第1部につづき、第2部の公演の様子をお伝えいたします。
第2部も多くの出演者や団体が参加し、さまざまな側面から被災地そして原発について熱い意見を交わしました。
ゲストトーク「一詩人の警告」 詩人の若松丈太郎先生と聞き手の相馬高等学校放送局顧問の渡部義弘さんです。
40年前、若松先生は高校の教師をされていました。その教え子が、公演当日舞台監督をした熊耳隆洋さんです。授業の中で原発脅威のお話はなかったようですが、先生はすぐに詩を通して世の中に発表を始めました。その警告に耳を貸さなかったことは、今は忸怩たる思いですがこれから先に進まなくてはなりません。先生は若い私たちを励ますように詩の朗読をなさってくださいました。貴重なひとときでした。
「いくつもの川があって」(2000年/花神社)、「福島原発難民」(2011年/コールサック社)、「ひとのあかし」(2012年/清流出版社)などを出版されています。
Image.Fukushima〔イメージ福島〕代表の三浦哲哉さんには、ドキュメンタリー映画「原発切抜帖」の映画解説をしていただきました。
「日本人は忘却の民です。」とは三浦さんの言葉ですが、被爆国であることを忘れ、第五福竜丸のことを忘れ、ビキニ水爆実験の南の島ことを忘れ、スリーマイル島の原発事故を忘れ、日本人の忘れやすい体質を「原発切抜帖」は追求していました。日本がなぜ原子力大国へと舵をきったのか、その経緯を新聞記事という客観的な事実をつなぎあわせて、私たちが何を見落としていたのかを気づかせてくれた映画でした。
硬質なドキュメント映画が軽妙洒脱な小沢昭一の語りと相まって現代でも古くはない新しい映画としての再評価。三浦さんの軽快で深い言葉に裏打ちされたのでした。
硬質なドキュメント映画が軽妙洒脱な小沢昭一の語りと相まって現代でも古くはない新しい映画としての再評価。三浦さんの軽快で深い言葉に裏打ちされたのでした。
トークセッション「被災地からのメッセージ」です。
石巻市・相馬市・南相馬市・福島市・伊達市から駆けつけてくださったパネリストの皆さま。被災地ならではの具体的なお話は仙台の人たちにとっては驚きでした。
また、まだ終わっていないのに復興復興と明るい情報にばかり塗りつぶされようとしている皆さまの悔しさも伝わりました。そして、政治は民意を掬いあげていないという現実。やはり被災地の最前線で活動されている方々のメッセージは、個人の言葉とは少し違いました。私どもは、社会的な視点と個人の思いとバランスよく発信していきたいと思っています。
今回のトークセッションは余りにも時間が短かすぎましたので、パネリストの皆さまの消化不良は、次回リベンジさせて下さい。
トークセッション後には観客参加型の交流会があり、出演者と観客にざっくばらんに交流をしていただきました。情報交換・名刺交換の場としても有意義でした。
最後に「福島人権宣言」・「福島バッジプロジェクト」・「J-one(ジーワン)」・「ルワンダの教育を考える会」・「青年劇場“臨界幻想2011”を観る会」の皆さんに盛り上げていただきました。
飛入りでしたが「石巻市復興を考える市民の会」の鈴木安夫さんから「憲法9条をなくしてはいけないのです。若いあなた達が最初に徴兵されますよ。韓国では若者がかなり亡くなっています。」と静かで力強いメッセージが学生さんたちに託され幕を閉じたのでした。
司会の藤澤珠美さん、舞台監督の熊耳隆洋さん、長丁場ご苦労様でした。
そして、参加者全員で一つの輪を作り、藤田利彦さんの掛け声で“三本じめ”をして、終了しました。皆さんの心が一つになった瞬間でした。
司会の藤澤珠美さん、舞台監督の熊耳隆洋さん、長丁場ご苦労様でした。
まだまだ書き足りないことはたくさんありますが、ブログを訪問いただいた方にも公演の様子が少しでも伝わればと思いご報告をさせていただきました。
「繭の会」も今回が新たなスタートと考えております。いろいろな形で、いろいろな場所で、“皆さまの思い”を多くの方に届けるお手伝いができれば幸いです。
皆さま、ありがとうございました。
「繭の会」
穗積正一・郁枝