バス(ハイカラさん・あかべぇ)では流石に通らない
鶴ヶ城から歩くとなると、たぶん30分はかかりそうな立地
だからこそのレンタサイクル
ここが一番行きたかった場所です
しかしすごい・・・
入口まで遠いな~
蜂とか飛んでるし怖い~
えええええ~ん
でも行くよっ、せっかく来たんだから
善龍寺
変わった入口~
たまぁ~にあるよね、こういうの
会津の藩祖である保科家の菩提寺です
寛政年中に建造された山門、竜宮門
現存してますよ~
西郷頼母さまがいらっしゃるお寺です
門を入ってすぐ左には延命地蔵尊もあります
寛永20年(1643年)、曹洞宗の泉海という僧が、会津藩祖保科正之にしたがい、藩内の花畑という地に建立。その後の寛文7年(1667年)、現在地に移る。
戊辰戦争により山門を除いた堂宇すべてが灰燼に帰した。
by wiki
境内左に行きます
なよたけの碑
西郷頼母の妻、西郷千恵子辞世の歌碑です
なよたけの 風にまかする身ながらも
たわまぬ節は ありとこそきけ
(細竹のような私たち女にも、曲がらぬ信念と貞節がある)
こんな覚悟・・・誰が出来るんだろう
会津のおなごは凄すぎるのです
足手まといにならないようにと。。。
しかしここは凄かった
寒くなったり、冷や汗が出たり、すごく「何か」?を感じた
ない?そういう時w
碑陰には、戊辰戦争で散った233名の会津藩の婦人名が刻まれています
先へ進みます
西郷頼母近悳夫婦の墓は生前から保科家歴代の墓所この善龍寺に用意されていたが祖先の墓石の何れよりも小さくその人柄が偲ばれる
西郷頼母・千恵子の墓
確かに・・・小さい(汗)
遠慮しすぎでは???w
頼母さまは、73歳で病気により会津若松市で亡くなりました。
頼母さまと言えば、やっぱり八重の桜での西田敏行さん以外思い浮かびません
最終回の八重との会津でのシーンは、印象に残りすぎています
もっと奥へ進みます
人っ子一人いない山道(墓道?)は結構ドキドキします
二十一人之墓
城に入らず西郷邸で刺し違えて自刃した一族21名(家族9人と一族12人)の墓。
ドラマや映画や、ジオラマや。
色々とこの西郷家の悲劇は見ましたが、壮絶ですよ
2歳の我が子まで手にかけて死ななければならなかった現実は、今の平和な世の中に生きる私たちには考えられない事ですね
つづく