状態。前者は水平の力学、後者は垂直の力学だ。覚醒状態で、抑圧した記憶が女教師を「乗っ取る」ようになると、二重人格へと「重症化」する、ということらしい。
 ところで、老博士、古藤万之介とその助手の志岐貴が絶縁してしまうが、どうやらこのふたりの関係は、フロイトとユングの関係になぞらえているようだ。フロイトとユングは、夢の解釈などをめぐって対立し、師弟関係を解消するにいたった。ユングは『自伝』で、古い家の地下室に人骨が転がっている夢を見たと記しているが、それは、後世において、ユングのフロイトへの「憎悪」の表れだったと分析されている。フロイトを亡き者にしたいぐらい憎んでいた、と。
 げに恐ろしきは、愛より転じた憎しみである。

 『悪夢ちゃん』第6話は、いよいよ女教師の抑圧した記憶が意識化されるに至った。どうやら、幼少期に友達の母親を殺害したというものらしいが、どう展開するのだろうか。
 今回は、バレエ『白鳥の湖』が悪夢の設定として用いられた。白鳥(=恵まれた娘)を黒鳥(=嫉妬する娘)が罠にかけるわけだが、黒鳥とは「ブラックスワン」、つまり「滅多に起きないこと」を意味している。言わば「不可能性」のシンボルだと思う。女教師の記憶を解放するきっかけになったのは、母親と娘の関係への気づきだった。抑圧した記憶は、これまで通りの生活を送っていれば、もしかしたら、そのまま無意識の領域に封印しておけたかもしれない。しかし、悪夢ちゃんが現れ、変化が訪れた。悪夢ちゃんは、自分を「母親のように」頼っている。自分が母親のような立場に置かれたとき、それと関連している記憶が蘇ってきた。ブラックスワンは、その「ありそうもないこと」が起きたしるしなのではないか。女教師(=元型「ペルソナ」)を「太母」へと変化させる鍵は、悪夢ちゃん(=「セルフ」)なのだ。

 『悪夢ちゃん』第7話は、女教師が、意識化された過去の「忌まわしい」記憶と向き合い、辞職という決断を下す。また、志岐が研究者としての野心を前面に出し始める。
 未来を予知して、問題があれば未然に防ぐ、というアイデアが描かれたSFと言えば、スティーブン・スピルバーグ監督『マイノリティ・リポート』だ。犯罪予防局が設立され、「プリコグ」と呼ばれる予知能力者の予告により、犯行前に犯罪者が逮捕される近未来社会が舞台だ。今回、記憶喪失になった男の無意識に悪夢ちゃんがつながり、その夢から犯罪が暴かれた。予知夢の分析精度が上がれば、志岐の言う通り、社会の役に立つ画期的な夢研究となるだろう。たとえば、第1話で、悪夢ちゃんは火事で家が燃える悪夢を見るが、その詳細な分析により、放火する前に犯人の老人を逮捕することが可能になる。そうしたSF的管理社会を描くことは、このドラマのテーマではないだろうが、志岐貴の科学者としての野心は、一見ユートピアに見えるディストピアを招き寄せる危険性を秘めていると思う。

 『悪夢ちゃん』第8話は、友達の母親を殺害したという幼少期の記憶が、実は女教師の見た予知夢だったことが明らかになった。彼女は古藤万之介の研究の被験者だった。彼女自身が「悪夢ちゃん」だったのだ。教師の辞職を撤回する展開になった。
 女教師と悪夢ちゃんは、夢の機能によって結びつけられ、導かれているように思う。現実を予知夢というかたちで先取りするのも夢なら、現実で傷ついた心を癒すのも夢だ。ふたりの夢に現れる「夢獣(ゆめのけ)」は、その機能の象徴だろう。特殊な能力や特異な血筋を持つことを表す身体的なしるしを「聖痕(スティグマ)」という。悪夢ちゃんの前髪の色が違うのは、おそらくそれだろう。そうした「能力者」は、社会に対してマージナル(周縁的)な立場に置かれる。その社会に利益をもたらす存在であり、同時に災厄をもたらす存在でもあるからだ。ふたりは協力して、何とか夢の力をプラスの方向に使おうと苦闘しているのだ。

 『悪夢ちゃん』第9話は、女教師が幼少期を過ごした児童養護施設が、子どもを誘拐して養子として海外に売る斡旋業者と関係しているのでは、という可能性が示唆された。
 その糸口は、悪夢ちゃんが昔見た、夢獣(ゆめのけ)が初めて現れた夢の景色によって開かれた。私たちは自分の過去を遡っていくとき、非常に印象的な幼少期の記憶「原風景」に出会うことがある。フロイトは、両親の性交場面の目撃といったトラウマティックな子どもの記憶を「原光景」と呼び、それは半ば空想であるとした。つまり、現実ではなく子どもの内的欲動に基づく幻想(こころの物語)だと考えた。
 このドラマ『悪夢ちゃん』では、夢と現(うつつ)が地続きであることが強く描かれている。女教師は、自分の見た夢を現実と取り違えていた。主観的には「事実」だと思われている記憶を、フロイトは「心的現実」と呼んだ。
 「夢は第二の人生である」(ネルヴァル)。

 『悪夢ちゃん』第10話は、志岐貴が人身売買組織に協力していると見せかけて、実は悪夢ちゃんと武戸井彩未を守ろうとしていたことが明らかになった。志岐は自ら海に身を投げた。
 志岐の夢研究の最終目標は、人の無意識に働きかけてその変容を促し、世界から争いを無くすことだった、という。「夢は無意識の王道」とフロイトは言ったが、無意識に影響を与えるには、たとえば夢という手段を用いるのは効果的かもしれない。悪夢ちゃんには、他者の無意識につながることができる能力があるので、その能力の研究が、無意識に作用する化学物質を生む、といったことがあるかもしれない。しかし、映画『パプリカ』中のセリフではないが、夢は人間に残された最後のフロンティアだ、という気もする。科学が「天使おそれて立ち入らざる処」に踏み込んでよいものか、という疑問である。

 『悪夢ちゃん』最終話は、武戸井彩未が志岐貴を殺害したと勘違いして、ショックで倒れた悪夢ちゃんが、夢を介した武戸井の導きによって、無意識の世界から現実に戻ってきた。夢獣(ゆめのけ)は、幼少時の武戸井の親友で、悪夢ちゃんの母親である、古藤万之介の娘の化身だった。
 古藤博士は、悪夢ちゃんの「夢は外からやって来る」という言葉に関して、人間の外部に無意識のかたまりがある、と述べる。ユングの提唱した「普遍的無意識」を参照しているのだろう。志岐の「無意識への働きかけによる平和構築」という実践理論と融合させると、「世界を変えるには、人類がそこから影響を受けている『無意識のかたまり』にアクセスし、働きかけることが必要だ」という命題となる。古藤博士と志岐の夢研究は、その地点において共生する。
 さて、女教師は、悪夢ちゃん=「セルフ」とのふれあいによって、「ペルソナ」から「太母(グレートマザー)」へと変化した。そこには、夢獣=「トリックスター」の協力もあった。愛(エロス)は、人と人とを結びつける統合の機能を持つ、と言われるが、その意味で、このドラマは悪夢ちゃんという「結(ゆい)」を中心とした、愛の物語であった。

 『悪夢ちゃん スペシャル』を見たが、青春ドラマになってたな。「セルフ」である結衣子が、彩未=「太母」を理想像として発見する成長の過程を描いたわけですね。そして、悪夢ではなく希望の夢を見る、と。木村真那月の相変わらずの舌足らずなセリフ回しがとてもいい。


  (参照)
ドラマ『悪夢ちゃん』全話解説http://togetter.com/li/430650



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