■「第三の道」は余儀なくされる「他にはあり得ない道」である
 89年から91年にかけての冷戦体制終焉の後、90年代半ばから一挙に進んだグローバル化=資本移動自由化が、「大きな政府」をあり得ないものにした。宮台は説明する。「資本移動自由化は、新興国の隆盛を促す結果、先進国の輸出産業が、新興国と競争すべく、利潤率均等化則や生産要素価格均等化則通りに労働分配率を引き下げるので、勤労者所得の低下で、外需に加え内需までもが細り、法人税や所得税の税収が減少します。むろん増税は資本を国外に流出させます」。宮台は、アンソニー・ギデンズを参照しつつ語る。「第一の道は70年代に破綻した福祉国家政策=『大きな政府』であり、第二の道は80年代の英米を席巻した市場原理主義=『小さな政府』です。第三の道とは『小さな政府』を『大きな社会』で補完する政策で、民主主義をその本義である自治、すなわち〈参加〉と〈包摂〉に政策的に差し戻すものです。政策的に差し戻すとは、自治的共同体(社会)を破壊しかねない要素を、政府(国家)が補うことです」。ここでの国家の役割は「社会投資」である。宮台は続ける。「具体的には、自治的共同体を空洞化させるにもかかわらず自治的共同体だけでは手当てしがたい格差化や貧困化に、国家が手を差し伸べるのです。あるいは市場の働きに任せるだけだと社会から〈排除〉される、貧困家庭を含めた社会的弱者を、社会的に〈包摂〉されるよう、政策的にサポートすることです。政策的サポートと言いましたが、これは、素朴な再配分=〈弱者の手当て〉よりも、〈参加〉の支援=〈動機づけの手当て〉を、重視するということです」。
 さて、宮台は、冷戦終焉までは第一の道=左、第二の道=右だったが、冷戦終焉後はこうした陣営区分がどうでも良くなった、という。両方とも非現実的な道であり、それに対する支持がどのみち感情的満足を意味するようになった、と。それは第二の道(右)から第一の道(左)への〝転び〟の容易さに見て取れる。なぜなら両者とも機能的に等価だからだという。
 宮台は言う。「この機能的等価性を、北田暁大は『繫がりの社会性』(繫がれるのなら右でも左でも良い)だと説明します。でも、繫がりを作り出せるのは、第一の道=左も、第二の道=右も、所詮はノリや感情の問題に過ぎないからです。この前提的事実に注目せねばなりません。そうすれば、日本におけるネトウヨとプレカリアートの等価性だけでなく、アメリカでのティーパーティ運動とオキュパイ運動の等価性にも射程を拡げられます。この機能的等価性は、第二の道(右)をとると、格差&貧困で不安と鬱屈を抱えた人々が、一方で、プレカリアート運動に見られるように第一の道(左)を唱導するポピュリストに動員され、他方で、生活保護不正受給問題に見られるように第二の道(右)を唱導するポピュリストに動員されるところにも見て取れます。前者については『補助金行政から政策的市場へ』の流れは不可避で、アンチ市場化は頓珍漢です。後者については不正受給率は金額にして0.4%で、他先進国の倍の7割に及ぶ未捕捉率に比べれば鼻糞も同然。
 別角度からも第二の道(右)と第一の道(左)の等価性を理解できます。第二の道=市場原理主義をとると、不安と鬱屈を背景にむしろ様々な意味での社会的弱者の怒りが『何であんなヤツらに再配分するんだ!』と噴き上がりますが、所詮は社会的弱者なのでやがて孤独死問題や無縁死問題や高齢者所在不明問題の当事者となり、政府にすがります。要は第二の道(右)は『小さな政府』&『小さな社会』を要求すると見えて、持続不可能性ゆえにどのみち『大きな政府』(左)を要求し、『大きな政府』の持続不可能性に突き当るのです」。

  ■「デタラメ民主主義を排し、真の民主主義を招き寄せるための、全体主義」としての「二階の卓越主義」
 宮台は述べる。「民主主義の中軸は自治(自分たちのことは自分たちで決める)です。自治の中軸は〈参加〉と〈包摂〉です。〈参加〉と〈包摂〉は、単なる制度ではなく、行為態度とその帰結です。かかる〈参加〉と〈包摂〉を実現するのに最も有効な手段は、先進国で日本でだけ普及していない住民投票制度だ、と僕は考えています」。そしてこう吐露する。「これは〈心の習慣〉の涵養に向けた〈社会構造〉の設計です。いわばファシズムも顔負けの、強力なパターナリズムです」。
 宮台が住民投票運動における熟議の重要性を語るとき、念頭にあるのは政治学者のジェイムズ・フィシュキンと、もうひとり、法学者のキャス・サンスティーンだ。サンスティーンが提唱する概念に「二階の卓越主義」というものがある。意味は「コミュニケーションの〝内容選択〟において卓越性を示す代わりに、コミュニケーションの〝手続選択〟において卓越性を示す必要がある」ということ。
 フィシュキン=サンスティーンの議論が登場した背景は、やはりグローバル化である。「資本移動自由化(=グローバル化)によって格差化と貧困化が進む。中間層が分解し、共同体が空洞化して、個人が不安と鬱屈にさいなまれるようになる。そのぶん、多くの人々がカタルシスと承認を求めて右往左往しはじめる。かくして、ヘイトスピーカーやクレージークレーマーが溢れがちなポピュリズム社会になるのだ」。こうした状況においては、人々は不安を埋め合わせるために、極端な言動で他者の承認を得ようとする(ヘイトスピーカー)。また、その地域や社会の文脈から切断されたところで、理不尽な訴えをして溜飲を下げようとする(クレージークレーマー・新住民問題)。それがやがて「集合的な極端化」と呼ばれる民主主義の危機を呼び起こす。その危機への対応策が「二階の卓越主義」であり、例えば一部の卓越したエリートが、あらかじめ「集合的な極端化」を防ぐような熟議の制度設計を構想する、といったことが考えられる。それは通常の熟議(一階)において発揮される卓越性ではなく、それを見下ろすメタレベルの制度設計における卓越性である。
 さて、「二階の卓越主義」は、お気づきの通りエリート主義的なパターナリズムの一種である。従って、それは必然的に全体主義の色合いを帯びざるを得ない。
宮台は語る。「熟議の『設計』に関わるパターナリズムは、社会全体という観点から個人を非自己決定的に誘導する点で、多少なりとも全体主義的だ。それが『パターナリズム』と言い換えられ、さらに『二階の卓越主義』と言い換えられていても、結局は同じことだ。今日では、民主主義保全のための全体主義的方向付けが、条件付きではあれ肯定されるようになってきているのである。要約しよう。〈グローバル化と民主主義の両立不可能性〉に抗うべく、〈民主主義を補完する非民主主義的装置〉として、[二階の卓越主義⊂パターナリズム⊂全体主義的方向]が必要であることが、アカデミズム領域で理解されるようになってきた。『民主主義単独では、民主主義の前提を調達・維持できない』と見立てられるようになった、ということである。外部性とは経済学の概念で、『市場自身が調達できない、しかし市場に不可欠な前提(に市場の営みが与える正負の影響)』だ。同じ理路に従えば、民主主義にも当然ながら外部性がある。すなわち、『民主主義自身が調達できない、しかし民主主義に不可欠な前提(に民主主義の営みが与える正負の影響)』があるのだ。これは完全に一般的な命題だ。
 敗戦後の日本に対するGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の構えを見れば明らかなように、民主主義の外部性に関わる、場合によっては検閲さえをも伴う全体主義的な注入は、かねて全体主義的な後発国、すなわち枢軸諸国にのみ専ら必要なことだと考えられてきた。それが昨今では民主主義の先進諸国においてすら必要だと考えられるようになってきたということだ」。

  ■〈終わりなき日常〉の三つのレイヤー
 2011年3月11日の東日本大震災と、それに続いた大津波被害、原発事故。宮台は1995年、オウム真理教事件を受けて刊行した『終わりなき日常を生きろ』で、男の子的な終末観(ハルマゲドン幻想)の敗北と、女の子的な終末観(〈終わりなき日常〉)の勝利を論じた。もはやこの社会に革命など起きず、劇的な変化は訪れない。だから〈終わりなき日常〉をまったり生きるだけだ。
 3・11後、東浩紀や猪瀬直樹が「終わりなき日常は終わった」と発言した。これに対して、宮台は答える。「〈終わりなき日常〉は終わっていない。概念的に言って、終わるはずがない。〈終わりなき日常〉には三つのレイヤーがあり、どのレイヤーでも3・11が何の影響も与えていないことを、簡単に証明できる」。
 一般に先進社会の多くでは、社会システムの意味論は三つの段階で進展していく。宮台は、社会学者の見田宗介が終戦からバブル期までを「理想」「夢」「虚構」の時代として三区分したことを修正して、「秩序」「未来」「自己」の時代とした。「第一段階は『〈秩序〉の時代』です。そこでは現在の社会秩序が理想的なものと考えられ、秩序の攪乱は悪なる他者――秩序外部的存在――に起因すると見做されます。『〈秩序〉の時代』は日本では1945年から60年代まで続きます。(中略)ところが60年代に入ると――特にオリンピック以降――物語が変わります。それを『〈未来〉の時代』と呼びます。そこには打って変わって『人間たちの秩序自体が悪』というモチーフが展開します。(中略)『〈未来〉の時代』のサブカルチャーには、『現在の秩序はダメだが、遠い未来になれば良くなる』との想いが込められていることが分かります。でも『〈未来〉の時代』も70年代の半ばには終わり、『〈自己〉の時代』が始まります」。
 「〈未来〉の時代」は〈ここではないどこか〉追求の時代だった。最初はキューバや北朝鮮など現実世界に〈ここではないどこか〉が探られ、60年代末期に挫折すると、今度は観念世界に〈ここではないどこか〉が探られた。それが政治の季節からアングラの季節へのシフトだ。〈ここではないどこか〉追求の背景に〈こんなはずじゃなかった感〉があった。輝きや眩暈を約束した戦後復興や高度経済成長や郊外化がもたらした期待外れだ。そして政治の季節やアングラの季節は〈ここではないどこか〉を求めて挫折した。その後、〈ここを読み替える〉シャレとしてカタログ文化が盛り上がるが、それが後続世代に受け渡されるとオシャレへと変化する。マニュアル文化=「性と舞台装置の季節」の始まりだ。〈ここではないどこか〉の記憶覚めやらぬ年長世代にとっては「あえてする読み替え」だったものが、記憶なき後続世代にとって「記号的戯れ」へと変異した。しかしこの戯れが性的コミュニケーションと結びついていたことが、多くの若者たちにとってハードルになった。そこにオルタナティブ・ウェイを提供したのが(後の)オタク的メディアだった。〈ここを読み替え〉て現実をシャレる営みが、下世代に受け渡される際に「ナンパ系文化」に変異したように、現実をシャレる営みが、性愛コミュニケーションが苦手な下世代に受け渡される際に「オタク系文化」に変異した。新人類世代においては、ナンパ的な営みもオタク的な営みも〈ここを読み替え〉るための等価な選択肢だったが、後続世代では二つの方向に分岐した。
 宮台は語る。「こうした生成の経緯が、77年以降が『〈自己〉の時代』である理由を説明してくれます(※カタログ雑誌『ポパイ』が77年10月に突然方針転換し、デートマニュアルとタウンマップを結びつけた雑誌になった)。〈ここではないどこか〉探しの頓挫を埋め合わせる代替的営みが〈ここの読み替え〉でした。この代替を要求したのは〈自己のホメオスタシス(恒常性維持)〉です。後続世代になるとそこからナンパ系とオタク系が分化していきました。この分岐は、セルフイメージの維持に使えるツールが、対人的能力によって異なるためにもたらされたものです。パーソンシステムのキャパシティ(能力)には限りがあります。キャパシティの範囲内で多かれ少なかれ慣れ親しんだ自明性を構築して『自己』を維持する必要があります。そのことはいつの時代でも同じです。ところが〈ここではないどこか〉から〈ここの読み替え〉へのシフトは、読み替えツールの分岐を通じて世代的共通前提を希薄にし、やがて『自己』維持のための自明性構築の達成が簡単にはありそうもないことが、意識されるようになります。こうして、〈自己のホメオスタシス〉のために、現実や虚構から、自明ではないサブカルチャー的なリソースを総動員する、『〈自己〉の時代』が始まります。ナンパ系にせよオタク系にせよ、一定の島宇宙内で定型化されたコミュニケーションの作法に淫することで環境複雑性を縮減し、〈自己のホメオスタシス〉のために必要な負担を軽減しようとする点で、共通の地平上にあります」。
 「ネトウヨ」と呼ばれる人たちは、自分たちは愛国の営みをしていると思っているが、周囲の多くは、抑鬱的な思いを抱えた人たちがカタルシスを得るために情緒的に噴き上がっているだけの滑稽な営みだと感じる。米国のティーパーティー運動は、表明するイデオロギーは米国における草の根右翼のトラディショナルなものだが、実態は失業率上昇で鬱屈を抱えた若者たちの感情的ハケ口として政治活動が機能しているのではないかと、当の本国で言われている。2011年のウォール街占拠運動も、イデオロギー自体は富裕層優遇打倒という左翼トラディショナルなものだが、実態はやはり失業率上昇で鬱屈を抱えた若い世代の感情的ハケ口なのだと本国で評されている。
 宮台は言う。「これらの評に共通するのは、イデオロギーを超越的場所から神の声を代行するように語ることはもはやできないとの感覚です。立場を問わず、あらゆる文化現象や政治現象が自己現象として受け取られてしまうという現実があるのです。サブカルを評すること自体がサブカルに含まれる。社会を語ること自体が社会に含まれる。世界を語ること自体が世界に含まれる。内容がかつてのようにベタに受け取られる時代はもう永久に戻らないということです。『そんなことはない。イラクで酷いことが起こってる。震災でも酷いことが起こってる』。その通り。酷いことが起こりまくっている。『エヴァ』の中と同様に。そう、実際に起こっているからこそ自己現象として利用されるのです。革命であれ社会運動であれ〈自己のホメオスタシス(恒常性維持)〉のツールとして使われるとの『自覚』から我々はもはや二度と自由になれないのです。我々が閉じ込められた鉄の檻には『出口がありません』」。
 さて、〈終わりなき日常〉の一つ目のレイヤーは「ポストモダン」だ。「〈終わりなき日常〉を『〈自己〉の時代』(であることによるアイロニカルな脱臼)に見出すなら、我々はポストモダンの構造的な本質に照準していることになります。ならば〈終わりなき日常〉が終わるということは、そもそも永久にあり得ないのです。全てはシステムの産出物に過ぎないという意味でのポストモダンが定義的に終わらないのと同じ意味で、〈終わりなき日常〉は終わらない。それは我々にとっての構造的な条件なのです」。
 宮台は続けて語る。「小林秀雄が1929年に『改造』で文壇デビューしたときの論文のタイトルは『様々なる意匠』です。『意匠』は『モード』とパラフレーズするのが適切です。『意匠』の力が日本では戦前からずっと支配的でした。『様々なる意匠』問題が、〈終わりなき日常〉の二つ目のレイヤーです」。
 2004年の六ヶ所村再処理事業が保守論壇でさえ問題視された際、原発にはコスト的にもリスク的にも環境的にも合理性が存在しないことが明白になった。原発の政策的合理性については既に結論が出たのだ。しかし事態は変わらなかった。以降、原子力ムラの内部で原発の政策的合理性についての議論はタブーになった。戦中の軍部中枢に似ている。
 宮台は述懐する。「原子力ムラにいた飯田哲也さんが証言するように、ムラは『今さらやめられない』『空気に抗えない』という雰囲気です。若手陸海軍将校らが構成する総力戦研究所が、日米開戦すれば日本が勝利する確率はゼロ%とのシミュレーション結果を陸軍参謀本部と海軍軍令部に上げたのに、短期決戦であれば勝機ありとの理屈で開戦したことが知られています。ところが、東京裁判では被告人全員が『今さらやめられないと思った』『空気に抗えなかった』と証言します。ことほどさように小林秀雄の『様々なる意匠』と山本七平の『空気の支配』は裏腹の関係です。そして『様々なる意匠』と『空気の支配』によって成り立つ体制に、『全体の利権』が依存しているのです。だから、経産省と電力会社が吹聴する『絶対安全神話』が明白な嘘で塗り固められたものなのに、地域社会は経済から文化に至るまでものの見事に原発浸けの体制のまま、誰も彼もが原発に利権的に依存しているような状態です」。宮台は言う。「そこでは、何が真理なのか、何が合理的なのか、何が妥当なのかを、どんなに議論しても意味をなしません。むしろ、そうした議論にコミットしようとすると、『空気(の支配)を読めないヤツ』という烙印を押されて、コミュニケーションから外される結果、一切の影響力を行使できなくなるのです。かくして〈知識を尊重する作法〉ならざる〈空気に縛られる作法〉がコミュニケーションを覆う〈悪い言説空間〉が、全てを支配します」。
 戦前の天皇主義も、戦後の民主主義も、震災後のボランティアブームも、すべて「意匠(モード)」に還元されるとして、宮台は断じる。「空気からの自立を処方箋とするか、空気への依存の利用を処方箋とするか、それを組み合わせるか。慎重な検討が必要です。僕は空気からの自立はあり得ないと思っています。いずれにせよ、何もかもが空気ベースの『様々なる意匠』でしかあり得ない〈悪い共同体〉が今後もかなりの期間続くだろうこと。これが〈終わりなき日常〉のもう一つのレイヤーです。この面でも今回の震災程度のことでは〈終わりなき日常〉は終わりません」。
 宮台は続ける。「〈終わりなき日常〉には第三のレイヤーがあります。このレイヤーが抱える問題は、僕が『終わりなき日常を生きろ』という言い方で、永久に続く『〈自己〉の時代』や『様々なる意匠』という意味での〈終わりなき日常〉を生き延びるための『解放区』的な処方箋を提示した後、それが頓挫してしまったことに関連します」。
 日本の戦後郊外化は60年代の〈団地化=地域空洞化×家族内閉化〉と80年代の〈ニュータウン化=家族空洞化×市場化行政化〉の二段階で進展する。〈ニュータウン化〉を象徴するコンビニ化&ファミレス化の動きと並行して、「法化社会」化の動きが83年から始まる。その一つに85年の風営法改正があったが、それへの供給側需要側両者の対処として直ちに生まれたのが、隙間や余白としてのテレクラと伝言ダイヤルだ。今風に言えば「オフラインの隙間が消去されたので、オンラインの隙間が開発された」ということ。こうしたオンラインの隙間を前提として92年から96年の間に、各大都市の盛り場周辺に、ストリートという「解放区」が出現する。その5年間に一貫して上昇したのが、第一にルーズソックスであり、第二にブルセラ&援助交際であり、第三にクラブブームだ。これらは全て96年にピークを迎えた後、一挙に萎む。つまり「解放区」が消える。
 お門違いの意味追求に駆り立て、緊張を強いる家・学校・地域(非日常)とは別の〈第四空間〉=ストリート(日常)で演技をやめて脱力する。その「盛り場」ならぬ「癒し場」が、96年を境に「死んで」いく。宮台は語る。「僕は同時期の『SPA!』に『地元化/お部屋族化』と記しました。社交的な子がセンター街には行かずに、首都圏だと町田・柏・西船橋・浦和・立川に滞留するようになる(地元化)と同時に、北海道から沖縄まで同時多発的に、24時間出入り自由な『若衆宿』的な友達の部屋にタムロするようになります(お部屋族化)」。その背景のひとつに、クラスでリーダー的存在だった「援交第一世代」の女子高生のフォロワー「第二世代」に自傷系の子が多く、援交がダサいと見なされるようになり、世代が交代したという事情があった。「かつては『渋谷的風景』と、僕がAVギャルや援交ギャルの量産地として頻繁に言及した『16号線的風景』(※スーパー、パチンコ屋、家電量販店、消費者金融等々のチェーン店で埋め尽くされた風景の喩え。東京郊外を走る国道16号線がその典型である)は、明確に異なりました。風景のみならず人の風体も異なりました。それが同じになりました。全てが『渋谷的』になったのではない。全てが『16号線的』になりました。これは一般にグローバル化が帰結したデフレ経済の結果だとされますが、『地元化/お部屋族化』という文化現象の変化が大きいのです」。
 宮台は沈痛に語る。「『盛り場』も『癒し場』も欠いた〈スーパーフラット〉な『16号線的風景』の全国化こそが、〈終わりなき日常〉の第三レイヤーです。第一レイヤーが『〈自己〉の時代』の永続。第二レイヤーが『様々なる意匠』の永続。これらから逃れるべく、僕は〈まったり革命〉的な『癒し場』としてのホットスポットに希望を託したのですが、それが消えた挙げ句に、前面に出てきた第三レイヤーが〈スーパーフラット〉の永続というわけです」。
 77年から始まる「〈自己〉の時代」以降、ナンパ系とオタク系の間には優劣関係があると思われてきた。ところが96年から援交を含めた性愛への過剰コミットがイタいと感じられはじめる。そこから出てきたのが、異性(オヤジ)の性的視線を遮断するツールとしてのガングロだ。こうしたナンパ系の地位低下と同時期にオタクの地位上昇が生じる。単にナンパ系の低下による相対的上昇ではない。90年代半ばまでに一部オタクのオシャレ化が生じ、それとは別にパソコン通信やインターネットの拡がりで、薀蓄を競う〈オタクの階級闘争〉に代わって〈オタクネタの戯れ〉が拡がる。ナンパ系がイタくなり、オタク系がコミュニカティブになった結果、96年以降ナンパ系とオタク系の間に優劣関係を想定するコミュニケーションが一挙に廃れる。
 宮台は言う。「〈場所のスーパーフラット化〉に続いて、ナンパ系とオタク系の優劣関係消滅という〈人のスーパーフラット化〉が生じましたが、これは愛の絆(をはじめとする人間的紐帯)に期待しないという〈心のスーパーフラット化〉と相即している可能性があります。とすれば、〈終わりなき日常〉の第三フェーズである〈スーパーフラット化〉は、想像を絶した深さと拡がりを持った問題なのかもしれません」。
 「結論。〈終わりなき日常〉は永久に終わらない」。

  ■それでも「クソ社会」を生きる
 「愛のキャラバン」の登壇者のひとりである公家シンジは、『「絶望の時代」の希望の恋愛学』中のコラムでこう書いている。「ぼくたちがいるこの社会はクソである。(中略)これは宮台真司氏の感覚に根ざした強固な価値観なのだ。ぼくは彼が吐き捨てるようにこういった台詞を言い放つ姿を何度も目にしている。彼は現代社会に強い不快感を持っている」。
 僕は、かつて宮台が、江戸時代から380年も続く人形芝居の結城座によるアングラ劇『アンチェイン・マイ・ハート』を観劇した際のコメントがとても印象に残っている。「この芝居は、『私たちはなぜ、生が殺伐とした事実性でしかないような、砂を噛むがごとき毎日を送っているのか』という問いに、概念的にも体感的にも、感動的なほど明確な答えを提示しています。答えは『縦の力』を失ったからというもの」。「縦の力」とは宮台の造語で、非日常的事態に対処し得るカリスマのような存在に宿る力のことで、社会に還元できない。対して「横の力」とは、通常の恒常的な人間関係や社会関係を維持する力。宮台のコメントを僕なりにパラフレーズすると、「私たちの社会は、『非日常性』を上手に導入してきた過去から遥か遠ざかってしまい、その結果、殺伐とした『日常』だけが延々と続く砂漠と化した」となる。たとえば、これが「クソ社会」の実相だ。だが、宮台は、素朴な伝統回帰などあり得ないと強く主張してきている。共同体が空洞化したときにこそ、その埋め合わせとして「伝統」が呼び出されるが、それは「反省された伝統主義」であり、再帰的であるほかない。『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』でも、汎システム化に抗うためにも、システム化による「設計」を行うしかないのだとの認識が示されている。そう。僕たちの社会はもはや「ベタ」に生きられない。
 『終わりなき日常を生きろ』から20年。宮台はラジオで、「ひたすら日本社会の劣化を見てきた20年だった」と語っていた。しかし、宮台はしばしば、師匠である小室直樹のこの言葉を引用する。「宮台君、社会がダメになると人が輝く。昔からそうだから安心したまえ」。宮台の「もう日本社会はダメですね」との言葉に答えたものだ。
 〈終わりなき日常〉の中で、この「クソ社会」で、僕たちはこの小室の言葉を、宮台真司と共に噛みしめねばならない。