山を降りていきましたぁ~
やっぱり登りよりも下りの方が楽ちん
そう言えば・・・
岩村城の悲しいお話をまだ話してませんでしたね(汗)
織田信長の叔母(おつやの方)は、岩村城主遠山景任に嫁ぎました
しかし景任が病没してしまった為、信長の五男、五坊丸を養子として迎えます。
五坊丸が幼少のため、おつやの方が後見として女城主として采配を振るったのです。
それが、この岩村町が「女城主の里」と呼ばれる由縁です
町中の玄関入口には、その家の女性の名前が書かれたのれんが掲げられているんですよ
武田の家臣、秋山信友軍が岩村城を攻めます。
なかなか陥落しそうもない為、秋山は密使を城中に送りました
「結婚して無事に城を明渡し、御坊丸を養子として家督を譲ることとしてはどうか」
家臣や領民、御坊丸を守る為、おつやの方は結婚の道を選ぶのです
しかし城を奪われ、御坊丸は甲府に人質として送られ、おつやの方は敵である秋山の妻となった事で信長の怒りを買ってしまったのです
信長の嫡子信忠を大将とする軍勢が岩村城を攻め続け、ついに陥落。
信長は、秋山信友・おつやの方らを城外の大将陣において逆磔にして殺害
*長良川で殺害されたという説もある
「我れ女の弱さの為にかくなりしも、現在の叔母をかかる非道の処置をなすはかならずや因果の報いを受けん」
と叫び果てたといいます
その恨みが本能寺まで届いた…のかもしれないですねw
しかし自分の身内を逆磔って。
信長、容赦ないですね
と・・・同時に本能寺の変の明智軍の攻撃にて、のちの五坊丸も討ち死にしてる
あ、そうそう。
マンホールがお城だった~
さぁ、資料館の前まで降りてきましたよ
ここの向かいには、宿泊できる場所があるの
お城チックに出来てます
私は一度だけお風呂だけ入りに来た記憶があるなぁ~
ちなみにこの奥には、キャンプ場もありますよ
資料館横から見える城下町の景色
写真には移ってないけど、右の方向に御嶽山も見えますよ
資料館の奥にあります↓
岩村民俗資料館
古い民家をそのまま移築したもの。
先人の生活を偲ばせる民具が数多く展示されています。
資料館横の階段を上がっていくとあるのがこちら↓
岩村城藩主邸御殿茶室
村藩主松平乗紀が宝永年間に設立したと言われています。
別名『園月』と言われ、風流を楽しむところとして、また藩主の接待や重要会談も行なわれたと言われいます。
(平成2年に復元されたもの)
門が閉まってたので、隙間から激写
つづく