※アメリカのイラク戦争に際して書いたアメリカ論です。

 最新のビル解体作業の見事さ。それは、ミサイル発射光景を逆転させた光景である。二一階建てのビル全体が地球の中心に向かってまっすぐにすべり落ちる。あたかも落とし穴に落ちたかのごとく、そのビルは直立した様を失うことなく、案山子のように崩壊するのであり、またビル自体の地面がその残骸を吸収する。それは近代性(モデルニテ)のすばらしい技術(アール)であって、われわれが子供の頃にみた花火の技術に匹敵する。
  ――――ジャン・ボードリヤール『アメリカ』


 「第一外国語」として英語を学ぶことに、なぜ私は疑問を持たなかったのだろうか。ドイツ語でも中国語でもなく、それが英語でなければならなかった理由は、日本という国の戦後と無縁ではないだろう。とは言え、英語教育には感謝しているし、別に屈折した心情はなかった。アメリカの文化、特にハリウッド映画を観て育ち、また英語教師からロック・ミュージックの楽しさを教わった私が、アメリカの暗部をどんなに知っても、アメリカに「ノー」を突きつけることなどなかった。しかし、あの同時多発テロが、私にアメリカを考えさせるきっかけを作った。アメリカは、いろいろあってもやはりいい国だ、といった無邪気な思いこみに亀裂を生じさせた。かつて、私がアメリカと聞いて思い浮かべたのは、広い国土、やることのデカさ、「やればできる」という理念の象徴、「アメリカン・ドリーム」という言葉だ。

 美食とファッションと消費と殺人を淡々と繰り返すパトリック・ベイトマンというヤッピーを、B・E・エリスは小説『アメリカン・サイコ』で描いた。物質的な充足を望む限り与えられた者の虚脱感。上流社会の仲間入りをしたいがため、悩んだ末にひとりの女性を殺害した、ドライサー『アメリカの悲劇』のクライド・グリフィスが、まったく慎ましく見えるほどだ。「アメリカン・ドリーム」とは、アメリカ人を駆り立てる力である。その内容はそれこそ千差万別だろうが、それは彼らをより良きものへと向かわせる希望である。ワスプ(アングロ・サクソン系白人プロテスタント)の歴史学者、レオン・ダンカンは、インタビューに答えて「アメリカの夢っていうのは、まだ手にしないときのほうが強力な機能をもつ」と語っている(スタッズ・ターケル『アメリカン・ドリーム』)。夢はまだ達成されないときにこそ、その強大な力をふるう。
 「人種のるつぼ」、「サラダ・ボウル」などと形容されることもあるアメリカは、その言葉通り多民族・多人種社会である。継続的な移民の流入によって、アメリカ社会は流動性を高め、活力を得ていった。「一般に『アメリカン・ドリーム』とは、ボロから富へという成功神話だと考えられがちだが、社会の底辺に入った移民たちの夢はもっと地味なものだった。もっとましで安定した生活をしたい、平凡だが幸せな家族生活を築きたいというのが、彼らの『アメリカン・ドリーム』だった」(野村達朗『「民族」で読むアメリカ』)。
 平等主義を建国の理念としてはいるが、平等に造られたはずのすべての「人間」の中に黒人はいなかったように、移民の社会的上昇と成功の実現には、エスニシティ(民族区分)が重要であった。ヨーロッパ系の白人移民は、黒人やアメリカ・インディアン、メキシコ系、アジア系よりも上の白人社会の最底辺に入り、そこから出発した。そして後から次々とやって来る移民によって、前に来た移民は押し上げられた。
 一九六四年の公民権法の成立とアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)の推進にもかかわらず、現在も依然として、人種・民族間対立の火種はくすぶっている。「アメリカ人の一九六〇年代は活気と希望に満ちて始まり、夢が打ち砕かれて終わった」(ウィリアム・ヴァン・デューセン・ウィシャード『アメリカン・ドリームは終わったか』)。

 経済的な側面から眺めるならば、「アメリカン・ドリーム」はその着地点をどこに見出すだろうか。「最も富裕である一%と次に富裕である九%の人々が国家総資産の三分の一ずつを所有し、ほかの九〇%の人々が残りの三分の一を分けあっているという著しい富の分配の不平等が生じている」(明石紀雄、川島浩平編著『現代アメリカ社会を知るための60章』、「増大する貧富の差」)。またジャック・アタリは、一九七九年以来、資産増加の九七%が最富裕層に集中していて、わずか二百万人の最富裕層のアメリカ人が、現在アメリカの資産の四〇%を保有している、と述べている(『反グローバリズム』)。経済的豊かさだけが幸福の指標ではないが、この富の偏在を前にして、そんな呑気なおためごかしが言えるだろうか。この貧富の格差を温存し続けるならば、おそらくアメリカ社会全体にとってマイナスであろう。貧困層の失業による社会イメージの低下、犯罪の増加、そして何より「『してもらう人間』と『してもらえない人間』が固定されてしまうシステムは、数千年単位の歴史で見ると長続きした試しが」ない(宮台真司)。格差の温存は、その社会の成員すべての首をしめることになる。
 一九五〇年代から九〇年代にわたって、廃棄物処理業者、芸術家、科学者などの生活の断片を描き連ねたドン・デリーロ『アンダーワールド』は、ほとんどいかなる夢も希望も感じさせないという意味で、ポストモダンのアメリカ文学たりえている。現実化したユートピアとしてのアメリカが、その荒涼とした砂漠の相貌を覗かせている。そう言えば、『アンダーワールド』の装丁写真は、あのツインタワーであった。
 ある中国人の教授はオギュスタン・ベルクに、自分の妻は同時多発テロのニュースを見て、「活該!(ざまをみろ)」と叫んで拍手喝采したと語った(中山元編訳『発言』)。国境を越えてヒト・モノ・カネ・情報が移動するグローバル化の進展する中で、「唯一の超大国」アメリカは、ますますその「外部」へと勢力圏を拡大しようとしている。しかし、自己を理解することに比べて、他者を理解することが非常に下手なアメリカは、さまざまな摩擦を引き起こし、他国の反感を買うことになる。にもかかわらず、アメリカの文化は「全世界的に、この文化のせいで苦しまねばならない人びとをも魅惑している」(ジャン・ボードリヤール『アメリカ』)。「快楽」を存分に追求することを許す自由で豊かなアメリカ社会は、それでも確かに魅力的である。だが、このアメリカという社会システムは、「外部」との摩擦や対立といったレベルではなく、実際、外部社会の自然の乱開発や収奪によって、大量生産/大量消費という「豊かさ」を可能にしている。消費社会のメカニズムを一貫した流れで理解するならば、それは「大量採取→大量生産→大量消費→大量廃棄」である。この生産の最初の始点と消費の最後の末端の部分を、システム「内部」から遠ざけ、見えなくすることで、そのシステムは安定して存立し続けられる。しかし、「外部」の有限な資源やエネルギーの収奪と、「内部」の「快楽」の無限の追求とは、永続的に両立可能ではない。
 「今日アメリカや日本の中流階級が、『ふつうのこと』として享受している程度の消費水準を全世界の人びとが要求するならば、いくつかの重要資源は数年のうちに、他の基本的な諸資源の多くも一、二世代のうちに、枯渇する。(それはわれわれの『過去の努力』の成果であるという正当化が仮に成り立つとしても、それではわれわれも同じ努力を開始すると宣言されれば、資源的にも環境的にも共滅する以外にはない。)われわれはすでに一世代以上も前から、この不平等に居直るか、物的な消費水準を切り下げるかという、困難な選択を行うほかのない地点にまで登りつめてしまった」(見田宗介『現代社会の理論』)。
 アメリカや日本といった近代化を遂げた「先進国」は、いつまでもその「内部」で自己充足的な「夢」を見ているわけにはいかない。

 「大きな物語」の終わり、「歴史」の終わり、「近代」の終わり、「科学」の終わり、「人間」の消滅など、さまざまな事象の「終焉」を告げられて、私たちは正直なところ、まったくうんざりである。実際、何ひとつ終わってなどいなかったのだ。しかし、にもかかわらず、私はしたり顔でこう言わなければならない。
 古い「アメリカン・ドリーム」はもう終わった、と。
 できることならアメリカよ、現実を見てほしい。そしてまた新しい「夢」を構想してみてほしい。


  (引用・参考文献)
 青木透『アメリカン・ドリーム その崩壊と再生』丸善ライブラリー、平成五年。
 明石紀雄、川島浩平編著『現代アメリカ社会を知るための60章』明石書店、一九九八年。
 ジャック・アタリ/近藤健彦、瀬藤澄彦共訳『反グローバリズム――新しいユートピアとしての博愛』彩流社、二〇〇一年。
 ウィリアム・ヴァン・デューセン・ウィシャード/唐津一訳『アメリカン・ドリームは終わったか 21世紀アメリカの理念を求めて』PHP研究所、一九九三年。
 ブレット・イーストン・エリス/小川高義訳『アメリカン・サイコ』角川文庫、平成七年。
 佐伯啓思『新「帝国」アメリカを解剖する』ちくま新書、二〇〇三年。
 桜井哲夫『アメリカはなぜ嫌われるのか』ちくま新書、二〇〇二年。
 スタッズ・ターケル/中山容他訳『アメリカの分裂』晶文社、一九九〇年。『アメリカン・ドリーム』白水社、一九九〇年。
 ノーム・チョムスキー/海輪由香子、門脇陽子、滝順子、長尾絵衣子、丸山敬子、水口隆、柳沢圭子、家本清美訳『テロの帝国 アメリカ 海賊と帝王』明石書店、二〇〇三年。
 ドン・デリーロ/上岡伸雄、高吉一郎訳『アンダーワールド』新潮社、二〇〇二年。
 セオドア・ドライサー/宮本陽吉訳『愛蔵版 世界文学全集27 アメリカの悲劇』集英社、昭和五〇年。
 中山元編訳『発言 米同時多発テロと23人の思想家たち』朝日出版社、二〇〇二年。
 野村達朗『「民族」で読むアメリカ』講談社現代新書、一九九二年。
 蓮見博昭『宗教に揺れるアメリカ』日本評論社、二〇〇二年。
 ヴィンセント・N・パリーロ/富田虎男訳『多様性の国アメリカ――変化するモザイク』明石書店、一九九七年。
 藤原帰一『デモクラシーの帝国』岩波新書、二〇〇二年。
 ダニエル・J・ブアスティン/新川健三郎訳『アメリカ人――大量消費社会の生活と文化』河出書房新社、一九七六年。
 ジャン・ボードリヤール/田中正人訳『アメリカ 砂漠よ永遠に』法政大学出版局、一九八八年。
 見田宗介『現代社会の理論』岩波新書、一九九六年。
 森孝一『宗教からよむ「アメリカ」』講談社、一九九六年。

  (映画)
 サム・メンデス監督『アメリカン・ビューティー』アメリカ、一九九九年。


  (参照)
アメリカ論――アメリカン・ドリームよさらばhttp://togetter.com/li/594319



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