33歳で2人目出産後の東日本大震災
それまでは世帯収入もそれなりで、組織の中でどっぷりと働いていた。
自分がピラミッド社会に生きていた事を全く知らずに。
消費社会に生きていた。
それから311
震災があって、物が買えない、スーパーに物が入らないという経験をした。有事の時は、いくらお金があっても買えない、物が回ってこない、これが消費社会か、ピラミッド社会かということに気づいた。
助けあえる家族の有難みや
日常への感謝も同時に込み上げてきた。
311の一週間前に起業した夫は
資金投資後に娯楽産業だった為に壊滅的な被害と
資金困難に陥って後に2年かけて残務処理をして事業をたたむこととなった。
その間、私は避難先の神戸で孤立と孤独と地縁の無い中での極貧ワンオペ育児(0歳と3歳)をすることになり、2年後の3人目出産時には上の2人をどうするかとても困って民間の支援団体に聞くと、児童養護施設を紹介された。
これにはショックだった。
心の通っていない関係、家族じゃないからという社会的心理に益々孤独になった。
益々、助けてと言えなくなった。
ちょっとみてあげるよ、子ども預かってあげるよ
いざという時は連絡して!すぐ駆けつけるよっていう関係が欲しかった。ちょっとの支え、ちょっとの安心、ちょっとの助けは家族でなければ成り立たないのか?
お金が発生しないと家族以外には成り立たないのか?
あの時の頭を打たれた様なショックが原動力となり
もうあんな私の様な想いは誰にもしてほしくないと思った。
つくろう
拡張家族のコミュニティ
社会全体が家族の様な繋がりでありたい、
家族なら年齢が上の人が年齢が下の子どもを支える。
子どもからお金をとったりはしないし、家族から、まして困っている人からお金を取ることもしない。
お金がある人が、お金のない人を支えるだろう。
誰もが安心してしあわせを感じられる社会でありたい
そんな社会をつくりたくて、今のピラミッド型の社会からそっと抜けてみた。
お金を先に言葉にする人との付き合いを避けたら
ピラミッド社会から抜けていたとも言える。
心を大事にしたいから
心を大事にする人を
大事にしてつきあう
夫のやりたいこと
私のやりたいこと
子どものやりたいこと
それぞれが認め合う
これまでの常識だった
夫は生活費を稼がなければ
とか
生活する為に働かなきゃ
とか
食べる為に生きていた
という生活を一転
何にお金を使っているのか
ではその出費をなくすには
使うもの、出ていくお金、
を減らすには…
にフォーカスして1年、
自給自足が確立することもわかった。
できるを知った。
そこに快適さ、心地よさ、安心感を少しずつ加え
豊かにしあわせに生きる、を実践。
常に心にあるのはゼロポイントでいること。
✡感謝の心が湧いてくるから。
✡自分への愛や万物への愛で満たされるから。
✡自分自身であること、自分自身を知ること
ができるから。
このゼロポイントになる感覚がまだ言葉では上手く表現できない。
今言えるのはゼロポイントになると、
仕事は役割として自然と与えられ
全てがトントン拍子で上手くいき
ノンストレスで働くことができ
喜びへとつながる事がわかった
それが丸い社会へ移行した私
まるの中の1滴
◯の中の点
それがゼロポイント
感謝が常にある状態
だって
周囲から生かされていることを知るから。
だから
常に満たされ最高の幸福感を感じ続ける
今、どんな時も至福
どんな時も最高
常に有り難い
常に感謝
ゼロポイントを知って
私が生きる世界は
本当に素晴らしい世界になった。
嬉しくて
楽しくて
歓喜して
感謝する
ありがとうございます。