妹が被ってるのパーマンのヘルメット。
今風に言うと「バケツデコ」かね。
うち、本当にお金がなかったんだと思う。
1年生(6〜7歳)
キーボード(立ち弾き)にもめげず
ピアノは上達をしていたが、
どちらかと言えば、この頃に
「聴く歌う書く」
の基礎がだいたいできていたらしく。
幼児科時代の恩師その①栗原見季子先生に
専門コースへの進級を勧められる。
見えない所で試験官に和音とか弾かれて、
同じ和音を弾いたり、歌ったりする試験。
「みんなの耳もそういうもんだ」
と思っていたので、「何が"専門"なのか」
受かった理由もわからないまま、
ちょっと遠くの教室に通う事になる。
2年生(7〜8歳)
ローラースケートのアイドルが大人気の中、
所謂「クラシック名曲」的な曲を
片っ端から聴くようになる。
同時に、ユーミン、達郎あたりが気になり出す。
ピアノは専門コースに進級したお陰で
悲惨なキーボード(立ち弾き)を卒業。
ペラペラの板じゃなくて
しっかりした鍵盤が88揃って
座って弾けるエレピがやってきた!
程なくして
「自分より上がいくらもいる世界」
も知ることとなる。
同時に恩師その②高瀬よし子先生に出会う。
3年生(8〜9歳)
専門コース2年目から、レッスンで
「作曲」
みたいな事をやるようになる。
嫌いじゃなかったけど、
書けた曲ダサ過ぎて悔しかった記憶がある。
ピアノのエチュードがなかなか進まない一方、
ソルフェージュの「和音付け」は
ちょっと物足りなくなって、
独自にM7,9やルート違い辺りを
開発するようになる。
高瀬先生も気付いてくれたのか、
ちょいちょい小洒落た和音の曲を
弾かせてくれるようになる。
そのせいか、グレードの試験官に
ペダルをものすごく褒められた記憶がある。
いや、それくらいしか褒めるところが
なかったのかも知れない。笑
しかし、この頃から
自分の個性に合った音楽との関わり方を
身に付けつつあった。ぽい。
つづく