母の命日 | 日々のできごととIPMNになっちゃった

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今日は母の命日です。


あれから2年。
あっという間だった気がします。


母は亡くなる2年半程前に直腸がんと診断されました。
診断時はかなり進行していてリンパに転移もありました。

手術→抗癌剤でだいぶ元気になりましたが、
人工肛門を元に戻す手術で尿管を切られてしまい、腎瘻増設となりました。

母はかなりショックを受け、塞ぎ込んでしまった時期がありましたが元々明るくて前向きな性格なので徐々に受け入れ元気になっていきました。

せっかく元気になったから旅行でも行きたかったのですが、その時世間はコロナ禍で自分がなったら怖いとか、移したり移されたりに過敏に反応してピリピリしてた時期でしたのでこの時は諦めました。

コロナに感染しないように注意しながら休みの日はなるべく実家に行き、母と過ごす時間を作りました。
本当に元気で食欲もあり、体力付けるわ!と散歩や軽い体操も頑張ってやっていました。

私はこのまま元気になってくれると信じていました。

母は直腸がんになる20年程前に子宮体がんになっています。
手術のみ抗癌剤なしですっかり元気になったので今回も絶対元気になると信じていました。


しかし亡くなる7ヶ月前に腸閉塞になり再入院。
その時に再発、肺転移、腹膜播種が見付かりました。

本人は治療を頑張りたいと抗癌剤をやりましたが、
効果はあまり得られず体はどんどん弱ってしまいました。


結局もう治療は出来ないとなり、緩和へ。
父は家でなんて無理だからとホスピスを考えてたようですが、
母は家に帰りたいと言っていたので私が仕事を辞めるから
帰らせてあげようと提案し、在宅での緩和ケアとなりました。

自宅に戻ってからはベッドで起き上がる事しか出来ず寝たきりでしたが、会話は普通に出来るし、父とケンカはするし元気でした。

私の娘達が来てくれると凄く喜んで、帰る時にはまたねと言ってよく泣いていました。


しかし元気だった母はやはり段々と弱って行き、
亡くなる2週間程前から急激に弱って行きました。



そして最期は眠る様に旅立ちました。

激しい痛みに耐えて頑張っていた母の顔がとても穏やかで、本当に気持ちよく寝てる様な顔でした。



結婚して家を出てから20数年。
こんなに母と一緒に居たのは初めてでした。
沢山話せたし、少しは親孝行出来たかな?いや足りないな。

2年経ってもまだまだ寂しいし、1人の時は当時の日記を読み返しては泣く事もしばしば。

よく姿はなくても心の中でずっと生きてるから寂しくない!!
なんてドラマのセリフであったりしたけど…

いやいや寂しいよ!寂しくて仕方ない。
それはもうしょうがないと思います。


在宅での緩和ケアなんて何も分からない中、ケアマネさん、訪問看護師の皆さんには本当に沢山支えて頂き、何とかやってこれました。感謝しかありません。

大好きなばぁばに寄り添ってくれて、コロナに気を付けながら何回も会いに来てくれた娘達にも感謝しています。
母も嬉しかっただろうな。


そんな娘(次女)は看護師になり2年目。
母は次女が看護師を目指す事をとても喜んでいたので見届けて欲しかったな。
それはとても心残りです。


そして1人泣いてる私にいつも寄り添ってくれる
愛犬 ココちゃん。
私の1番の癒し。大事な家族。

今年14歳になるおばあちゃん犬ですが、まだまだ元気です!



お母さん、みんな頑張ってるよ!
安心してね。